文章作法/質問と回答1:単語にかかる疑問符について
某掲示板でご質問頂きまして回答した事項について、補足も兼ねて書き出します。
【質問内容】
疑問符「?」が単語にかかる場合も一字空けするのか。
【示された例文】
こんな名文?にはおめにかかったことがない。
1.セリフ書きとしての文であれば、一文字分の全角スペースを空ける
カギカッコ「」などで括られた内部における作中人物発言として記述された文であれば、一字空けを挿入してください。
これは前投稿「文章作法の注意点まとめ」の[2]項で説明した通りです。
2.地の文における扱いについては、考察を要する
まず、本来の地の文において、上記「示された例文」はそもそも成り立ちません。日本語としておかしいことになります。
いったい「おめにかかったことがない」とは誰の視点と記憶を指して表しているのかといった、作中視点の混同問題を孕みます。また、「名文」という名詞で文を区切るのであればそれは体言止め(あるいはその派生的表現)であり、句読点で区切りをつけるのみとなります。
もし疑問や当惑の意を表したいがための文章であるというのであれば、そのための形容と修飾の言葉をちゃんと前後に書き記すべきです。
例:この奇妙ながらも印象深い一文は、果たして意味の通る名文であるのか、それとも意味の通らぬ迷文でしかないのか、その場に居合わせた誰にも理解の及ばぬようであった。
次に、地の文の振りをしただけのセリフ書きであった場合、についてです。
完全な三人称(客観俯瞰視点/神の視点)と異なり、現代の小説文章では不完全な三人称(背後霊型や憑依型など)または自由間接話法などによって視点の移入を行っている形式であることがままあります。
この後者型の、いわばエセ三人称である場合(※必ずしも悪手ではありません、適性次第です)、本来は地の文が記述される部分において作中登場人物の心情や吐露を表現(記述)していることがあります。
これが「実質的セリフ書き」もしくは「欄外セリフ書き」とでも呼べるものです。本来の堅い日本語文章上の作法としてはNGな、イレギュラーな記述行為となります。
そのため、今回のご質問と例文のような場合において、作法の適用をどう扱えばよいか一見して混乱に陥りやすいことがあるでしょう。こうした場合、要素を分解してみるとよいかと存じます。
a)実質的にはセリフ文だという場合
カギカッコ内における通常のセリフ書きの扱いに準拠すればよいと存じます。
すなわち、一文字分空けてください。
例:こんな名文? にはおめにかかったことがない。
これによって、人物の声としての尻上がりな発音的疑問表現を施せているかと存じます。
ただし、明確にセリフ化した文体へと変じることになります。
(この疑問表現が意図にかなうのであれば、用法として適用も可と言える範囲でしょう。)
b)セリフ扱いではない、地の文そのものだという場合
今回例ですと、そもそも名文として判断つかないような場合に「名文」という表現が出てくること自体から少々おかしなことになってしまうのですが(言葉使いとして)、それでもなお一単語「名文」に対し肯定と否定と疑念を同時に乗せて表したいといった場合、疑問符をカッコで括ることによって地の文中に(無理やり)埋め込むことが可能です。
例:こんな名文(?)にはおめにかかったことがない。
ただし、このやり方は、特殊な詩文や圧縮表現形式の小説といったことでなければ、通常の文章としては悪文扱いの低評価対象となります。ご承知おきください。
(文字数や行数の都合なども含め、他にどうしようもない、という場合以外には用いるべきではないでしょう。)
c)中間的な書き方
上述のaとbを合体させた変形的記述として、次のような形も可能です。
例:こんな名文(だろうか?)にはおめにかかったことがない。
セリフ的ではありますが文章の連続性に対する損ないが少なめ(人物の発声と呼吸の間に移入する深度が浅め)で済みます。また、記号(疑問符)だけに頼らず少しでも日本語として言葉による表現を尽くすことは、文章を書きつづる上において誠意とも言えるでしょう。
最後に、ちょっとした前提論です。
そもそも地の文において、疑問符や感嘆符を使うこと自体が文章作法としてイレギュラーです。(一概に悪手とまでは言えません。ただし、用いるのであれば“承知の上で”そして“意図して”使うものでなくてはなりません。)
例えば、疑問表現の文章であれば、「本当にその通り?」ではなく、「本当にその通りか」や「本当にその通りであるのか」など、記号に頼らない日本語表現が元々可能なのです。
こうした場合、前者の疑問符付きの文は言ってしまえば口語表現です。それは地の文(正しい三人称視点の文語表現)ではないのです。ただし、ここに現代小説の多様な表現形式が関わってくるため、上述したようにいくつかのパターン別れが生じうるわけですね。
よって、表現の行き詰まりを感じた場合(言葉の使い方に不自然さを感じた場合)、まずはもっと丁寧に言葉を尽くした表現(形容)を施せないものか、言い換えの工夫を努めて頂きたいと存じます。そうして文が長くなったとしても一旦書き出した上で、字数を削る必要があったならば表現の圧縮をそれから考えましょう。
手間と労力は要してしまいます。しかし、やった分だけあなたの地力を増していってくれるはずです。
いかがでしたでしょうか。
今回の考察内容、他の事例においても応用の利くところがあるかと存じます。様々に遭遇する事例の中で解決の一助と役立ちましたら大変幸いに存じます。
以上、何とぞよろしくお願い申し上げます。
今回、かなりの急ぎ仕上げであったため、抜けている点などあるかもしれません。申し訳ございません。
もしお気づきになられたところございましたら、ご指摘賜れますと助かります。
2013年08月09日、一部に追記しました。(c項の部分です。)
【追記】
拙作「ぼっちーと オフライン」の最新話「幕間 ~おっさん達の苦悩」にて、まさに今回の後半事例「地の文の振りをしたセリフ書き」を実践しています。
一例として抜粋してみます。
> やはりそこがおかしいのだ。いくら才能があったとしても、二十歳だと? そんな若造の内からあれほどの練達が体現できるものか。時間だけは誰もが公平に流れるのだ。訓練時間の絶対量が足りるわけがない。
これだけ見ても分かりにくいとは存じますが(笑)。「二十歳だと?」の前後が特に該当しています。あえて強調するために、意図してこの表現形を採用しています。(もっと読みやすい表示を望まれる方は作品ページの方へアクセス願います。)
こうして地の文にスペース空きが出来てしまうことは本来の日本語文章としてはNGなわけですが、現代小説文としてはある程度許容されるものと存じます。
なお、「ぼっちーと」は、上述のような人物視点への移入を意図して行っている作品です。引き換えに損なう「文章としての美しさ、レベルの高さ」よりも作中人物への感情移入、共感性を優先して判断した結果となります。
(ただし、作者としての自身に全てを優れて実践できる技量がないことを自覚して見切っているからゆえの選択で、もっと文章技量の高い方であればこんな取捨選択なぞするまでもなく正しく三人称記述として心情描写をやってのけられることでしょう。)
お互いまだまだ修行でござるよ!(゜∀゜)イクゾー