第19話 美濃商人
稲葉山城の城下町は、尾張とは少し違った空気を持っていた。
山の斜面に築かれた稲葉山城を中心に、町は段々に広がっている。城の威圧感は強く、まるで町全体を見下ろしているかのようだった。
望月梓は馬をゆっくりと進めながら、その町並みを観察していた。
(なるほど……)
城下には確かに人の往来がある。
商人もいる。
市場も開かれている。
だが――
(活気が弱い)
尾張の那古野城下と比べると、明らかに商いの勢いが足りない。
商人の声も小さい。
客の数も少ない。
流通している品物も、どこか古い。
(経済の流れが滞ってる)
梓はすぐに理解した。
斎藤家は戦は強い。
だが経済にはあまり力を入れていない。
その差が町の空気に出ていた。
梓は城下の広場に荷車を止める。
周囲には数軒の商人の屋台が並んでいる。
布商。
干物屋。
鍛冶屋。
その中に空いている場所を見つけた。
「ここなら……」
梓は荷車を止める。
まずは商いの準備だ。
荷車から布を広げ、簡易の店を作る。
そこへ鉄器や薬を並べていく。
当然ながら、最初から全て並べるわけではない。
足りない品は――
誰にも見えない半透明ボードで補充する。
梓の視界にだけ浮かぶ透明の板。
商品一覧。
薬。
鉄器。
工具。
(購入)
小さく意識を向けると、荷車の奥に商品が追加される。
誰にも気付かれない。
この力こそ、梓の最大の武器だった。
準備が整うと、梓は声を上げた。
「薬と鉄器の店です」
「旅の商人の品ですよ」
最初は誰も近づかなかった。
だがしばらくすると、一人の農民が近づいてくる。
「……薬か?」
梓は笑顔を向ける。
「はい」
「傷薬もあります」
農民は腕を見せた。
そこには小さな傷がある。
「効くのか?」
「ええ」
梓は小さな瓶を差し出す。
現代の消毒薬だ。
農民は怪しそうにそれを塗る。
すると――
「おお」
痛みが引いた。
「これはすごい」
その声を聞いて、周囲の人々が振り向く。
「どうした?」
「この薬、効くぞ」
人が集まり始めた。
梓は落ち着いて対応する。
「少量ですが安くします」
すると客はさらに増えた。
城下の人々は、質の良い薬をあまり知らない。
だからこそ、効果のある物はすぐ広まる。
昼過ぎには、小さな人だかりができていた。
その様子を遠くから見ている男がいる。
細い目。
鋭い視線。
商人の格好をしているが、普通の商人ではない。
男は呟いた。
「妙な女だな」
彼の名前は――
竹中半兵衛。
後に天下に名を知られる軍師。
現在は美濃に仕える若き知略家だった。
半兵衛はしばらく梓の店を観察する。
薬。
鉄器。
どれも質が高い。
しかも価格が安い。
(どこから仕入れている?)
普通の商人ではあり得ない。
半兵衛はゆっくり近づいた。
店の前に立つ。
「店主」
梓が顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
半兵衛は鉄器を手に取った。
小型の刃物。
見事な鋼だ。
「良い品だ」
「ありがとうございます」
「どこから仕入れた」
鋭い質問。
梓は微笑んだ。
「遠国です」
「遠国?」
「はい」
それ以上は言わない。
半兵衛は少し笑った。
「なるほど」
嘘は言っていない。
だが真実も語っていない。
(面白い女だ)
半兵衛は思った。
さらに質問する。
「名は?」
梓は答えた。
「望月梓と申します」
半兵衛は頷く。
「私は竹中半兵衛」
その名を聞いた瞬間。
梓の心臓が一瞬跳ねた。
(竹中半兵衛……!)
歴史を知る者なら誰でも知る名前。
天才軍師。
豊臣秀吉を支えた男。
だが表情は変えない。
「よろしくお願いします」
梓は丁寧に頭を下げた。
半兵衛は少し笑った。
「しばらくこの町にいるのか」
「ええ」
「商いが順調なら」
半兵衛は頷く。
「そうか」
そして小さく言った。
「面白いことになりそうだ」
梓は心の中で思う。
(本当に面白いことになりそうね)
敵国美濃。
その城下で出会ったのは――
未来の名軍師。
竹中半兵衛。
歴史は今。
静かに動き始めていた。




