9.告白
神楽がかなり疲れている
3日前に出会ったあの「畑中晶」という少女のせいだということは、すぐにわかる。
ここ毎日、学校帰りにはいつもあの少女が、高等部の校門前で神楽を待ち伏せしているからだ。
あの少女にしてみれば、ひどく心が傷ついているときに、神楽は光を与えてくれた救世主のような存在なのかもしれない。
しかも神楽は自分と似たような境遇の上に、おそらく一目ぼれという無敵のパワーを身に着けているだろうから、ちょっとやそっとで神楽から、引っぺがせるものでもないだろう。
これに敏感に反応したのが三橋だ。
何日か前に、神楽から三橋は俺が好きだから、俺に近い神楽に絡んでくると勘違いされて、傷ついていたらしい。まぁ、神楽の鈍感さも大したものだと思うが。
天変地異の前触れはやめてくれ、という「元気」のない三橋を初めて俺も目撃したが、
「畑中晶」という少女の登場で、俄然やる気を見せ始めた。
直接言葉にしないものの、あの少女への追求に始まり、昨日はとうとう〔プチ・クルール〕で神楽を待ち伏せするという暴挙に出た。
これには神楽も、精も根も尽き果てたという状態にまで干からびそうなので、希空さんが調子が悪くなる前に帰れと、神楽へ助け舟を出してくれた。
今日は日曜日。
神楽が言う「女難の相」の元凶2人の女性に、希空さんから言い訳をしてくれてから、神楽は自宅待機という形になっている。
外に出た瞬間に、何されるかわからないからな。
「どこにいくの?」
心細そうな声をあげ、玄関に向かう俺を神楽が呼び止めた。
今日、和は希空さんの手伝い。倭さんは出版社との打ち合わせとかで新宿に行っている。
この家には、俺と神楽だけしかいない。
「コンビニだよ。飲み物がないからな。買ってくるよ。すぐ戻るから、少し待ってろ」
「……僕も行くよ」
「いいのか?」
俺がそう言うと、神楽は「うっ」と言葉を詰まらせた。
「飲み物なら、希空がいっぱいストックしてくれてる「お茶」があるよ」
「なんだよ……さっき「コーラ」が久しぶりに飲みたいとか、言ってたやつは?」
また、神楽は「うっ」と言葉を詰まらせた。
「……わかったよ」
俺が玄関に行きかけた足を、神楽の元へと向けた。
「ありがと」
まったく。なにうれしそうな顔をしているんだかな。
神楽のこんなときの顔は……。
ぎゅっ。と、俺は神楽を抱きしめた。
「な……」
最初は驚いていた様子をみせてた神楽も、すぐに俺の体に手を回し、しがみつくように抱きついた。
この騒動のことだけじゃない。こいつのことだ。あの少女が、自分とどういう関係にあるのか、うすうすでも気がついているはずだ。
精神が不安定になっていることも、この「疲れ」の一因なんだろう。
昨日。
姫香さんにしばらく、〔護衛役〕の役目を2~3日休ませてほしいと申し出た。
休んでいい立場ではないことは重々承知の上で。
今までの俺だったら、考えもしないことだ。
正直、神楽がこの状態では、俺もパートナーとしてまともに護衛が出来ないという理由を付け加えた。
姫香さんも状況は知っているようで、「わかりました」とだけ言うと後は何も聞かずに微笑んでいた。
どうも、新しい護衛役を静岡の〔旧本部〕から呼び寄せているらしい。
まぁ。こういう状況が続いているようでは、姫香さんの俺も〔護衛役筆頭〕などと情けないとしかいえないからな。
近々役を解かれるかもしれないな、と倭さんに言われた。
それはそれでいいと思う。
クラスの連中が俺に、姫香さんの「執事」とあだ名をつけていることは知っている。
たしか「執事」は、一生主に仕える者で、立場上色恋沙汰は禁止だったんだよな。
なら、俺はすでにその立場を弁えていないな。
そのとき姫香さんに、うちでやる「クリスマスパーティー」のことを言ってみた。
俺が誘わなくても、希空さんか和が誘っていただろうが。
「いいんですか?」
困惑気味に、姫香さんが聞き返してきた。
「えぇ。ぜひ、お願いします。うちの連中も喜ぶと思いますから」
何気なくそんなことを、俺は言い返していた。
急に姫香さんがくすくすと笑い出した。
「どうかしましたか?」
思わず姫香さんの顔を見た。
「いいえ。「うち」でやるのですね。ぜひ、行かせてください」
惹きこまれそうな、16歳相応の少女の笑顔。
ときどき、姫香さんはこんな笑顔を見せてくれる。
俺はうれしくなり「はい、ぜひ」と答えた後、姫香さんの言葉の意味を理解した。
「うち……か」
俺は無意識に、俺が住んでもいない倭さんのマンションのことを「自分の家」と言っていたんだ。と。
このパーティを企画した希空さんも、やりたいときっかけを出した和も。
楽しみだと喜んだ神楽も、たまにはいいかと呆れていた倭さんも。
そして俺も。
こんなささいな「約束」が、どれだけ危ういものかを、俺たちはいやというほど知っている。だからやりたいんだ。「約束」を果たしたい。
それならば楽しい方がいいに決まっている。
この「約束」が果たされたなら、次の「約束」。そして「次」……。
そんな「ささいな」なことが、俺たちを繋げていく。
そんなことが、俺たちの「証」になっていく。どんなくだらない事でもだ。
だから人は弱くもなるし、強くにもなれる。
こんなことのためにでも、一生懸命になれる自分に誇りを持てるように。
「尚哉……好きだ」
ぽつりと神楽が呟いた。
そうとう精神が弱っているな。俺はなにも言わず、神楽を抱きしめる手に力を込めた。
「……なにか言ってよ……」
「俺も……好きだ」
「家族……だから?」
慌てて俺は神楽から離れた。
そして顔を見つめる。熱は……と自分の額を、神楽の額に当ててみた。
よかった。熱はないみたいだ。
「すぐそうなるよね……。いいよ、言ってみただけ」
神楽は拗ねた顔をして、俺から視線を背けた。
「家族じゃなきゃ……どういう意味だ?」
「ん……。か……「彼氏」になってよ」
俺は再度、神楽をじっと見つめた。顔は完全にそっぽを見いてるが、耳が異常に赤い。
どんな想いでこれを伝えているか、それだけでもよくわかる。
俺も頬が熱くなるのを感じる。どう伝えていいか、どう伝えれば伝わるのか。
ずっと悩んでいたことだ。
「彼氏で……いいのか?」
神楽が俺の言葉に反応して、人間の顔等身大のトマトかイチゴか、というくらい真っ赤な顔で俺を見た。
俺はこいつほど、表情の変化が忙しいやつを他には知らない。
というより、ずっとこいつしか見ていないのかもしれない。
こくこくこくこくこく。神楽が無言で、顔の高速上下運動を繰り返している。
どこかで止めないと、悪酔いしそうだ。
「わかった。それから始めよう……神楽」
俺は神楽の顔に両手を当て、それから優しく抱きしめた。
「う、うん。よろしく……」
「あぁ。よろしく」
これで始まると俺も神楽も考えていた。
だけどこのとき、ちゃんと想いは形にすることが大事なのだと、俺も神楽もこの場の雰囲気にながされて、深く考えてはいなかったんだ。