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文集 H28

ダブルミーニング

作者: 珈琲髭

 某日、円学工高図書室内──


 夕焼けに染まる一室は、文芸部に所属する十数人の生徒によって貸し切られていた。よほど重要な集まりらしく、出入り口には“会議中につき関係者以外立ち入り禁止”の立て札が設置されている程だ。

 それは確かに会議なのだろう。しかし同時に、誰もが皆口を閉ざして何事かを待っているだけの、何とも奇妙な会議であった。


 十六時を指した時計の針の音が重々しく響き渡り、やがて溶けるように消えてゆく。

 青春の体現者である少年少女は、しかし皆一様にして重々しい面持ちを崩さない。

 何故彼ら彼女らは、貴重な放課後というゴールデンタイムを割いてまで図書室に集まったのか。

 事の発端は、長机の一番端に座す男によって召集がかけられた所から始まる。


 お世辞にも整っているとは言えない顔の眼鏡をかけた男は、だらしなく第一ボタンを開き、しかしネクタイは見当たらず、暑くもないのに袖を捲っていた。就職進学を控える三年生にしては大層な格好である。


 そんな男の硬く引き結ばれた唇が、おもむろに開かれた。


「さて、諸君」


 地の底から湧き起こるかのような重低音を連ならせ、男は言葉を紡ぎ出す。


「今日集まって貰ったのは他でもない。明日に迫った文化祭の出し物について伝えておこうと思ってな。まず──」

「ま、待って下さい部長」


 震えた声が、男の言葉を遮った。声の主は角山という部員だ。

 彼は副部長の役職を担っており、部長と呼ばれた男がとある事情によって使い物にならない今、文化祭の諸々の手続きを行わなければならない立場にある。

 本来副部長とはそういう役職なのだが、そもそも部員が少ない文芸部は文化祭等に参加する際もそれ程大きな催し物が出来なかった。それ故部長の職務も少なく、結果的に角山は部長としての役割に携わらずに済んでいた。

 しかし、今年の文芸部は前年度の約三倍もの新入生を獲得してしまっていたのだ。約二十人の大所帯となった事で廃部の危険はなくなったものの、それだけに手を出せる範囲が広がってしまい、人手不足ならぬ人手過多となってしまっていた。そこだけを切り取れば嬉しい誤算で済むのだが、部の代表として様々な責任を持つ部長は前述の通り能無しと化している。必然的に、矢面に立たなければいけないのは副部長の角山になるのだ。


 彼にとって、突然の部長への臨時昇格は苛烈を極めるものだった。

 教職員執行部の圧力、増加した部員の指揮、日程の調整、自身が受け持つ動画の作成、部長のご機嫌取り。

 多岐に渡ったそれらは、控えめに言っても激務である。


 そしてそんな重労働の為か、もともと柔和であっただろう彼の顔付きは疲労と焦燥によってやつれていた。すっかり濃くなってしまった目元のくまも、もはや見て見ぬ振りが出来るレベルのものではない。


 疲労がピークを迎えようとした時、前触れもなく、男によって召集が行われた。この男が何を伝えようとしているかも気になりはするが、今角山の中で一番重要な事は、小説がどうなっているか、という事であった。


「なんだ、副部長殿」


 話の腰を折られた事を気にする風でもなく、男は机に落としていた目線を角山へと移す。その視線を受け、角山は肌が泡立つ感覚に襲われながら、唾をのみ込んで口を開いた。


「部長が担当している小説です……何故、何故文化祭前日の今になって尚、こちらに原稿を渡してくれないんですか? 僕や動画班は既に待機しているんですよ?」

「角山の言う通りです、このままでは文化祭参加自体がご破算に!」

「僕達の作品は出来上がっているんです。後は部長のだけ……」

「そ、それにっ! 納期は二週間前の今日! もうとっくに過ぎているんです! 一体どうなっているんですか!?」


 角山に続いて、二人の会計担当と、一人の看板班総括が声を上げた。状況を指し示した水谷、諦観が混じった西澤、叫ぶように糾弾する藤北の三名だ。

 この四人の疑問は、残る部員も口には出さないが同様に思っているようだった。


 その様を見て、男は嘲るが如く不気味に笑う。


「その事についてを今から話すのだよ。まったく、副部長殿や部員諸君は心配性だな」


 なんだその態度はと胸中で悪態を吐きつつ、角山は幾ばくか安堵する。

 こんな前置きをするのだから、きっと原稿を仕上げてきたに違いない。であれば、自身を始めとした動画班を総動員させ、更に、手の空いた他の班に協力を仰げば一時間もかからずに動画は作成可能だ。かなりギリギリになってしまうが、明日までという制限を考えれば充分お釣りがくる。文化行事委員の先生方には前年度と同じく怒られてしまうが、提出できないよりかはよっぽどマシだ。

 角山は概ねそんな考えだった。


「で、では!」

「ああ。残念だが原稿は白紙のままだ」

「……は?」


 だからこそ、角山はその言葉を理解出来なかった。

 この男は今、何と言ったのか?


『原稿は白紙のまま』。

 言葉を反芻し、進捗率0パーセントと理解した時、角山はまたも呆然とする他なかった。これでは先程水谷達が言った通りになってしまう。


「嘘……ですよね……?」

「本当だとも。登場人物も、話の構成も、オチも。何もかもが存在しない。ああ、大量の白紙ならあるな」


 一ヶ月前に打ち合わせを行った時、私に任せておけと言って微笑み、髭を剃り落とした顎を撫でていた部長の姿は、しかし何処にも見当たらない。向かいの部長の席に居座る無精髭の男はさて、誰であったか。


 言葉が出ない角山をよそに、濁りきった目を虚空に向け、男は吐息を漏らした。


「考えてもみろ。たかが四十日そこらで何が出来る?」

「し、しかし」

「文集を作るぞ、などと言い出したのは他でもないこの私だが、その私はただの高校生だ。作家でなければ天才でもない」

「ですが……!」

「そもそも諸君が二ヶ月前の会議で私の案を却下するべきだったのだ。止めなかった諸君にこそ非がある。私を責めてくれるなよ」


 矢継ぎ早に続く男の意地汚い自己弁護に、角山を始め、部員達は言葉が無かった。


「それに私の作品がどうだろうと問題はないだろう。諸君は各々の作品を完成させているらしいじゃないか。ならばこの際、私が担当する作品は最初から存在しなかった事にしてしまおう」

「駄目です!」


 ここで反応を示したのは書記補佐の二上だ。


「それだけは絶対に駄目です! 既に文化祭実行委員に提出してある予定表には“部長による高校生活最後の大傑作”なんて銘打たれているんですよ!? いまさら変更なんて出来る訳ありません!」

「それは書記殿が勝手に提出したものだろう? 私の預かり知らぬものだ。そんなものを私のものだと認知したくはない」


 二上は勿論、彼の隣席である書記の中松は、あまりの横暴に頭を抱えてしまった。場を取り仕切る角山も、二人が先んじて行った現実逃避の甘い誘惑に屈してしまいそうになる。


 暗雲立ち込める中、看板班を指揮する川辺に突如として一筋の光が差す。悪魔的閃きであるそれに縋り、自棄のような勢いをもって、彼は全員にその考えを提示した。


「そうだ! この状況を作品にしてしまいましょう! “部長、小説書いてないってよ”みたいな感じで!」

「そのキャッチフレーズはどうなんだ。俺は多方面からのバッシングが怖いよ」

「……いや、逆に良いんじゃないかな。今の状態じゃそれしかないよ」


 川辺の向かいに座る沖田が苦言を呈するも、勢いにつられた傘崎が肯定の意を示す。他の部員もその案に飛びつき、同様に声を上げ始めた。

 彼らには後がなかったのだ。


 にわかに盛り上がり始めた部員達。その喧騒を受けたのか男もまた、僅かに口角を上げる。

 微笑みとも見て取れるそれは在りし日の部長のものであり、角山、ひいては部員達に希望を抱かせた。

 流れに乗っただけの不確かなものではあるが、事態は好転しようとしていたのだ。

 打開策として、その案はこれ以上なく最善のものであった。


「川辺部員」

「はいッ!」

「確かに良い案だ」


 部員達は、この件が既に解決したものだと安心しきっていた。選り好みを出来る余裕などないのだから、今度こそ書いてくれる、と決め付けてしまったのだ。そう──


「だが、そんな恥晒しそのものである自白書を私が書くと思うか? 自身の痴態を自身の手によって作り出せと?それは太宰先生だから許されたのだ。私がやっても面白くも何ともない」


 ──男の矮小さを忘れて。


 男は身勝手な理由で、その最善策を蹴ったのだ。

 もはや、この男の為に頭を使う事などない。部員全員が各々そう決定し、同時に文芸部としての文化祭参加を諦めようとした。


 その時だ。ふと、図書館の入り口の扉が開く音が聞こえた。鬱屈としていた部員達の目が、何事か、とそちらに向けられる。

 それもその筈、図書室は本日に限って文芸部の緊急会議によって貸切なのだ。その申請は執行部に届けているし、万が一を考えてわざわざ立て札まで持ってきた。それでも尚入室してくるような生徒がいるというのは、本校の特色なのだろうか。


 攻撃的な思考を断ち切り、退室を促すべく角山は腰を上げた。

 しかし闖入者はこちらに用があるらしく、ぱたぱたと音を立てながらこちらに向かってやって来た。


 わざわざ会議の邪魔をする為にやって来る名も知らぬ生徒に更なる苛立ちを覚えた角山は、一転して目を疑う事になる。


「すまない、遅れてしまった……っと、おぉ、もう揃っているのか。集合時間は十六時半だが、まぁ早くて悪いという事もないだろう」


 息せききってやって来たのは片手に紙束を持った部長の佐藤であった。髭を剃り、第一ボタンを留め、ネクタイを上げた、三年生として恥じない格好の男は、その目に活力を宿していた。


「ふむ、欠席者は0か。よろしい。ならばそうだな、始めてしまおうか」


 だったら今まで話していた佐藤である筈の不気味な男は誰なのか、と角山は振り向くが、男の姿は忽然と消えてしまっている。部員達は全員が全員、まるで狐につままれたような気分だった。

 そんな下級生達をよそに、佐藤は話を進める。


「さて諸君、今日集まって貰ったのは他でもない。明日に差し迫った文化祭の出し物の件についての報告があるんだ」


 佐藤は一旦言葉を区切り、呼吸を整える。自然、角山達も同じ動作をした。


「随分と待たせたな、これがその原稿だ。

 角山君、受け取ってくれ」


 佐藤が持っていた紙束は原稿であった。所々がよれてしまっているが、それ以外におかしな点はない、れっきとした小説がそこにあった。


「えっ? あ、はい」


 現実味を持たないままにそれを手渡された角山は、他の部員と共に佐藤に向かってぽかんとする他にない。


 そんな角山達に、事情を知らない佐藤が怪訝な顔をして問う。


「どうした、私の顔に何かついているか?これ以上奇怪な顔付きになるのは御免だよ」

「あ、いえ、その……ついさっきまで、部長と話してまして」


 角山の言葉を聞くなり、佐藤の顔に陰りが生じる。それから彼は何かを言おうとして止め、言葉を選ぶように目を伏せてから、悲しみの色を含んだ声音で償いの言葉を紡ぎ始めた。


「角山君……いや、部員諸君も、か。まさかそこまで疲弊させてしまっていたとは……

 全ては私の責任だ。改めて言おう、すまなかった」


 そう言い終わるなり、佐藤は頭を下げた。

 先程までとは打って変わった殊勝な態度に驚きつつ、角山達は、今までの事は全て夢だったのではないかと思う。性質の悪い夢だったのだ、と。

 見渡せば、皆が皆やつれた顔をしている。それもその筈、夜を徹して作業に取り組んでいたのは、なにも角山だけではないのだ。部員全員が集団的な催眠状態に陥っていてもそれは何ら不思議な事ではなく、まして責められる様な事でもない。

 下げていた頭を上げ、佐藤は言う。


「こんな不甲斐ない部長はもはや降りた方が良いのかも知れないが、私にも意地や責任があるし、何より、諸君に対する謝罪の念がある。

 どうだろう、今一度、私に付いて来てくれるか?」


 慟哭のような懇願が終わり、室内に沈黙の帳が落ちる。

 その無音に不安を覚える佐藤であったが、部員達の心は既に決まっていた。

 代表して、角山が口を開く。


「ええ、勿論です!」


 その言葉に佐藤は目頭が熱くなる。胸の内は感謝で溢れんばかりだ。


「……ありがとう、角山君、皆。

 では始めるとしようか。“部長(わたし)部員達(みんな)による、文芸部総出の大傑作”を!」


 佐藤の宣言を皮切りに、部員達は一斉に立ち上がり、力強い返事を返した。

 掲示物を担当する者はお互いに目配せをし、その指揮を執る者はそれぞれがまとまって打ち合わせを始め、残る物達は佐藤と角山の元に集まってパソコンを机に並び出す。


 にわかに騒がしく、そして慌ただしくなった図書室内。

 文芸部は、今まさに団結したのだった。

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