第四話
「あ、きみここに居たんだな!」
見つけたと言わんばかりの口調に、シュリは思わず首を竦めた。
ここは王宮内の奥向きから庭へと通じる道の途中だった。本当なら今日にもここを発つつもりが思わぬ予定変更を強いられたため、さて何をしようかと思った時。
ふと、思い出した場所があったのだ。
あの時植えた花は、まだ咲いているだろうか。
あの人が居なくなってから、訪れなくなった場所だった。
もうここへは来ないんだし、最後に行っておこうかとシュリはその場所に足を向けようとして。そして、不意に飛んできた声に驚く羽目になったのだ。
何だかどこかで聞いた声のような気が。
恐る恐る振り返ると、そこには昨日会った青年が、満面の笑みを浮かべて駆け寄って来るところだった。
背が高い割に俊敏そうなのも、首の後ろで束ねた白金の髪がひらひら後ろになびくさまも、何だか賢そうな犬を思わせる雰囲気だ。きらきらと薄青の目を輝かせている様も。
うわ、なんであの人がここに。シュリは顔を引きつらせてしまう。
青年が何のつもりで自分に声をかけるのかその理由がわからなくて困るのだ。周りを見回しても、助けになりそうな人影は見当たらない。ここは奥向きと客人の泊まる棟との中間あたりだから、貴賓である……他国の王子であるこの青年が、通りかかってもおかしくはなかった。
こんなことなら、アレスについてきてもらうんだった……っ。
後悔しても遅い。
青年はシュリの手を取るなり、ねえきみここ詳しいんでしょ?案内してよと無邪気に顔を覗きこんでくる。
人懐っこい犬のような仕草は、微笑ましいような気もするのだけど。
この方、絶対わたしを年下だと思ってるね……ま、カイトが自分の従者だって言ったから、だろうけど。
名前は確か……。
「ええと、アベラールさま?」
「うん、なに?よかった僕の名前、覚えててくれたんだな!」
にこにことさらに微笑まれ、シュリは密かにため息をついて、昨日の事を思い返した。
即位式に、シュリは出られない。臣下に下っているから王族ではないし、そして臣下として与えられた地位も低かった。もちろんシュリ自身がそれがいいと前国王に言い張った結果だった。
アレクシオスは、今の立場がどうであれ、私の兄上である事には変わりありません。私の権限で取り計らいますからと言ったが、シュリは首を横に振り続けた。最後には弟も折れたが、その代わりに宴には出るようにと約束させられてしまった。
私の即位式も見ていただきたかったのですが、仕方ありません。なれど、エルミナの婚約披露の場には居てやって下さい。
そう言われては、頷くより他はなかった。
弟には式には出ないと言ったものの、実は見ないとは一言も言ってない。
即位式の日。目立たない衣装に着替えたシュリは、従者のふりをして式典会場の隅に紛れ込んだ。
人波の向こうに豪奢な衣装を身にまとい、金の冠を戴いた弟の姿が見える。 王宮づき魔術師の姿もその横に見えた。
え、まさか、この距離で気付かれた?魔術師の焦げ茶の目が、こちらを見た気がした。その目はすぐに逸らされ、腰をかがめた弟の頭に手をかざし、何やら祝いの言葉を呟いている。
その言葉が終わり、弟が顔をあげて新王即位を宣言した。
たちまち上がる歓声と、地を揺らすような雄たけびの声。
居並ぶ自国の貴族や騎士たちは声をあげ、列席の他国の王族や貴族、外交官たちは拍手をもって新王を寿いでいる。歓声と熱気が渦を巻いているようだった。
ああ、これで一段落したなとシュリは密かに思った。
その時感じたのは大きな安堵と、少しの寂しさ。初めて会った時はまだ自分より背も低くて体も細かったのに。今では体も大きくなり立場に相応しい行動と言葉を身につけ始めている。それは他の弟妹も同じ。
本当にみんな、大きくなったんだなあと嬉しいような寂しいような複雑な気持ちで息を吐いた。
即位式じたいは済んだ事だし、とシュリは人波を抜け、そっと外に出る。 会場の外は中とは打って変わって静かで、遠くで鳥の鳴き声も聞こえていた。日が落ちて宴が始まるまでの間、さてどう過ごすかなと人気のない廊下を歩きはじめたとき。不意に横合いから出てきた人影にぶつかりそうになってしまった。
「え、っ、わあっ」
「うわ、ごめんねっ」
咄嗟に避けようと体を捻ったものの、バランスを崩してたたらを踏む。後ろへのけ反ったシュリの腕を相手は掴んでくれたのだけど、シュリの体が軽いのか相手の力が強かったのか。勢い余って、相手の胸に飛び込む羽目になってしまった。思いきり、鼻先をぶつけてしまい、涙目になる。
「いたたた……」
ていうか、この人って誰。鼻を押さえながらシュリは顔をあげて、そして内心で呻く。何この無駄にきらきらしい人は。身にまとう衣装から考えるに、他国の貴賓……おそらく王族だろうと見当をつける。シュリの視線に気付くと、何やら目を細めて楽しそうに笑う。
……取りあえず謝罪して礼を言って、体を離してもらおう。嫌な予感は気の所為だきっと。
「あの、ご無礼致しまして申し訳ありません。お手を離していただけますか」
そうシュリが頼んでも、腕が離れるどころか更に抱きこまれて、背中や腰の辺りにまで手が伸びている。
とてつもなく嫌な予感がした。
「あの、どうかお放し下さいっ」
「うん?あ~いいねえ、この抱き心地。サイズも丁度いいし。ねえきみ、誰の従者?よかったら僕のとこ来ない?お給金はずむし、条件だってきみしだいだよ!どう?」
「・・・・・は?」
思わず間の抜けた声をあげてしまった。年若い青年は機嫌よさそうに笑いながらも、腕は離してくれない。
仕方ない、とシュリは零れそうになるため息を呑みこんだ。
「あの、わたしは今の主のもとを離れるつもりはありません。用事を言いつけられておりますので、どうかお手を離していただけませんか」
「ええ~……」
不満そうに青年は眉を下げるが、すぐに、いい事思いついたとばかりに勢いこんで言った。
「じゃあさ、きみの主って誰?僕が直接話をつけるよ。それならいいだろう?」
よくない、と声を大にして言いたかった。もちろんシュリに“主”などいない。あくまで方便だ。
どうしようとシュリは焦りはじめる。
囲い込む腕から抜け出す事も出来ず、(手段を問わなければ出来るだろうが、後の騒ぎが恐ろしい)困り果てていた時。
思わぬ救い主が現れた。
「アベラール殿下、こんなところで何をしていらっしゃるんです」
背後から聞こえてきたのは、弟の……カイトの声だった。助かったと思うと同時に、内心冷や汗が出る。こんなところで、従者の格好をして何をしていたんだと、後で問い詰められるに違いない。
アベラールと呼ばれた青年は、悪びれたふうもなく答えた。
「うん?ちょっと従者の勧誘?ほらこの子可愛いし!」
腕の中に抱き込まれたまま、ぐるりと体を反転させられて、カイトと真正面から視線があった。
とてつもなく気まずい。弟の口元には笑みが浮かんでいるものの、目はちっとも笑っていなかった。
うわ~そういう笑い方すると、アレクシオスとそっくり。嫌な所は似なくていいのに!
「カイト殿下、この子の主って誰なのかな。この子主変えるつもりはないって言うからさ、僕が直接交渉しようって思うんだけど」
へえ、と呟くカイトの声は冷え冷えとしている。ちょっと頼むから本当に助けてと目で訴えた。
仕方ないとでも言うようにカイトは息を吐き出す。
「殿下、そのものは実は私の従者でして。色々至らぬ点もありますので殿下にお譲りするわけには参りません。それに、用事を幾つか言いつけておりますので、お手を離していただけますか」
「え~……わかったよ、仕方ないなあ」
不承不承といった様子でアベラールは腕を離す。すぐさまシュリは距離を取り、二人に礼を取ると後ろも見ずにこの場を後にしたのだった。
とんだ冷や汗をかいてしまったが、今後顔をあわせる事もないだろう。
シュリは妙な青年と出会った事を綺麗さっぱり忘れる事にした。
あの出来事のせいで、即位式の余韻など何処かに飛んでしまったじゃないか。
この件について、カイトから問い詰められるかと思っていたのに、それはなかった。多分、式典やら宴やらで草臥れ果てていたのと、自分が“明日出発するからね”とのんきに言ったのが原因だろう。
このまま忘れていて欲しいとシュリは思った。これがアレクシオスの耳に入れば、冷ややかな笑みを浮かべて心に突き刺さるような棘だらけの言葉をくれるに違いないから。
うん、原因が自分にあることは、わかってるけどね。
ため息をひとつ零して、全部まとめて記憶の中に放り込んだつもりだった。
そういえば、アベラール殿下って、妹の婚約者候補にあがっていたな……と、思い出した事も全部。
それなのに。
何故彼は自分の目の前で、きらきらしい笑顔を振りまいているのか。シュリは気が遠くなりそうだった。関わり合いになどならない筈だったのに。取りあえず握られたままの手を取り返そうと、覗きこんでくる顔を見上げる。間近で薄青の目と視線が合い、ぎょっとしてしまう。ちょっと顔が近いんですけど!
「あの、アベラール様、私は用事がありますので……」
「ええ~ちょっとくらいいいじゃない。お客様を案内するんだから、多目に見てくれるでしょ?きみの主も今応対で忙しそうだったけどね」
それとも緊急の用事かな?にこりと微笑まれ、そこで急用だと言えればよかったのだろうが。どこからシュリの様子を見ていたのか知らないが(気を抜き過ぎですとアレス辺りには怒られそうだ)まったく呑気そうに歩いているのを見られていたとしたら。急用などなさそうなのは知られているだろう。
今回は弟の助けは期待できそうにない。仕方ないなあとこっそりため息をついた。あまり頑なに拒絶して怒らせるのもまずいし。
「……わかりました、わたしでよろしければご案内いたします」
「ほんと?よかった~」
子どものように歓声を上げられては、もう苦笑するしかない。こうなったらあまり人目につかない場所を選んで……などとシュリは頭の中で候補をあげていく。
公の場に顔を出してないシュリの顔を、殆どの人は知らない筈だ。他国の王子の案内をしていても、ただの従者だと思う筈。
まったく、人目につきたくないのに、なんでこんなきらきらしい人の傍を歩かなきゃいけないんだとシュリは内心愚痴をこぼしていた。
何が楽しいのか、アベラールは鼻歌まじりに歩いている。
予定は狂うものだとシュリは悔しいほど晴れた空を恨みがましく見上げたのだった。
「あの、アベラール様、お手を離していただけませんか」
「ええ、いやだよ。手繋いでたら迷わないからいいじゃない」
「・・・・・・(そういう問題じゃないっ。あ……思い出した、このひとって確か……っ)」
「ふふふ、可愛いねえ。殿下がいいよって言ってくれたら、僕の所に連れて帰るんだけどなあ」
「……お戯れを仰らないで下さい。手を離して下さらないなら、ご案内いたしませんよ?」
「は~い、わかったよ。これでいいでしょ?」
「アリガトウゴザイマス。(何で礼を言ってるんだか。理不尽だ。本当に何でわたし相手に“眩しい笑顔”なんて向けてるのっ。無駄遣いもいい所だろうっ。若いお嬢さんに向けてればいいのにっ。やっぱり、調査書にあった、どっちもイケるっての、本当だったんだ……エルミナの婚約者候補から外してよかった、かな)」
「うん、なに?僕の顔じっと見つめちゃって。照れるなあ~」
「……(別に見つめてないし。なんで頬を染める!)それではご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
「は~い。ところで、明日も時間ある?僕につきあってよ」
「……主に聞いてみませんと。そのうえでお答えいたします(ないない、そんな暇はないし嫌だ。カイトに頼んでおかなきゃ……ああカイトとアレクシオスの笑顔が目に浮かぶよ……)」