下
『君のきれいな足は何本あるの?』
これだ!
女性の足をほめる。日本ならセクハラになるがイタリアなら大丈夫だ、知らんけど。
そして大量の靴を見て、足は何本あるの?という小粋なジョーク。
足は何本あるのと聞くと、バカにしている印象を与えるが、きれいな足と言うことで小粋なジョークになるイタリアンテクニック。
女性は笑うか恥ずかしがるだろう。
これは正解に違いない!
そう確信をして書いたあと、塾の先生による解説が始まります。
先生曰く、イタリア人の男の発言の答は、
『あなたは靴屋さんですか?』または『この靴を転売するのですか?』
でした。
……。
いや、まだだ。
国語は他の科目と違い答えがただ1つではない。逆転チャンスがある。
先生が生徒たちに聞きます。
「これ以外のことを書いて、それが正解かもしれないという人は手を挙げて」
2人手を上げました。俺と水野君です。
先生は俺に指をさしたので発表します。
「先生、自分はこう書きました。『君のきれいな足は何本あるの?』」
俺の発表に生徒の何人かは笑って、先生は困惑した顔を浮かべます。
「なんでそんな変な答えを書いたの?」
「この発言をしたのはイタリア人の男です。彼らは女性をとにかくほめます。そして発言の後に女性は恥ずかしがっています。靴屋や転売屋と勘違いされて恥ずかしいですか? 靴を大量に持ち込んだらそう思われることぐらい覚悟しておくべきです。でもいきなり足がきれいとほめられて何本あるのとジョークを言われたら恥ずかしいでしょう。だから自分の答は〇ですよね」
「いや、×です」
「先生、なぜですか?」
「いや、目の前の人に足が2本しかないのは見ればわかるでしょう。だから足は何本あるの? なんて聞きません」
「でもイタリア人ですよ。女性をほめるときに女神や天使って言うんですよ、女神でも天使でもないことぐらい見ればわかりますよ。彼らはそういうユーモアがあるんですよ」
「君の答えは×です」
「なんてこった……わかりました」
これ以上抵抗するのも見苦しいので俺は負けを認めます。
先生は先ほど手を挙げていた水野君をあてます。
「水野君はなんて書いたの?」
水野君は人差し指でメガネをクイッと上げます。
「先生は先ほど、足が2本なのは見ればわかると言いましたね。安心してください、僕が書いたイタリア人の発言はそれをクリアしています。彼は大量の靴を持つ彼女にこう言ったのです。
『これは家族へのプレゼントか? 美人な君の妹は足がたくさんあるの?』」
おお! 水野君は俺と似た思考をしている。
そして良い解答である。俺は思わず発言します。
「先生、水野君の答えはすごいですね。目の前の女性に妹がいるのか、その妹の足がたくさんあるのかどうかは見てもわからないですよね、こういった素晴らしい解答が〇になるんですねえ」
そんな俺の感想に先生はツッコミを入れます。
「いやいや何勝手に〇判定しているんだ、×だ×!」
「なぜですか?」
「お前ら2人とも大喜利やってんじぇねえんだぞ、国語の授業なんだよ」
あれから20年以上たちましたが、いまだに俺と水野君の解答は〇だと思っています。
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