1.それなりに幸せな「瞬間」
鏡の前の今の僕。
紫桃神楽。17歳。
あれから11年が経って、とりあえずそれなりに、高校生をやってる。
相変わらず、「目」が「赤い」。だからって、寝不足とかいうわけじゃなく。
「瞳」が「紅い」。正確には「淡紅色」というのかな。
髪はプラチナブロンド。白く透き通るような肌。
生まれつき、僕はメラニン色素がない。
視力が弱いし、肌も日焼けすることが出来ない。
「先天性色素欠乏症」……「アルビノ」ともいう。
祖母だった人に言われた「気持ちが悪い」は、僕のこういう外見のこと。
そしてお母さんだった人に、とことん嫌われた「存在」。
かつらを取り、コンタクトをはずし、「鏡」の前に現れる本当の「自分」。
「嫌い」とか「好き」とかそんな次元の「言葉」は、もう飽きた気がする。
だって僕は「僕」が「嫌い」だし、「あり」か「なし」なら「なし」の方。
けれど……。こんな「嫌い」で「なし」の人間でも、「好き」と言ってくれて、「あり」とあつかってくれる人たちが増えてくれたおかげで、「いる」、「いない」で考えるなら、自分のことを「いてもいいかな」と考えてることに、最近ようやく気が付いた。
だから今の鏡の前の「僕」を、「好き」になってもいいかもしれない。と、本気で考えられるようになったのかもしれない。
でも、僕は結構、飽きっぽいから、またいつ「飽きてしまう」か、わからないけれど……。
その日、学校から帰ってきてから、軽い眩暈を感じた。
学校にいたときから、調子は良くなかったけど。
なんか嫌な予感がして体温計で計ってみる。30秒ぐらいで「ピピピ」という音がなり
体温計を見て思わず「あちゃぁ」と声を上げてしまった。
「38.0」。こりゃ辛いわ。
また始まったみたいだね。
僕はこんなことは慣れっこなので、慌てず冷蔵庫から「アイスノン」と
ポカリの500mlのペットボトルを取り出し、常備品である「ヒエピタ」の2枚入りを箱から出す。
自分の部屋へ直行すると、部屋着である上下のスエットに着替えて、アイスノンを枕にセット。
ヒエピタを1枚額にぺたり。枕元にポカリのペットボトルを置いておく。
準備は万端。あとは1週間は続くこの長期戦に負けないこと。
そして意識をゆっくり手放した。ってか寝るだけなんだけど。
あせってもしょうがない。こんなときは寝るに限るってこと。
夢を見た。
しばらく思い出すこともなかったのに……。
僕とお母さんだった人の別れの場面。
「元気で幸せになってね」とお母さんが、僕に手を振った直後だったと思う。
怖いくらい背の高い、髪の長い、きれいな女の人が車から降りてきて、僕のお母さんとおばあちゃんを睨み付けて、なにかを言っていた。
おばあちゃんが怒ってる。お母さんはおばあちゃんに寄りかかって泣いていた。
「寒いからこっちへおいで……」
誰だろう?僕を呼んでいる。
男の子だ。僕より少し上のお兄ちゃん。
僕は言われるままに、お兄ちゃんのそばまで歩いていった。
「僕はなおや。今日から君の「家族」だよ」
「……なおや……お兄ちゃん?」
「そう。そして君は今日から「かぐら」になるんだよ。これから僕が君を……「かぐら」を
守るから……。これからずっとそばにいるから……」
また、この夢。忘れたころに見るな……これ。
重しでも乗ってるんじゃないかってくらい、重いまぶたを少しずつ開けた。
光が突き刺さるようにまぶしい。そう感じてすぐにまぶたを閉じた。
こういうときは弱っている証拠。でも僕は落ち着いる。
年に何回も、こういう状況になる時があるから。あっ。そういえばもう12月だけど、今年はまだ2回目だな。最高記録かもしれない。
体温計でもう一度計ってみる。「38.8」。上がってんじゃん。
まだ、頭がぼぅっとしてる。39度近い熱のせいだろうか?体はまるでしゅんしゅんと蒸気を上げ、沸騰しているやかんのような感じがした。
元々体温が低い僕の体は、39度という熱は、いつも40度近い体感体温に感じてしまう。間接のあちこちがしくしくと、音を立てるように痛んでる。
とにかく我慢。今は何も出来ないし、1週間ぐらいで治ってくれるし。
子供のころから、年に何度か定期的にやってくる「行事」のようなものだし。
インフルエンザというわけではないので、誰かにうつす心配もない。
こういう体に生まれついた、こういう僕の「個性」のようなものだ。
と、いつものように「自分」に言い聞かせた。
コンコン。ドアがノックされる。
「神楽……。起きてる?」
希空が静かにドアを開けて入ってきた。
「……少し前に起きた……。大丈夫だよ」
「ごめんね。少し食べたほうがいいと思って、おかゆ作ったんだ……」
ほんのりと、いい匂いがした。希空はトレイの上に小さい土鍋をのせていた。
「……うん。もらう。少し寝たら、おなかがすいたみたい」
「よかった……」
希空は安心した様子の笑顔で僕を見た。
なんか、すごくうれしい……。そんな気分にしてくれる。
「今何時?」
「10時35分」
「僕、そんなに寝てたんだ……?!ってことは。希空、仕事は?」
「休んじゃった。神楽のこと心配だし。和も倭さんもみんな心配してたんだから。
昨日和が帰ってきたら、神楽のカバンがリビングに置きっぱなしになっていたって。
部屋に行ったら神楽が寝込んでるってすごく心配して、あたしの携帯に連絡してきたの。
あたしが帰ってきても、よく寝てたから起こさなかったけど。
学校には尚哉くんが連絡してくれるって。
いつもはメールくれるのに昨日からメールの返事が来ないからって、
朝イチでここに電話きたよ。ずっと心配してたみたい。
一度学校に顔を出して姫香ちゃんに会ってから、こっちに来るって言ってたよ」
うわぁ。僕が寝ている間に、そんな展開になってたんだねぇ。
「ごめんなさい……」
「なんで神楽が謝るの?神楽はゆっくり寝てればいいの」
優しい、優しい希空の声。うれしいを通り越して泣きそうだよ。
ベット脇の勉強机にトレイを置き、希空は僕の上半身を起こすのを手伝ってくれた。
そのまま、僕の額に自分の額をくっつけた。
驚く僕にかまうことなく、希空は心配そうに「まだ少し、熱が高いね……」と呟いた。
「……希空って、お母さんみたいだ……」
深く考えることなく、僕はそれを口にしていた。
本当にそう思っているから。が、すぐに考えを改めた。
千歳希空は23歳。
3ヶ月前からわけありで、僕らと同居をはじめた。
希空は僕から言わせると、とことん「お母さん」な人。
周りにいつも気を使って、「病的」ってくらいの「お世話」好き。
最初は「ウザっ」って思ったんだけど……。
慣れてくると、ちょっと「うれしい」って感じるようになってきた。
それも、誰彼かまわず「お世話」しているというわけじゃない。
希空の「お世話」を本当に必要としている人間を見抜いて……たとえば僕みたいな人間とか。そんな人間のために希空は世話を焼いている。と、思ってる。
それがすごくうれしいと感じてしまう「僕」。
希空は頼りになる若い「お母さん」って、感じの人。だからって17歳の僕は、希空の「子供」という歳じゃない。せめて「弟」ってところだよね。
「うれしいことを言ってくれるよね。
あーあ。神楽ともっと早く会えてたら、もっと楽しいことして、もっと心配して、もっと
一緒の時間を過ごせたのにね。これからはそうするけどさ」
やばい。人が弱っているときに、どうしてそんなうれしいことを言うのさ。
熱のせいじゃない「熱さ」が、目の奥に伝わってくるじゃん。本当にこのままじゃ泣くぞ。僕。
希空はそんなこともおかまいなしで、勉強机用の椅子をベット脇に寄せる。
そしてトレイを自分の太ももの上に置いて、土鍋のふたを開けていた。
「ちょっと熱いからね……」
ふう、ふうと息を吹きかけ、スプーンの上のおかゆを、さましながら希空は言った。
僕は希空が口元に運んでくれる、ちょうどよくさめたおかゆを、口の中へと滑り込ませる。
……あっ…おいしい。
コンコン。また誰かがドアをノックした。
「どうぞ」
僕の代わりに希空がドアに向かって言ってくれた。
「すみません……遅れました」
真面目が取り柄の尚哉が、珍しく髪の毛に寝癖をつけたまま、疲れた様子で僕の部屋に入ってきた。
「少し寝てからおいでって言ったのに……大丈夫?」
希空がトレイを机に戻しながら尚哉に言った。
神宮司尚哉。僕より2歳上の19歳。
僕が6歳のとき、尚哉の家……「神宮司」家に身を寄せて、尚哉とはそこからの付き合い。
尚哉も希空に負けず劣らずの「お世話好きの心配性」。いや、たぶん希空以上。
会ったころから、体の弱い僕を、いつも気遣ってる。
尚哉が中学2年の時なんか、タイミング悪く僕がひどい熱を出して、それを理由にハワイに行く予定だった修学旅行をやめて、僕の看病のために残ったくらいの人。
そんな尚哉のお陰で、こんな容姿の上に、それなりの不幸環境だし。道を外す要素は充分だったけど、現実は、外せるタイミングがなかった。出来なかった、だろうな。
そしてあの夢の「お兄ちゃん」。僕の片思いの相手。
希空と同居になった理由は、そんな尚哉から「尚哉離れ」をしないといけないと思ったから。
それにずっと「神宮司」家にお世話になってるのも、気が引けてたから。
このマンションの部屋の持ち主、尚哉の従兄弟でもある茉莉倭さんに泣きついて転がり込んだ。
このまま尚哉のそばにいたら、僕はなにもかも尚哉にやらせるいやな人間になっちゃう。尚哉にやってもらうことが当たり前って思うような、本当にくだらない人間になっちゃうから。
僕のこんな行動を尚哉はよく思っていないことは、わかってる。
それでもなにかある度に、こうして顔を出してくれている。
……うれしいけど、これじゃ「尚哉離れ」が出来ないのもたしかだよね。
「希空さん……。仕事は?」
「うん。休んじゃった。里湖ちゃんや初菜ちゃんがいてくれるから、お店の方も問題ないし。神楽が心配だもん」
「……ありがとうございます」
尚哉は慌ててきたのか、息も絶え絶えに希空と会話をしていた。
ぼぅとしている僕は、あまり会話の内容を、よく聞いてなかった。
尚哉は会話を終えると、ふうと大きく息を吐き出し、僕を見た。
目が少し怒ってる……みたい。
「心配するだろう……」
ちょっと言葉にどすをきかせてるな。やっぱし完全に怒ってる。
「尚哉くんは朝から、なにも食べてないでしょう?おかゆが少し残ってるから、今暖めて持ってくるね」
「いや、俺は大丈夫です」
「味は悪くないと思うけど。それまで神楽に、このおかゆを食べさせてあげていて」
「す……すみません」
尚哉が恐縮して頭を下げる。
「よく気が付く魔」なら、希空は尚哉より上かもしれない。いや、たぶん「上」。
僕は尚哉と希空を交互に見ながら、熱のせいかハイな気持ちになっていた。
こんなに心配してくれる人たちがいることは、すごく幸せなことなんだよね。
なんて僕には珍しく、「ポジティブ」な気分に浸りながら……。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
「ピュリファイア」の別のお話ですが、この物語から読んでいただいても
わかるようになっています。