第9話 工房始動
尾張国、清洲城。
初夏の風が城下町をゆっくりと吹き抜けていた。
城の一室で、望月梓は畳の上に広げた紙を見つめていた。
そこには粗い線で描かれた設計図がある。
「……こんなものかな」
頭の中で声が響く。
『設計を確認しました』
自立型AI――アイリスである。
『鍛冶工房として最低限の機能は満たしています』
梓は小さく息を吐いた。
信長に命じられた仕事。
鉄砲を増やすこと。
だが問題がある。
戦国時代の鉄砲は高い。
一丁あたりの値段は、米何百俵にもなることもある。
理由は簡単だ。
量産できないからだ。
職人が一つずつ作る。
つまり。
供給が圧倒的に少ない。
(だから値段が下がらない)
証券会社で働いていた頃の知識が頭の中で整理される。
市場原理。
需要と供給。
もし供給を増やせば――
価格は下がる。
そして大量の兵士に装備できる。
つまり。
軍事革命。
梓は紙を巻いた。
「まずは工房」
彼女は立ち上がる。
⸻
その日の午後。
清洲城の広間。
織田信長が座っていた。
周囲には重臣たち。
柴田勝家
丹羽長秀
森可成
梓は畳に座り、設計図を広げた。
「殿」
信長が面白そうに言う。
「何だ」
「鉄砲工房を作ります」
重臣たちがざわめいた。
柴田勝家が言う。
「鉄砲はすでに職人が作っている」
梓は頷く。
「はい」
「ですが一つずつ作っています」
丹羽長秀が興味深そうに聞く。
「それが何だ」
梓は設計図を指した。
「ここでは作業を分けます」
「分ける?」
梓は説明する。
「銃身を作る者」
「火皿を作る者」
「引き金を作る者」
「それぞれ別に作るのです」
森可成が腕を組む。
「そんなことをして意味があるのか」
梓は静かに答える。
「あります」
「なぜなら速くなるからです」
信長の目が細くなる。
梓は続けた。
「一人の職人が全部作るより」
「十人で分けて作る方が速い」
柴田勝家が唸る。
「確かに……」
梓はさらに言う。
「さらに部品の形を統一します」
丹羽長秀が驚く。
「同じ形?」
「はい」
梓は頷く。
「そうすれば組み立てるだけで完成します」
部屋が静まり返った。
戦国の武器はすべて一点物。
同じ形という概念がない。
信長はゆっくりと笑った。
「面白い」
そして言う。
「それで何丁作れる」
梓は答えた。
「最初は月に十丁」
重臣たちは驚く。
「十丁!?」
現在の鉄砲生産は年に数丁のこともある。
それを月十丁。
信長の目が光る。
「続けろ」
梓はさらに言った。
「工房が安定すれば」
「月三十丁」
柴田勝家が思わず声を上げる。
「三十だと……!?」
梓は冷静だった。
だが。
彼女の頭の中では別の数字がある。
(本当は百丁もいける)
ただし。
今は言わない。
いきなり言えば怪しまれる。
段階的に上げる。
それがビジネスの基本だ。
信長は笑った。
「よし」
そして言った。
「場所はどうする」
梓は答える。
「清洲城下の外れに土地をください」
丹羽長秀が言う。
「鍛冶場なら川の近くが良い」
梓は頷いた。
「水車を使うためです」
重臣たちがまたざわめく。
柴田勝家が聞く。
「水車?」
梓は言う。
「川の力で鉄を打つのです」
信長は楽しそうに笑った。
「女」
「お前、面白いことばかり言うな」
梓は静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
信長は言った。
「よし、作れ」
その一言で決まった。
織田家の鉄砲工房。
⸻
その夜。
清洲城の客間。
梓は一人で座っていた。
目の前にショップ画面を開く。
そこには未来の商品が並んでいる。
工具。
金属。
化学薬品。
火薬。
梓は考える。
(まずは工具)
戦国の道具は性能が低い。
だが。
少しだけ未来の工具を混ぜれば。
生産力は跳ね上がる。
梓は検索した。
「鍛冶工具」
画面に商品が並ぶ。
ハンマー。
ドリル。
やすり。
金属加工工具。
梓は値段を見る。
「……安い」
未来では工業製品。
だがこの時代では神の道具になる。
梓は購入ボタンを押す。
『購入確認』
『合計:銀5貫』
「購入」
光。
次の瞬間。
梓のアイテムボックスに工具が追加された。
梓は小さく笑う。
「これで工房は完成する」
そして彼女は窓の外を見る。
清洲城下の灯り。
小さな城下町。
だが。
(ここが始まり)
経済。
産業。
軍事。
すべてを変える。
やがて。
鉄砲は千丁になる。
さらに。
大砲。
蒸気機関。
鉄の船。
そして。
世界。
梓は静かに呟いた。
「株式会社国家」
まだ誰も知らない言葉。
だが。
この戦国の国は。
やがて。
巨大な国家企業へと変わっていく。
その最初の一歩が。
明日。
始まる。




