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03 まどろみの底

静かな廊下を足音だけが響いて行く。

全体的に白っぽい廊下は、壁にかけられたランプでほんのりとオレンジ色に照らされている。

延々と続いて行くような光の並びに、ぼんやりと気を取られる。

揺らめく光は、中の光源が蝋燭だからだろうか。

温かなオレンジ色に、ふるりと身体が震えた。

貸して貰った布を強く握りしめて身体に巻きつける。

濡れた制服は重くて、水につかったローファーはかぱかぱと情けない音を立てていた。

先導する老人の背中を遅れ気味について行くと、不意に歩みが止まる。

ぼんやりしていたせいで、足を止めるのがワンテンポ遅れる。

よろめきながらも、どうにか止まれた。

その時、ふっと影がさして顔を上げると先ほどの男の人が立っていた。

どうしたのだろう?

首を傾げていると、そのまますぐに離れていく。

もしかして、身体を支えてくれようとしたのだろうか。

思い至った時には遅く、目の前で老人が開かれた扉の中に入って行く所だった。

無言で示されて慌てて同じように扉をくぐる。

入った部屋は、先ほどと違って温かみのある設えのある部屋だった。

床も柔らかな絨毯が敷かれ、陽光の差し込む大きな窓がある。

カントリー調と言うか、ヨーロッパの古いお家にありそうな雰囲気だ。

友歌は、実際に海外に行った経験はないので、すべてテレビや本の中からの知識だ。

どうして良いか分からずに、部屋の中央に置かれているソファの近くに立ち竦む。

周囲の人たちは、テキパキと動いて壁際にあった暖炉に火を入れたり、どこからかお茶らしき物を用意し始める。

所在なく立つだけの友歌は、ただその様子を眺めるしか出来ない。

「ディア・ミーレ ユノ シィライラ」

老人からやんわりと微笑みかけられて、分からないまま友歌も強張った笑みを返す。

少しすると新たに扉を叩く音が聞こえて、また少し雰囲気の違う人が入って来る。

小柄な友歌とさほど変わらない背丈の少女だ。

手には白っぽい布を持っている。

友歌を見て驚いたように大きな目を見開いた後、老人の元へ足早に近寄る。

小声で何か指示を出している様子に、友歌は落ち着かずに身じろぎする。

「ディア・ミーレ エル クリリノン ロールエイア。アーレ ジュローメ クリリノン」

背後を指し示されて首を傾げる。

あちらへ行けと言う意味だろうか。

動くに動けずいると、そっと掛けていた布が引かれる。

見れば、先ほどの少女が布を引っ張っていた。

請われるままに後について行く。

背後には入って来た物とは別の扉がある。

そこは、また別の部屋だった。

寝室なのだろう。

ベッドが一つとナイトテーブルやチェストが置かれている。

入り口近くで足を止めた友歌を少女が手招く。

おずおずとベッドの近くまで進んだ。

「あ、あの……」

ぎゅっと握りしめたままだった布を取られた。

途端に濡れた制服の冷たさが肌を刺す。

ぶるりと震えた身体を腕で抱く。

スッと差し出されたのは、少女がずっと持っていた白い布。

広げられたそれは、どうやら洋服のようだ。

チュニックのような、ギリシャ神話に出て来るようなさらりとしたワンピースだ。

「これ、着て良いんですか?」

問いかけても、少女は無言でワンピースを差し出すだけだ。

受け取ったワンピースは、やわらかくてとても手触りが良い。

このまま濡れた制服で居ても風邪をひきそうだし、何より部屋を濡らしてしまう。

ただ、まだ髪から水が滴るような状態で新しい服を着るのも気が引けた。

そんな友歌の戸惑いを見透かしたように、少女はまた別の布を差し出してくれた。

タオルとは違っているが、ガーゼに似た大判の布だ。

それを少女は、自分の髪や腕に当てて拭くように促してくれる。

「ありがとうございます」

ありがたく受け取って、まずは髪から拭いて行く。

あの場で、だいたい絞ったとは言え水気はかなり残っている。

ざっと髪を拭って、セーラー服のリボンに手をかける。

ちらりと少女の方を見れば、さっと背中を向けられた。

同性とは言え、見られながら着替えるのは躊躇われるから、少しホッとする。

ずっしりとした重みを感じる制服の上を脱いで、身体を拭いた布の上に重ねる。

下に来ていたキャミソールも躊躇ないながらも脱ぐ。

ただ、下着だけは迷いながらそのままにした。

濡れたままなのは気持ち悪いが、脱いでしまうには抵抗が強すぎた。

もう一度、気休め程度にだが下着の上から叩くようにして水気を取る。

それから用意して貰ったワンピースを手に取る。

襟元と裾には、銀色の刺繍がされている。

ゆったりとしたデザインだから下から被るようにして着こむ。

袖は長く、袖口はひらりと長く開いたデザインだ。

こんな時ながら、今までに着た事のないワンピースは可愛らしくて少しだけ気分が上向きになる。

「あの……」

着替え終わった事を知らせようと声をかけると、じっと待っていた少女はくるりと振り返った。

友歌の恰好を上から下まで見ると、少し首を傾げてからぱちんと手を打つ。

何か間違っていたのだろうかと自分の恰好を見下ろしている間に、少女はベッドの上に置いてあった箱を開ける。

中に何が入っているのかは、友歌の位置からは見えない。

少女が取り出したのは、水色の長い布だった。

シフォンに似た薄く柔らかい布だ。

両端に行くにつれて徐々に薄い紫色に変わって行く。

キレイな色だなと見ていると、その布を持った少女が友歌に近づいてウェストの少し上の辺りに巻き付けて行く。

くるくると二周ほどさせると背後でリボン結びにする。

何処となく満足気な少女に、友歌はほんの少し口元を緩めた。

もしかしたら友歌よりも年上なのかもしれないが、キビキビとした行動や余り変わらないようでいて見ていると伝わって来る感情の推移が可愛らしく思えた。

最後に、箱からサンダルを取り出して友歌の前に置く。

ベージュ色のサンダルは足首で革ひもを巻きつけるようにして履く物らしい。

確認のために、少女を見上げると大丈夫と言うように肯かれる。

どうにか着替えが終わると、ホッと息を吐いた。

新しい衣服はさらさらとして気持ちが良い。

脱いだ制服が気になったが、すぐに少女が扉を開けて元の部屋に戻るように指し示す。

折角、少しだけ浮上した気持ちがすぐに現実に引き戻される。

ぎゅっと胸元で手を握り合わせて小さく息を吐いた。




最初の部屋に戻れば、白ひげの老人がソファに座って待っていた。

友歌が顔を出せば、即座に立ちあがって出迎えてくれる。

手振りでソファをすすめられ、濡れた下着が気になりつつも、ソファの端の方に腰かける。

テーブルには、友歌の為にお茶も用意される。

温かな湯気がたつお茶は美味しそうだったが、手を付けて良い物か迷う。

「イェ ユール」

老人がカップを持ち上げるのを見てから、友歌もお茶に口を付ける。

紅茶に似た香りのお茶は、かすかに苦みがあって後味が甘い。

じんわりと身体が温まっていく。

全身の強張りも一緒に解けて行くようだ。

顔色の戻って来た友歌を見て、老人はことりとカップを置いた。

「ディア・ミーレ」

呼びかけられて顔を上げる。

いい加減、その呼称が自分を指す物だと言う事に気付いていた。

意味は分からないが、何がしかの尊称なのではないだろうか。

友歌が検討を付けられたのはそこまでだ。

「ディノ レス ソルブラーレ」

ゆっくりと向けられた言葉と共に、老人が自分の胸に手を置く。

首を傾げた友歌に、もう一度くりかえす。

「ソルブラーレ」

とんっと胸を叩くように再度言われた言葉が、ようやく名前なのではと思い当たる。

「ソル、ブラーレ……?」

繰り返せば、大きく肯かれた。

「ヤ― ディノ レス ソルブラーレ。ツィア レス ディア・ミーレ」

たぶん、きっと目の前のご老人はソルブラーレさん。

もしかしたら、ディノさんかもしれないが、たぶんソルブラーレさんだろう。

そして、恐らくこちらの名前を聞かれているのだろう。

もう単語の一つとして聞いた事のない言葉なので、当てずっぽうでしか理解できない。

「友歌……」

「ンン?」

「日野坂友歌(ひのさか ゆうか)、です」

「ヒノーサユーカ?」

ソルブラーレが噛み含めるように友歌の名を繰り返す。

「えと、友歌。ゆ、う、か」

何度か告げるとソルブラーレは得心したように肯く。

「ユーカ」

「はい」

伝わった。

それだけの事が嬉しくてパッと表情が明るくなる。

だからこそ、一瞬、室内にいた人間たちが微妙な反応を見せた事には気付かなかった。

「アルミア、フィン・シーデリアン」

ソルブラーレが顔を上げて誰かの名前の様なものを呼ぶ。

「ヤ― ガァル・ソルブラーレ」

「ヤ―」

二つの声が応えて、ソルブラーレの横に立つ。

若い男と少女の声。

二人とも友歌は、知っている顔だった。

少女は、先ほど着替えを手伝ってくれた人だ。

クリーム色の幅広のヘッドドレスと同じ色のエプロンドレス。

チョコレート色の髪は一つにまとめているが、くるくると巻いた髪が頬に一房かかっているのが大人っぽくも見えた。

くるりとした大きな目がまっすぐに友歌を見ている。

その隣に立つのは、友歌に羽織る布を貸してくれた人。

改めて見るとすらりとした背の高さに驚かされる。

柔らかそうなオレンジ色の髪の間から鮮やかな緑の瞳が覗いている。

「ユーカ。ロア ツィ キアスレッサ」

ソルブラーレが二人を示して、何事かを言う。

分からないまま二人を見つめると、少女が一歩進んで軽く膝を曲げた。

「ウェレインアーレ ディア・ミーレ。ディノ レス アルミア」

「……アルミア?」

「ヤ―」

辛うじて名前だろうと言う部分だけを聞き取って返せば、にこりと笑い返される。

初めて見えた笑顔に、ホッと安堵する。

アルミアは、大きな瞳とキレイな顔立ちに相まってあまり表情を変えない。

そんな所が彼女を人形めいてどこか一線引いて見せていたが、そこに表情が乗ると一気に親しみやすさがわく。

「ジュニスレートス ディア・ミーレ。ディノ レス リッセルアム・シーデリアン」

こちらの名前は、どこからどこまでか聞き取れなかった。

アルミアとは、言っている事が違っているし、後半も何だか長かった。

よほど困ったような顔をしていたのだろう。

「リセ……?シーア……?ジュニ?」

「ユール リシ― ソアーレ。リシ―」

「リシー?」

「ヤ―。リシ―」

優しく緑の瞳に見つめられると、妙にドキドキする。

思わず、パッと視線を外してしまう。

ソルブラーレの方を見ると、こちらはニコニコと笑っていた。

「イェ ユール ニア ノワイン ディア・ミーレ」

ソルブラーレが立ち上がる。

慌てて腰を上げた友歌の前に、アルミアが立ってソルブラーレを見送るように頭を下げた。

リッセルアムも同じように胸に片手を当てて見送る。

ソルブラーレと合わせて室内に居た数人も退出する。

ぼんやりと出て行く人々を見送って、友歌はぽすりとソファに逆戻りした。

何だか、とっても疲れた。

そして、今まで感じなかった眠気が襲って来る。

そうだ。

眠れば良いのかもしれない。

眠ったら、きっと全部元通り。

「ディア・ミーレ……?」

夢に落ちる境目で、優しい声が聞こえて来た。

それもすぐに遠ざかる。

大丈夫、大丈夫。

眠ったら、全部、元通り。

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