第28話 密議の夜
夜の帳が稲葉山城を包んでいた。
山の上に築かれた城は、昼とは違う静かな緊張に包まれている。城門には篝火が焚かれ、見張りの足軽たちが槍を持って巡回していた。
だが、その城の奥――
ひっそりと灯りのともる一室があった。
畳敷きの小部屋。
そこに三人の男が座っている。
安藤守就。
氏家直元。
そして――
稲葉良通。
美濃の重臣たちである。
彼らは声を潜めて話していた。
「兵糧が減っている」
安藤守就が言う。
「殿は怒り狂っておられる」
氏家直元が苦い顔をした。
「我らを疑っている」
稲葉良通は腕を組む。
「当然だ」
「城の米が消えれば疑うしかない」
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは安藤守就だった。
「だが本当に我らの仕業ではない」
「分かっている」
氏家直元は溜息をつく。
「だが殿は聞かぬ」
斎藤龍興。
若き城主。
しかし今、家臣たちの信頼は揺らいでいた。
稲葉良通が低く言う。
「この城は危うい」
その言葉に二人は黙る。
良通は続けた。
「兵糧が減る」
「城主は怒る」
「家臣は疑われる」
「このままでは城が割れる」
重い言葉だった。
一方その頃。
稲葉山城下。
夜の町は静かだった。
商人の店は閉まり、人影も少ない。
その中を一人の女が歩いていた。
望月梓。
織田信長の密命を受けた密偵である。
梓は裏路地を進み、小さな茶屋へ入った。
中にはすでに三人の商人が待っている。
米商人。
塩商人。
油商人。
彼らは梓の情報網だった。
「城が騒いでいる」
米商人が言う。
「兵糧の件だ」
梓は静かに頷く。
「予定通り」
油商人が笑った。
「俵の中身を少し抜くだけで大騒ぎだ」
塩商人も頷く。
「しかも犯人が分からない」
梓は茶を飲みながら言った。
「それでいい」
「疑いが広がる」
それこそが目的だった。
兵糧を減らす。
だが盗んだ証拠は残さない。
そうすれば城の中で疑い合いが始まる。
それは城を内側から壊す。
米商人が言う。
「ところで」
「城の重臣が密かに集まってる」
梓の目が細くなる。
「誰?」
「安藤守就」
「氏家直元」
「稲葉良通」
やはりその三人。
梓は静かに呟く。
「動き始めた」
それは歴史の流れと同じだった。
やがて彼らは織田信長へ寝返る。
だが――
(まだ早い)
今は疑心を広げる段階。
梓は言う。
「兵糧はまだ減らす」
「あと少し」
三人の商人が頷いた。
夜。
宿の部屋。
梓は半透明ボードを呼び出した。
光の板が浮かぶ。
情報整理。
・兵糧不足拡大
・重臣密議確認
・城主激怒
・城内不信増大
梓は報告を書き始めた。
宛先――
織田信長。
その頃。
尾張の那古野城。
織田信長は報告を読んでいた。
隣には柴田勝家。
「重臣が集まっている」
信長は笑う。
「城が割れる前兆だ」
勝家は頷いた。
「見事な策」
信長は立ち上がる。
「兵を集めろ」
「いよいよですか」
「まだ攻めぬ」
信長は北を見た。
「だが準備はする」
遠くにあるのは美濃。
「城はもう崩れかけている」
その頃。
稲葉山城下。
宿の窓から城を見上げながら、梓は静かに呟いた。
「次は」
「城の心」
兵糧は減った。
疑いは広がった。
重臣は動き始めた。
あと一つ。
城を崩す最後の一手。
それが決まれば――
稲葉山城は落ちる。
戦国の歴史は、今まさに大きく動こうとしていた。




