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追いかけっこ  作者: 水花
1/8

逃走への前哨戦

本編のプロローグです。

「さてお前、私が居なくなったらこれ幸いと、どこぞへ行くつもりであろう」

「……陛下、一体何のお話か、わかりかねますが」


 

 脈絡のない言葉に、困惑したふうに眉をひそめる息子。

 しかしあまり親を見くびるものではないぞと鼻で笑う。ずっと以前から“それ”には気付いていたが、手元に置けるうちはと敢えて見ないふりをしていた。


 今は居ない人の面影を色濃く残すものを、どうして手放せよう。

 現在の状況は色々と煩雑な事情が重なった結果で、当の息子にとって不本意なものであったことも知っている。

 それでも……様々な“事情”を知る息子だから、これまでは此処に……息子にとっては居心地が悪いばかりの場所に居てくれたのだ。

もっとも、何のかんのと理由をつけては、ここを離れることもしばしばあったが。

 

 それでも、必ずここへ戻ってくれていたのだ。

 ただそれは、これまでの話。


 自分が居なくなり、恙無く物事が動くようになれば……そうでなくとも事が一段落すれば、おそらく確実に。

 この息子は此処から居なくなる。

 そして、理由をつけて此処へは二度と足を踏み入れまい。

 それを他の子どもたちはどう思うか……薄情な兄だと罵り呆れ、その果てに忘れ去ってしまうだろうか。

 それこそを、この息子は望んでいるのだろうが……その望みだけは叶うことはないだろう。


 さてどうしたものかとため息をついた。

 病を得てからというもの、起きあがれる時間は減ってゆき、今では一日の殆どを寝台の上で過ごしている。

 王としての仕事じたいは、王太子として立てた二番目の息子が引き継いでいる。

 まあ及第点と言う所だ、と宰相は厳しい事を言うが、あまりに引き継がせるのが早かったのだ。多くを求めるのは酷というものだろう。

 おそらく宰相はそれを分かったうえで、敢えて厳しくしているのだろう、が。

 成人と同時に……もしくは、自分が居なくなったと同時に王位に就かねばならない王太子のために。

 あと僅かでいいから時間が欲しい。そうすれば……いや、望みだせばキリがないなと再びため息をつけば、怪訝そうな声が降って来た。

「……陛下、どうかされましたか」

 枕もとに運んだ椅子に腰掛け、息子はこちらを覗きこんでいる。

 とうに成人しているにも関わらず、線の細い様子からか、年を聞けば大抵の者が驚くだろう。穏やかな声は一時も留まらない風のようだった彼女とは、あまり似ていない。そして作る表情も。

 それでも……顔かたちの中には彼女の面影が濃く残っている。

「陛下?」

「陛下などと他人行儀な。父上と呼べ」

 寝台に横たわったままじろりと睨みあげると、息子はそうは言ってもですねと首を傾げる。

「わたしは臣下に下っていますから、陛下とお呼びするのが妥当かと」

「私が構わぬといっている。それにここは公の場ではない。肩苦しい呼び方はよせ」

「はいはい、仰せのままに。ところで父上、わたしに何かご用事ですか」

「どこぞの誰かが、親が伏せっているというのにちっとも顔を見せぬのでな。顔を忘れてしまわぬようにと呼びつけたまでだ。一体どこで何をしていたのやら」

 どこぞで遊び呆けていたことやら。この忙しいときに呆れた長子どのだと煩く言う者もおるぞと言葉を続けると、息子は首を竦め、ばつが悪そうに視線を逸らした。

 ええまあ、ちょっと色々ありましてね、などと言を曖昧に逃げてしまう。

 それにため息をつく自分を見て、ますます眉を下げてしまうが。

 こちらが呆れているのは、息子が思うのとは全く違う理由であることなど……わかっていないのだろう。

 

 呆れているのは、何も言わない事に対して、だというのに。

 どれほど周りから呆れられ、嘲笑されても本当の事は言わないのだろう。 誰にも、そして弟たちや妹にも。

 自分も、そしてあれらも見くびるでないとそれこそ呆れてしまうが、何を言ったとしても息子の心に響かないだろうことも、わかっていた。


「まあよい、一応元気そうであるから何も聞かぬわ。どこで何をしていたかとは、な。聞いたところでお前は答えまいし。まったく、そう言う所はあれによく似て頑固だ」

 腹が立つくらいになと言えば、息子はいささか不満そうな顔をした。

「わたしはそんなに頑固ものですか、ねえ……」

 至って素直で扱いやすい部類だと思っていましたがと腕組みをして心外そうに呟く。

ふん、と鼻で笑ってやった。

「お前も己を知らんな。誰だ、こちらが引き留めるのを振り切って臣下に下ったのは。おまけに辺鄙な領地に引っ込むなり、再三の呼び出しも無視しおって。おかげでお前の兄弟たちは、自分の兄の顔も長く知らなんだではないか。お前の母も同様だ。側室でなければここには来ぬと言いおって……本当に、お前たちは揃ってどうしようもない頑固者だ」

 そうですかねえと息子は困ったように笑う。

 その顔によく似た別の顔が重なり、脳裏にありありと浮かぶ面影と、声。


“ねえ、わたしは側室でなけりゃ、あなたの所なんか行かないわよ。で、子どもが産まれたとしても、その子は絶対に後継にしちゃ駄目よ。何故ですって?面倒な事になるのが目に見えてるじゃないの!その約束を守ってくれないなら、わたしは姿を消すからね。探しても見つけられない所へ行くわ”


 彼女の言葉に、自分は頷くしかなかった。頷かざるをえなかった。

 そうして。彼女は自分の元へとやって来て、永遠に去り。

 今度は自分の番が回ってきたというわけだ。

 自分では案外遅かったなと思っているが、彼女からすれば文句の一つも出るかもしれない。あんまり来るのが早すぎると。


「頑固というか、自分がこだわる事には、譲らない人でしたからねえ。あちらで会ったらよろしくお伝えください。わたしはそれなりにやっておりますよと。そのまえに、母から怒られるのは覚悟して下さいね。来るのが早すぎると怒るでしょうから」

「これでも遅いくらいだな。もっと早く行きたかった。私はお前の母を一番……」

 その先は言葉に出来なかった。きっぱりとした声に遮られたからだ。

「駄目です。それ以上は口にしてはいけません」

「……正室も他の者も、もう居ないというのにか」

「そうです。口にして、母が喜ぶとも思いませんし、敢えて口にする必要がありますか」

 そうだな、と頷いた。色々煩い時期だ、誰の耳に入るかもわからない。余計な火種を作るまいとしているのだろうが……それは無用の心配だった。

 わざわざ口にせずとも他の皆は知っていた事だった。当の本人だけが最後まで気付かないままだった。そして彼女が生んだ息子もまた。

 まあいいと面影に呟く。ここで言えずともあちらで会えたら、溺れるほど言ってやろう。その時どんな顔をするか楽しみが出来たと。

「まあよい、ちょっと耳を貸せ」

 手招きをすると息子は何度か瞬きをしたあと、疑いもせずに腰を浮かし、かがみこんでくる。そこへ。

「なんでしょう。え、ちょっとっ」

 細い首の後ろに手を回して思いきり引き寄せた。不安定な姿勢だったからか、あっさり腕の中におさまり、そして顔をこちらの胸元に埋めたまま抜け出せずにもがいている。

「引っ掛かったな。ふむ、確かに素直で扱いやすいか」

「ちょっと、いい加減手を離して下さいっ、窒息させる気ですかっ」

「ああ、悪いな。まさか病人の力に負けると思わなかったものでな」

「どうせわたしは非力ですよ。人が気にしていることを……っ」

 ああ鼻打ったし、膝も打って痛いし、何してくれるんですかとぶつぶつ文句を言う。力は緩めたものの、囲い込む腕はそのままだ。息子は諦めたような顔で大人しくおさまっていた。

「それにしても相変わらず細いな。ちゃんと食べてるのか」

「ご心配なく、ええわたしも出来るならもっと逞しくなりたかったですよ!でもこればっかりは体質でしょうかね……ところでまた何気に人の気にしてること突いてくれましたね」

 不貞腐れたように言う息子。それに思わず笑えばため息がこぼされた。

「ところでいい加減離してもらえますか」

「いやだ」

「ちょっと父上、子どもみたいなこと言わないで下さいよ、まったく……」

「そうそう、諦めが肝心だ。お前がこれからどうするつもりなのかはともかく、お前だけの思惑で上手く事が運ぶとは思わぬ事だな。そうなれば時には諦めが肝心だぞ」

 今までお前に強いてしまったようになと苦く笑えば、息子はいいえと首を振って答えた。

胸に残る面影とよく似た顔で。


「いいえ、わたしは自分の望まぬことなど、した事はありませんよ。今までもこれからも」

 

 全ては自分の望みと言いきるか。腹の底から笑いだしたくなった。

 本当にあれによく似て恐ろしいほど頑固でつよいものだと思った。

「まあお前がどこでどうしようと構わぬ。その頃には私は居らぬしな。ただ元気で居てくれればそれでいい」

 そう言って、額の髪をかきあげ、露わにしたそこへ唇を落とす。

幼い子どもに贈るようなそれに、息子はためいきをついた。

「父上、わたしの歳知ってます?子どもじゃないんですけどねえ」

「勿論知っているとも。まあお前が私の子どもであることには変わりはなかろう。諦めろ」

「はいはい、わかりました」

 温かいものを腕に抱え、穏やかな声を聞いていると次第に眠くなってきた。

 それに気付いた息子がそっと囁いてくる。

「父上、お疲れですか」

「ああ……少し眠る。ああこのままでいいと言うのに」

 腕の力が緩んだ隙に、息子はするりと身をひいてしまった。離れた体温が不満で恨みがましく見あげると、仕方ないですねえと返される。

「はいはい、ここに居ますから、ちゃんとお休み下さい」

 上掛けを首元まで引き上げられ、子どもにするようにぽんぽんと寝具の上から叩かれる。子どものような扱いは面白くないが、次第に瞼が重くなり、どうにも目を開けていられなくなった。

 まだ話したい事があった気がするのに。


「……父上、お休みですか?……あちらで母に会ったら、よろしくお伝えください。いずれわたしもそちらに行くでしょうから」


 莫迦者、お前は出来るだけ後から来い……その言葉が声になっていたかどうか。

 眠りに沈んでいく自分に知るよしはなかった。






                          




次から本編が始まります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

よろしければ本編もお付き合いいただけると嬉しいです。

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