第24話 商人の糸
春の朝霧が稲葉山城下を包んでいた。
城門の前では、いつもより厳しい検分が行われている。槍を持つ足軽が荷車を一台ずつ止め、米俵や木箱の中身を調べていた。
その列の中に、一台の荷車があった。
御用聞きの商人――という姿の女。
望月梓。
織田信長の密命を受け、美濃へ潜入している密偵である。
「止まれ」
足軽が声を張る。
梓は落ち着いた様子で荷車を止めた。
「荷を見せよ」
「はい」
木箱の蓋を開ける。
中には薬草や鉄器、小さな道具が並んでいる。
「ふむ」
足軽は一つ一つ確認した。
だが怪しい物はない。
「通れ」
「ありがとうございます」
梓は荷車を押しながら城下へ入った。
(警戒が強い)
昨日より明らかに厳しい。
(戦の準備)
間違いない。
城内では兵糧が集められ、兵が増えている。
だが――
(それだけじゃない)
梓は城下町の通りを歩きながら思う。
兵糧が増えれば、流通が変わる。
つまり。
商人が動く。
そして商人は情報の宝庫だ。
市の広場へ到着すると、すでに多くの店が並んでいた。
米屋、布屋、油屋。
梓は荷車を止め、店を広げる。
「いらっしゃいませ」
商売をしながら、耳は常に周囲の会話を拾う。
「城がまた米を買い上げた」
「しかも値を据え置きだ」
「こっちは儲からん」
米商人たちの不満が聞こえる。
梓は静かに近づいた。
「大変そうですね」
米屋の男が苦笑する。
「大変なんてもんじゃねえ」
「城の命令じゃ逆らえん」
「兵糧優先だとよ」
「それでは商売になりませんね」
「まったくだ」
梓は軽く頷く。
(不満、確認)
そしてもう一つ。
城は兵糧を城内に集中させている。
つまり――
(外の備蓄が減る)
兵糧の流れが偏る。
それは戦略的弱点になる。
その時だった。
「店主」
聞き慣れた声。
振り向くとそこに立っていたのは――
竹中半兵衛。
若き軍師である。
半兵衛は静かに店を眺める。
「繁盛していますね」
「おかげさまで」
梓は微笑む。
「今日は何を?」
「油を少し」
梓は壺を取り出す。
半透明のボードを操作。
(油 購入)
壺が補充される。
それを渡すと、半兵衛は代金を置いた。
「城下は賑やかでしょう」
「兵が多いですね」
梓が言うと、半兵衛は苦笑した。
「ええ」
「殿は戦を恐れている」
「恐れて?」
「織田信長」
半兵衛の声は低い。
「理解できない男です」
梓は内心で頷く。
(それが強み)
「しかし」
半兵衛は続ける。
「本当に怖いのは別です」
「別?」
「城の中」
また同じ話。
だが今回は少し違う。
「重臣たちが動き始めている」
梓の思考が速くなる。
(内部分裂)
城を落とす最大の要素。
「殿に不満が?」
「多い」
半兵衛は静かに言う。
「この城は強い」
「だが、心は弱い」
意味深な言葉だった。
梓は微笑む。
「城も人も同じですね」
半兵衛はしばらく梓を見ていた。
「あなた」
「本当に商人ですか?」
一瞬、空気が張り詰めた。
だが梓は笑った。
「もちろんです」
「戦の話をよく聞くので」
半兵衛は小さく笑う。
「面白い人だ」
そう言って去っていった。
夕刻。
梓は店を閉める。
そして城下の裏路地へ入った。
そこには一軒の茶屋がある。
普通の茶屋。
だが――
商人ネットワークの拠点だった。
中に入ると、三人の商人が座っていた。
「来ましたね」
彼らは梓を見ると頷く。
彼らは尾張や近江と取引を持つ商人。
つまり――
梓の情報網。
「米の流れを教えて」
梓が言う。
米商人が答える。
「城の倉は三つ」
「北の倉、川沿いの倉、城内倉」
「川沿い?」
「はい」
それは重要だった。
(川)
輸送路。
つまり兵糧の生命線。
「守りは?」
「兵が少ない」
梓の目が細くなる。
城は山の上。
だが兵糧は川沿い。
(弱点)
確定した。
夜。
宿に戻った梓は半透明ボードを開いた。
報告作成。
宛先――
織田信長。
内容。
・城内不和
・兵糧三倉
・川沿い倉庫守備薄
そして送信。
その頃。
尾張の那古野城。
織田信長は報告を読んでいた。
「なるほど」
柴田勝家が尋ねる。
「何かわかりましたか」
信長は笑う。
「城の腹だ」
「腹?」
「兵糧だ」
信長は指を叩いた。
「川沿いの倉」
「そこを断てば城は飢える」
勝家は驚く。
「なんと」
信長は空を見上げた。
「面白い」
「戦が近い」
遠く離れた稲葉山城。
その城を見上げながら、梓も静かに呟いた。
「城の糸は見えた」
兵糧。
商人。
内部分裂。
それらを繋ぐ糸。
その糸を引けば――
城は崩れる。
戦国の歴史の歯車が、静かに回り始めていた。




