第20話 軍師の眼
稲葉山城下の市は、昼を過ぎるとさらに賑わいを増していた。
山の麓に広がる町には、美濃各地から農民や商人が集まってくる。布や塩、干物、農具など様々な品が並び、商人たちの呼び声があちこちから響いていた。
その中でも、ひときわ人だかりが出来ている店があった。
望月梓の店である。
「この薬、すぐ効くぞ!」
「さっき塗ったら痛みが引いた!」
「鉄の刃物もよく切れる!」
客たちは口々にそう言い、次々と品を買っていく。
梓は笑顔で対応していた。
「ありがとうございます」
「こちらは怪我に効く薬です」
「刃物は手入れをすれば長く使えます」
丁寧な説明。
そして適正な値段。
それだけで、戦国の市では十分に信頼を得られる。
だが――
その様子をじっと観察している男がいた。
竹中半兵衛。
美濃に仕える若き軍師である。
半兵衛は群衆の外側に立ち、腕を組みながら梓の店を見ていた。
(妙だ)
彼の目は鋭い。
商人としての振る舞い。
言葉遣い。
品物の質。
すべてを冷静に分析していた。
(普通の旅商人ではない)
まず、品の質が良すぎる。
鉄器はよく鍛えられている。
薬は効きすぎるほど効く。
さらに――
(在庫が減らない)
客が多いのに、店の品が尽きない。
普通の商人なら、荷車の量には限界がある。
だが梓の店では、売れても売れても品が補充されているように見える。
(どこから出している)
半兵衛の目が細くなる。
彼は再び店に近づいた。
「店主」
梓が振り向く。
「あら、先ほどのお客様」
半兵衛は鉄の小刀を手に取る。
「この刃物」
「もう一つ欲しい」
「ありがとうございます」
梓は荷車の中を探すふりをする。
その瞬間。
彼女の視界に半透明ボードが現れる。
商品一覧。
鉄器。
工具。
(購入)
次の瞬間、荷車の奥に小刀が追加された。
誰にも見えない。
梓はそれを取り出して差し出す。
「どうぞ」
半兵衛はそれを受け取る。
刃を光にかざす。
鋭い。
よく研がれている。
だが彼が見ていたのは刃ではない。
梓の動きだった。
(今……)
荷車から取り出したはずなのに、物音がほとんどしない。
まるで――
(突然現れたようだ)
普通の人間なら気付かない。
だが竹中半兵衛は違う。
観察力が異常なほど鋭い。
半兵衛は金を渡した。
「ありがとう」
「また来る」
そう言って店を離れる。
人混みの外に出ると、小さく呟いた。
「……やはり妙だ」
半兵衛の目は輝いていた。
謎。
未知。
それは彼にとって最高の興味だった。
一方――
店の中で梓は内心で息を吐いていた。
(さすがね……)
竹中半兵衛。
歴史に名を残す天才軍師。
やはり普通ではない。
(かなり観察されてる)
下手な動きは出来ない。
だが。
(逆に利用できるかも)
梓の目的は二つ。
美濃の情報を集めること。
そして――
商人を動かすこと。
そのためには、この城下で影響力のある人物と繋がる必要がある。
そして。
(半兵衛は重要人物)
この時代、まだ若いが、いずれ歴史の中心に立つ男。
彼との関係は、決して無駄にならない。
夕方になると、市は少しずつ落ち着いてきた。
客の数も減り、商人たちは店じまいの準備を始める。
梓も荷を整理していた。
その時だった。
「店主」
声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは――
竹中半兵衛。
再び現れた。
「まだ店は開いているか」
梓は微笑む。
「もちろんです」
半兵衛は周囲を見回した。
客はもうほとんどいない。
夕暮れの静かな市。
彼はゆっくりと店の前に座った。
「少し話をしたい」
梓は頷く。
「商売の話ですか?」
半兵衛は小さく笑った。
「いや」
そして言った。
「あなたの話だ」
梓の目がわずかに細くなる。
半兵衛は続けた。
「望月梓殿」
「あなたは」
静かな声で言う。
「普通の商人ではないでしょう」
夕暮れの風が吹いた。
市の灯りが一つ、また一つと消えていく。
そして。
竹中半兵衛と
望月梓の――
本当の駆け引きが、今始まろうとしていた。




