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「白い霧の向こう ── 番外編 ──」揚 (ヤン) 公子の恋  作者: 鬼丸 千


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第3話 コオロギ

 薇薇ウェイウェイには、四人の幼い弟妹がいる。

 駄々をこねると、弟たちは手近にある物を投げてわめく。


 今しがた、屏風の裏にいるであろう若君──揚易棠ヤン・イタン──がそうしたように。


 茶杯の乗った盆を抱えたまま、薇薇ウェイウェイは待った。

 屏風の奥の人は動かない。 


 ときに「出ていけ」という言葉が「側にいてほしい」という意味にもなる。

 うまく意思表示できない弟たちの葛藤を、薇薇ウェイウェイは何度も見てきた。


 本気で追い出したいのか、ただの威嚇か。

 その真意は「出ていけ」のひと言だけでは測れない。


 どれくらい黙って立っていただろう。

 盆を抱える腕が、じんわり重くなってきた。


 部屋にいるのは薇薇ウェイウェイだけなのではと思えてくるほど、屏風の向こうには揚易棠ヤン・イタンの息遣いも気配もない。

 

 薇薇ウェイウェイは、ためらいながら小さく咳払いしてみた。

 盆を小さく揺らして茶杯を鳴らし──、


「お茶をお持ちしました」


 声をかけてみたが、それでも人影は動かない。


 かんしゃくを起こした後、弟たちもこんな反応をする。

 こちらの動きを待っているのだ。

 爆発させた感情を今さら収拾できず、気まずさからだんまりを決め込んで、薇薇ウェイウェイがなだめてくれるのを期待して待っている。


 何か注意を引くモノはないかと、周囲を見回した薇薇ウェイウェイの目に、すぐそばの長椅子に置かれた陶器が留まった。

 かなり古めかしい茶色の陶器だ。

 装飾品のない揚易棠ヤン・イタンの部屋の中で、異質な存在を放っている。


 薇薇ウェイウェイは、そっと近づいた。


 のぞき込んでみると、器の中にはまた器が入っている(あとで「鈴房リンファン」と呼ばれるコオロギの寝床だと知った)。

 小さな陶器製の水皿や餌皿には、しゃれた絵柄までついていた。


 中央に、立派なコオロギがいる。

 黒々とした背中に、ピンと伸びた触覚。

 頭と口が不格好なほどに大きい。


 田舎で見慣れたコオロギだが、こんなに立派なのは初めてだ。


「まあ、すごい!」


 わざと大きな声をあげ、盆を長椅子に置いた。


「おいしそう!」


 つんと突き出した触覚を、薇薇ウェイウェイが指先でつつこうとした時、危機を察したのかコオロギが跳ね、陶器の外へと飛び出した。


「あ……っ! 待って!」


 捕まえようとするが、また跳ねる。

 

「待って、待って!」


 軽々と部屋をはねるコオロギ。

 騒々しく追いかける薇薇ウェイウェイ

 もはや屏風の奥にいる人のことなど、すっかり忘れていた。


 コオロギは、狭い陶器の外の世界から流れ込むそよ風に生気を得たらしい。

 薇薇ウェイウェイが明け放したままの扉から、回廊へと跳ねていく。


「待って!」


 薇薇ウェイウェイもコオロギの後を追った。

 

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