第22話 城内の影
稲葉山城下の朝は早い。
まだ霧の残る通りを、農民や商人たちが行き交い始めていた。
城へ向かう荷車、町へ降りてくる兵、そして遠国から来た行商人。
その流れの中に、自然に溶け込んでいる一人の女性がいた。
望月梓。
表向きは旅商人。
しかし実際には、織田信長から密命を受けた密偵である。
梓は市の一角に店を広げながら、静かに周囲を観察していた。
(兵が多い)
昨日より明らかに多い。
城門へ向かう兵が頻繁に通っている。
(何か動きがある)
梓は荷車の整理をしながら、半透明のボードを呼び出した。
誰にも見えない光の板。
商品一覧。
鉄器。薬。工具。
そして、情報メモ。
昨日集めた情報が整理されている。
・稲葉山城の兵は約五千
・兵糧庫は三箇所
・城下商人の多くは重税に不満
(商人は動く)
経済は感情で動く。
利益か不満か。
どちらかが溜まれば、必ず流れが変わる。
その時だった。
「店主」
声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは――
竹中半兵衛。
昨日も現れた若い軍師である。
鋭い目が梓を観察している。
「また来ていただきありがとうございます」
梓は微笑む。
半兵衛は店の前に腰を下ろした。
「薬を一つ」
「かしこまりました」
梓は荷車の奥を探す。
その間に半透明ボードを操作。
(回復薬 購入)
荷車の中に小瓶が現れる。
それを取り出して差し出した。
半兵衛はそれを受け取る。
そして静かに言った。
「商売は順調のようですね」
「おかげさまで」
「しかし不思議だ」
半兵衛は薬瓶を眺めながら言う。
「遠国の商人が、なぜ美濃に来たのです?」
鋭い質問。
だが梓は落ち着いていた。
「商売になる町だからです」
「それだけですか?」
「はい」
半兵衛は小さく笑った。
完全に納得している顔ではない。
だが追及もしない。
代わりに別の話題を出した。
「最近、城が騒がしい」
梓は心の中で反応する。
(来た)
情報だ。
「何かあったのですか?」
半兵衛は声を落とす。
「斎藤龍興殿が軍議を開いた」
梓の思考が高速で動く。
(軍議)
(つまり戦の可能性)
「相手は?」
半兵衛は少し間を置いて答えた。
「尾張」
つまり――
織田信長。
梓は表情を変えない。
「戦ですか」
「まだ分からない」
半兵衛は言う。
「だが兵糧を集め始めている」
それは重要な情報だった。
兵糧の動きは戦の前兆。
梓は静かに頷く。
「なるほど」
半兵衛は立ち上がった。
「あなたの店」
「面白い」
「また来ます」
そう言って去っていく。
梓はその背中を見送った。
(危ない人ね)
観察力が鋭すぎる。
しかし同時に。
(有力な情報源)
利用価値は高い。
夕方。
市が終わる頃。
梓は店を片付けた。
そして宿へ戻る。
小さな商人宿。
部屋に入ると、戸を閉める。
誰もいないことを確認。
そこで半透明ボードを開いた。
(報告作成)
文字が浮かぶ。
報告内容。
稲葉山城情勢。
・兵数 約五千
・兵糧増加
・軍議開催
・城下商人の不満
梓はさらに追記する。
「軍議の対象は尾張」
そして送信。
同時刻。
那古野城。
織田信長は書状を見ていた。
だがその横に、光の板が浮かぶ。
梓の報告だ。
信長は読み終えると笑った。
「早いな」
柴田勝家が聞く。
「何かございましたか」
「美濃が動く」
信長は言った。
「兵糧を集めているそうだ」
勝家は驚く。
「その情報は」
信長は笑う。
「梓だ」
家臣たちは顔を見合わせた。
敵国の城下からここまでの情報が届くなど、普通ではあり得ない。
信長は満足そうに言った。
「良い密偵を持った」
その頃。
稲葉山城下の宿。
梓は灯りを消し、窓の外を見ていた。
遠くに見える山の上。
稲葉山城。
(あの城)
いずれ。
織田信長が取る城。
歴史ではそうなっている。
だが。
(歴史は変わる)
自分がいることで。
戦の流れは変わる。
経済。
情報。
兵站。
それらを握れば――
城は落ちる。
梓は小さく呟いた。
「さて」
次の手だ。
美濃の商人たちを動かし、
城の兵糧の流れを掴み、
そして――
稲葉山城の弱点を見つける。
戦国の歴史の裏側で。
一人の女性が静かに戦を動かしていた。




