120 原初の言葉
ああ死ぬ。
俺が消える。
俺が終わる。
前世の俺、茨木鈴は何度も死にかけた。
人間として限界までの頭脳や肉体を手に入れた結果、俺はあらゆる組織、国家から狙われた。
俺を捕えようと、或いは殺そうと訓練を受けた人間が何度も送りこまれた。
平穏に暮らせるようになるまで俺は何度も戦い死にかけた。
それでも生き残り、しかし茨木鈴は戦うことと関係なく死んでいった。
転生して生まれ変わりスズ・ロゼリアになっても戦いから離れることはできなかった。
当然だ。
生きることは戦うことなのだから。
俺はあまねく存在を喰らう暴食の鬼。
何かを食べるには何かを手に入れなければならない。
それは生命を奪うこと。
奪うためには戦わなくてはいけないのだ。
彼らも奪われないように必死なのだから。
そんな俺にも愛する存在ができた。
愛してくれる存在ができた。
奇跡だった。
茨木鈴は自分が一番大切だった。
食べることが一番大事だった。
それしか満たされることはなかったから。
ゼンジローたちとは友達であったが、真の意味で彼らのために命を懸けることはなかっただろう。
だけど、この世界では自分の命も惜しくないと思えるような存在がいくつもできた。
こんな気持ちは初めてだった。
食べること以外にここまで満たされると思ったのは初めてだった。
契機が訪れたのは両親が死んだとき。
初めて訪れる途方もない消失感、怒り、悲しみ。
負の感情に雁字搦めに囚われ、何も見えなくなった時に彼女は俺を救い出してくれた、温かな愛で包み込んでくれた。
それはどんなに美味しい食事よりも俺を満たしてくれた。
初めて本当の愛を知った瞬間だった。
自分を知った瞬間だった。
俺は彼女と出会えて幸せだったのだ。
こんなに満たされた日々は初めてだった。
楽しい毎日は初めてだった。
茨木鈴は知らなかった。
だけどスズ・ロゼリアは知ったのだ。
食事なんかよりも自分を満たしてくれる存在がいると。
すべてに置いて何よりも大事な存在がいると。
だから俺は帰らなければならないのだ。
彼女の元へ。
......なんで俺はこんなことを考えているのだろう。
ああ、これが走馬灯ってやつか。
らしくない。
でも仕方ないのかもしれない。
意識が朦朧とする。
もう立っているのかすらわからない。
もともと立つことすらままならなかった。
そんな俺が力を振り絞ったところで何もできないのだ。
思うように動くことができずジブリールに殴られ、蹴られ、斬られる。
未だに生きているのが不思議なほどだ。
存外俺はしぶといらしい。
だけどそれももう終わる。
ああ、ごめんシアン。
約束守れないかもしれない。
「死ね」
目の前の存在が振り下ろす刃。
俺はこれで死ぬのだろう。
......あれ、この声は。
ー▽ー
「スズ!?」
シアンは立ち上がる。
愛する存在の危機を感じて。
結ばれた魂の鼓動が弱まるのを感じて。
「シアン様?」
「いやっ、スズ、ダメです!!」
天使が全滅したのでシアンの元に帰還したセレスがシアンの様子に訝しむが、シアンは半狂乱だ。
「シアン様、落ち着いてください!! スズ様がどうかなさったのですか!?」
「スズが、スズが消えそうで。いやだ、私を置いていかないでっ!!」
主人がピンチだという情報に不安になるが、今は半狂乱のシアンを落ち着かせるのが先である。
主人にシアンのことを頼まれたのだから。
『落ち着け』
その時、どこからともなく声が聞こえてくる。
凛として重みのある声だ。
二人は知っている。
声の主を。
「ルシア様?」
『歌え』
「え?」
『歌うんだシアン。心を込めて響かせろ』
それだけ言うとルシアの声は聞こえなくなった。
シアンに戦う力はない。
でも、スズを救う力はある。
アドバイスはもらった。
狂乱して喚いていてはだめだ。
喚くのではなく、声を届けるのだ。
シアンにはそれしかできないが、それでスズの力になることはできる。
この場にスズはいない。
いる場所も特殊な場所だ。
それでも届けなければならない。
シアンは紡ぐ。
原初の言葉。
歌を。




