第14話 薬の奇跡
朝の清洲城は、すでに活気に満ちていた。
城門の外では農民や商人が往来し、城内では足軽たちが槍の訓練をしている。
遠くからは鍛冶場の槌の音が響いていた。
戦国の城は、まさに一つの小さな町だ。
その城の一角で、望月梓は静かに歩いていた。
隣には木下藤吉郎がいる。
「それで梓殿」
「兵を救う薬があると申されたが、本当でござるか?」
藤吉郎は半ば冗談のような顔で言った。
だが目は真剣だ。
梓は頷いた。
「あります」
「ですが、まずは一人治してみせます」
藤吉郎は腕を組む。
「ほう……」
ちょうどその時、城の奥から慌ただしい声が聞こえた。
「怪我人だ!」
「医者を呼べ!」
足軽たちが一人の男を抱えて走ってくる。
男は腕から血を流していた。
どうやら訓練中の事故らしい。
槍の穂先で深く切ったのだろう。
顔は青白い。
この時代では珍しくない傷だ。
だが問題は――
化膿。
戦国では傷が膿めば、それだけで命取りになる。
医術はまだ未熟なのだ。
藤吉郎が小声で言った。
「どうする」
梓は一歩前へ出た。
「私が治します」
足軽たちが驚く。
「女が?」
「無理だ!」
だが藤吉郎が手を上げた。
「待て」
そして梓を見る。
「やれるか?」
梓は静かに頷いた。
「任せてください」
近くの部屋へ運ばれた負傷兵。
畳の上に横たわっている。
血の匂いが漂う。
梓は静かに手を下ろした。
その瞬間。
空中に光が浮かぶ。
半透明のボード。
売買の板だ。
もちろん誰にも見えない。
梓は心の中で操作する。
――購入
表示されたのは医療用品。
アルコール。
ガーゼ。
抗生物質。
梓はすでに持っている物を選んだ。
次の瞬間。
アイテムボックスから小瓶と布が現れる。
周囲の足軽が驚く。
「いつの間に……」
梓は落ち着いて言った。
「まず傷を洗います」
アルコールを傷口にかける。
負傷兵が叫ぶ。
「ぐあああ!」
だがすぐに処置を続ける。
ガーゼで血を拭き、包帯を巻く。
そして小さな錠剤を取り出した。
「これを飲んでください」
「……薬か?」
「はい」
男は半信半疑で飲み込んだ。
処置はそれで終わりだ。
足軽たちは顔を見合わせる。
「それだけか?」
梓は頷いた。
「はい」
すると藤吉郎が笑った。
「ずいぶん簡単ですな」
「ですが明日には分かります」
梓は言った。
そして翌日。
城内は騒ぎになった。
「治った!」
「嘘だろう!」
負傷兵が普通に歩いていた。
傷はまだ残っている。
だが腫れも熱もない。
戦国では信じられない回復だ。
その話はすぐに城中へ広がった。
そして――
織田信長の耳にも届いた。
清洲城の奥。
信長の部屋。
「来たか、梓」
「はっ」
梓は頭を下げる。
部屋には重臣たちがいた。
柴田勝家。
丹羽長秀。
前田利家。
皆、興味深そうにこちらを見ている。
信長は言った。
「薬を使ったそうだな」
「はい」
「どういうものだ」
梓は慎重に答える。
「傷の腐りを防ぐ薬です」
信長の目が鋭くなる。
「腐りを防ぐだと」
「はい」
戦国の常識ではあり得ない話だ。
しかし事実として兵は回復した。
信長はしばらく黙った。
そして笑った。
「面白い」
立ち上がる。
「それを兵に使え」
重臣たちがざわめく。
勝家が言う。
「殿、それは貴重な薬では……」
だが信長は笑った。
「兵が死ねば戦は負ける」
そして梓を見る。
「薬はどれほどある」
梓は答えた。
「必要な分は用意できます」
信長の目が輝いた。
「ほう」
「それは良い」
そして宣言する。
「梓」
「おぬしに兵の治療を任せる」
梓は深く頭を下げた。
「承知致しました」
評定が終わり、部屋を出た後。
藤吉郎が笑った。
「驚きましたぞ」
「まさか本当に治すとは」
梓は苦笑する。
「薬の力ですよ」
だが心の中では別のことを考えていた。
薬。
鉄。
米。
この三つが揃えば――
軍は強くなる。
そしてそのすべてを支えているのは。
空中に浮かぶ。
誰にも見えない。
半透明のボード。
梓は静かに空を見上げた。
尾張の空は青い。
だが歴史の嵐は近づいている。
今川義元。
その大軍が動けば、戦は避けられない。
しかし。
梓は小さく呟いた。
「準備は出来る」
薬で兵を救い。
鉄で武器を増やし。
米で軍を支える。
そして。
経済で戦を制する。
戦国の常識を変える戦いが、今始まろうとしていた。




