表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を変える女  作者: 此花サギリ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/39

第35話 落城前夜

 夜明け前の空は深い藍色に染まり、山の稜線だけが薄く浮かび上がっていた。

 美濃(みの)の山々はまだ眠っているかのように静まり返っている。


 しかし、その静寂の下では巨大な軍勢が動いていた。


 織田軍(おだぐん)である。


 山の麓に築かれた陣では、すでに多くの兵が起きていた。足軽たちは槍を整え、弓兵は矢筒を背負い直し、鉄砲足軽は火縄を確かめている。


 太鼓が低く鳴り、戦の準備が進んでいた。


 丘の上の本陣。


 そこに一人の武将が立っていた。


 織田信長(おだのぶなが)


 黒漆の鎧をまとい、腕を組んで山の上を見つめている。


 その視線の先にあるのは――


 稲葉山城(いなばやまじょう)


 険しい山の頂に築かれた難攻不落の城である。


 その隣には木下秀吉(きのしたひでよし)がいた。


「殿」


 秀吉(ひでよし)が言う。


「夜が明ければ攻めますか」


 信長(のぶなが)は城を見たまま答えた。


「いや」


 秀吉(ひでよし)が少し驚く。


「攻めぬ?」


 信長(のぶなが)は静かに笑った。


「城はもう落ちる」


「攻めずとも」


 その頃。


 山上の稲葉山城(いなばやまじょう)では、兵たちが慌ただしく動いていた。


 城門では槍兵が整列し、石垣の上では弓兵が配置につく。夜のうちに防備が強化されていた。


 しかし。


 兵たちの表情は暗い。


 城の外には無数の篝火。


 織田軍(おだぐん)の大軍。


「どれだけいるんだ……」


「一万以上だ」


「いや、もっといる」


 小声の噂が広がる。


 城の奥の広間では、斎藤龍興(さいとうたつおき)が重臣たちと向き合っていた。


 しかし、そこにいる家臣の数は少ない。


 かつて斎藤家(さいとうけ)を支えた三人の重臣――


 安藤守就(あんどうもりなり)

 稲葉良通(いなばよしみち)

 氏家直元(うじいえなおもと)


 彼らはすでに城を去り、織田信長(おだのぶなが)に降っていた。


 それは城にとって致命的な出来事だった。


 龍興(たつおき)は苛立ちを隠せない。


「城は落ちぬ!」


 机を叩く。


「この城は斎藤道三(さいとうどうさん)公の城だ!」


 しかし誰も声を上げない。


 沈黙が広間を包んだ。


 やがて一人の武将が進み出た。


 竹中重治(たけなかしげはる)


 若き軍師である。


「殿」


 龍興(たつおき)が睨む。


「何だ」


 重治(しげはる)は落ち着いた声で言った。


「城は強うございます」


「しかし」


 そこで言葉を止めた。


「兵の心が離れております」


 重い空気が流れる。


 誰も反論できない。


 城ではすでに兵の逃亡が始まっていた。


 門番が消える。


 足軽が夜のうちに姿を消す。


 兵糧も減り続けている。


 城はまだ立っている。


 だが。


 城の中身は崩れ始めていた。


 龍興(たつおき)は歯を食いしばる。


「ならば戦だ」


「戦で示せ」


 その頃。


 稲葉山城下(いなばやまじょうか)


 町は静まり返っていた。


 昼間の混乱のあと、ほとんどの住民が避難していた。


 空き家となった町の通りを、一人の女が歩いていた。


 望月梓(もちづきあずさ)


 城下に潜む密偵である。


 (あずさ)は坂道を登り、城が見える丘に立った。


 山の上の稲葉山城(いなばやまじょう)


 その周囲を囲む織田軍(おだぐん)の篝火。


 無数の赤い光が夜の闇に揺れている。


 (あずさ)は静かに言った。


「もうすぐ」


 長い準備だった。


 兵糧の策。


 城内の疑心。


 重臣の離反。


 すべてが今、この瞬間につながっている。


 その時、背後から足音が聞こえた。


 振り向くと、城兵の男が立っている。


「城の様子は?」


 (あずさ)が尋ねる。


 男は苦笑した。


「もう駄目だ」


「兵が逃げている」


「三割は消えた」


 (あずさ)は城を見上げた。


 巨大な城。


 だが。


 その内側はすでに崩れている。


 山の麓では太鼓が鳴り始めた。


 ドン、ドン、と重い音。


 織田軍(おだぐん)の進軍太鼓。


 夜明けが近い。


 戦の朝が始まる。


 (あずさ)は小さく呟いた。


「歴史が変わる」


 やがて。


 稲葉山城(いなばやまじょう)は落ちる。


 そしてその城は新しい名を得る。


 岐阜城(ぎふじょう)


 その城から、織田信長(おだのぶなが)は天下へ向けて歩き出す。


 戦国の歴史は、いま大きく動こうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ