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0.僕が産まれた日

「ピュリファイア」のもうひとりの主人公の物語です。

少々BL要素が入りますが、絡みはまったくありません。

ですが、苦手な方はお気をつけください。

 僕が生まれた日。

 それは僕の本当のお母さんにとっては、人生で最悪の日なのだそうだ。

 僕はお父さんの顔を知らない。

 というより、お母さんが僕を身ごもったとわかると、すぐにいなくなったらしい。

 お母さんは僕を産むかどうか、本当に迷いに迷って、それでも産むことを決めて、そして「僕」が産まれた。

 で、僕が産まれた結果は「産むんじゃなかった」ってことだった。


  僕が産まれて、お母さんはいつも泣いていた。

 それは僕が6歳の時まで続いた。

 僕にはお母さんに、「ぎゅっとしてもらった」という記憶がない。

 虐待を受けたことはないけど、お母さんが僕に対して、何かしてくれたという思い出もない。いつも恐々と、「とっても苦手なもの」として見ていたんだと思う。

「お母さんのお母さん」、おばあちゃんが一度、僕に向かってこう言ったことがある。

「お前は本当に気持ちが悪いよ……。とくに「目」が。

 どうしてこんな子が産まれちゃったのかね……。

 だからあんな男はだめだって言ったのに。父親がどうしようもないと、子供もこうなるんだね。

 まぁ、こんな子供は長生き出来ないっていうから、とっとと生まれ変わったほうがお前のためだろうけどね。お前には罪はないけど、恨むなら父親を恨みな。

 こう気持ち悪い姿になったのは、全部父親のどうしようもない「血」のせいなんだからね」

 たしか3歳か4歳ぐらいの時だったと思う。

 幼稚園や保育園にも行ったこともないから、いつごろだったか詳しくは覚えてないけど。

 でもその言葉だけはよく覚えてる。よっぽどショックだったみたいだから。



  あの時。僕を手放すことになった時、お母さんもおばあちゃんも迷いはなかっただろうと思ってる。

 僕がいなくなるのに、お母さんは「元気で幸せになってね」と安心した笑顔で、僕に手を振った。

 僕は悲しいとは思わなかった。強がりでもなんでもない。

 それがお母さんには一番良かったことだし、僕にとっても一番幸せになることだっただろうから。

 今、本当のお母さんに会ったら、僕は何も声をかけることなく、躊躇わないですれ違うことが出来る。

 だって今のその人は、僕にとっては単なる「赤の他人」だから……。



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