11.妹
結局、その日はチゲ鍋に落ち着いた。
希空さんが中心となって、神楽も手伝っていた。
話を聞いて気を利かせてくれた希空さんには、本当に頭が下がる思いだった。
チゲ鍋を5人で囲みながら、冬休み前に、臨時アルバイトとして〔プチ・クルール〕で働き始めた和に話題が及んだ。
「……すごく楽しい……」
和はテレ気味に、それでも笑顔は本当に嬉しそうで、希空さんと出会う前の和に比べたら、それこそ雲泥の差としか言えない。
「和は本当によくやってくれてる。お客さんからの受けもすごくいいんだよ。飲み込みも早いし、初菜も褒めてたもの。里湖ちゃんも冬休みあともバイトで来てほしいって言ってたぐらいだし。もちろんあたしもね」
チゲの野菜を口にしつつ、和はテレながら俯いてしまった。
そんな仕草がたまらなく可愛く見える。
「でも、希空さん。お店はそんな広くないし、初菜さんも異動してきたんですから、和が入ると人員過剰とかにはなりませんか?」
俺はそんな質問をしてみた。
希空さんの店は、店員が2人ぐらいいれば、賄えてしまえるぐらい小さい。
希空さんの他に、初菜さんに里湖、海鈴と4人で十分にシフトが回るらしい。
〔任務〕はいつもではないし、希空さんと初菜さんが〔任務〕の日は、里湖と海鈴が店番、
次の日は逆というシフトなので、店に穴が開くことを防いでいる。
それに何かのときは〔本部〕というか「本社」というか、そこから直々手伝いの人間が派遣されてくるのだから、人員に困っているということがない。他の接客業種から見たら、なんて人に恵まれた環境なのかと、うらやましいほどなのだ。
と、俺が思うぐらいだし、和には確かにいい社会勉強にはなるのだが、これから先もずっととなるとどうなのだろう?
「それがね。今、田中さんから話が出てるんだけど、店の広さを今の倍にするらしいの。
3月ごろ撤退する店のあとに、移るような話があるんだって。
と、なると、人員は必要になってくるし、急に雇うより、和のように今から仕事を覚えてもらった方がいいだろうって考えもあるの。
姫香ちゃんもぜひうちでアルバイトをやりたいって、言ってくれてるしね。だから……」
「いや……それは……」
さすがに言いかけてしまった。それはちょっとまずいだろう?
姫香さんは高校まで、学校というものに通ったことすらないんだし。
俺の言いたいことを察してくれたのか、希空さんはにっこりと笑って
「そう?姫香ちゃん、もう1~2回手伝ってくれてるんだけど、結構筋いいよ」
「……そうだったんですか」
知らなかった。
あれだけそばにいたというのに……。
なんでも、俺が神楽との〔任務〕中に機会があったらしい。
話してくれればいいのにな、と急に寂しい気持ちになった。
と、そういえば、さっきから神楽が妙に静かだ。
辛いもの好きの神楽のことだ。チゲ鍋に夢中になっていると思うのだが……。
俺の考えとは違い、あまり食が進んでいる様子はない。
なぜか和に視線が行っている様な……。
ずっと晶ちゃんのことが気になっている感じだ。
「そういえばさ。さっき、聞き忘れちゃんったんだけど……」
突然倭さんが、俺と神楽を交互に見て言ってきた。
「2人は付き合うことにしたの?」
ぶっ。俺は危うくチゲのスープを噴出しそうになり、神楽は、たぶん豚肉だと思うのだが、それを勢いでごくりと飲み込んだ。
「ほら」
苦しそうにしている神楽は、俺が差し出したウーロン茶をごくごくと飲み干し
「いきなりなに言うんだよっ!!」
と、倭さんに食って掛かっていた。
「えっ、そうなの?!いつもように仲がいいから、ついまだかと……」
希空さんっ。その「まだ」と言うのは?と聞き返したい気分になったが、倭さんの職業病というべきだろう観察眼に、脱帽する思いだった。
「昨日ですよ」
隠しても仕方ないので、俺が白状すると、神楽が「何で言うの?」と非難がましい視線を送ってきた。ま、恥ずかしいのは俺も変わらないんだ。
「そう?で、どっちが受け?」
倭さんっ!!
これには俺は返す言葉を失っていた。時々本当に最低なことを言うよな。この人は……。
「希空さんはどっちだと思う?」
って、希空さんに聞くなっ!!
「あたしに聞いてどうするんですかっ!!」
さすがに希空さんもキレていた。
「……どっちも関係ないよっ!!」
神楽が茹で上がったばかりの蛸よろしく、真っ赤な顔で倭さんに叫んだ。
「そうかぁ?これはかなり重要だろう?
男同士だって、体の関係を無関係には出来ないだろう。
さすがに僕もこれには実体験がないから、そうそうアドバイスは出来ないが……。
その筋の知り合いに声をかけてもいいぞ。
どっちとも受けで、どっちとも攻めじゃ、後々困るだろうしな」
一気に襲う長い沈黙。
ぽかんとしている和に、涼しい顔の倭さん。
あとの俺を含めた3人は、ショックで魂が空中を彷徨っている感覚に襲われていた。
「まぁ、ゆっくり考えなさい。時間はたっぷりあるんだ……」
話を無理やりまとめに入ったよ。この人は……。
とんでもない宿題を突きつけられ、俺と神楽はしばらく立ち直れそうになかった。
★★★
晶は、夕飯もほとんど口に出来ず、自分の部屋のベットでふとんをかぶり泣いていた。
やっとみつけた「居場所」だと思った。
この五式市に越して来てから、1年。
クラスに友人と呼べる存在は少ない。
学校から帰ってくれば塾が待っている。
週5日。たっぷりと組まれた内容に息つく暇もない。
学校帰り、友達と遊んで帰るということは叶えられたことはない。
神楽との出会いは、こんな日常から解き放ってくれる出来事だった。
塾帰り、偶然目撃した、異空間から飛び出してきたような美少年2人。
特に神楽は、月明かりに浮かび上がった横顔が、まるでこの世界の人間ではないような存在にさえ思った。
すぐに見失ってしまったが、これで終わりにしたくなかった。
母親からの謂れのない態度にも、神楽に会えれば変わることが出来ると考えれば、耐えることは十分に出来た。
ようやく見つけた人。離れたくなかった。
塾を遅刻してまで校門で待っていたのも、神楽のそばに少しでもいたかったからだった。
神楽の周りにはたくさんの人がいた。
自分にはない、たくさんの友達に囲まれていた。
そのたくさんの友達の中に入って、神楽のそばにいられたら……。
いや。もっとそばでいることが出来たら。
どんなに素敵な日々が待っているのだろう。
そんなことを漠然と夢見ていた。
そして今日、突きつけられた現実。
急に怖くなった。急に家族が恋しくなった。
神楽のそばにいたいということが、こんなにハードルが高いなんて考えてもいなかった。
今日は家に帰り、塾から数日前からの遅刻のことで家に連絡があったと、父親から怒られた。
理由を尋ねられたが、絶対に神楽とのことは言わなかった。
そして部屋に1人きりになると、父親に怒られたことより、昼間のことが思いっきり悔やまれた。
なんですぐに諦めてしまったのだろう。
これっきり、もう神楽とは会えなくなってしまう。
また、ママに嫌われてしまうかもしれないけど、命をかけても、またあの日々に戻るぐらいなら、神楽のそばにいることを選ぶべきだったんじゃないか。
わからない。でも、神楽から離れたくない。
このまま会えないなんて嫌だ。絶対に嫌だっ!!
晶がベットから起き上がると、パジャマから服に着替え始めた。
神楽の家は知っている。あとをつけて調べたぐらいだ。
もし今から尋ねて行けば、家にあげてくれるかもしれない。
そうじゃなくても、家の前に居座ろう。そうすれば、こんな子供を家の前に置いておくなんてって、近所の人が思うだろう。そうしてなんとしても家に上がりこもう。
そうして住み込みでも、「浄化者」の技を教えてもらおう。
あの「先生」だって言った人は、いつも人が足りなくて困ってるって言ってたから。
訓練をがんばって、神楽のそばにいられるようにしよう。
そうだ。そうしよう。
晶は荷物をリュックにつめ、キッチンで話す両親にはわからないように、そっと玄関を出た。
時刻は11時を回っている。
晶は星が綺麗な夜空の下、はぁと真っ白に染まる息に寒さを感じながら、身震いしたくなるような恐怖感を押さえ、神楽の家に駆け出した。