第7話 配信スタート
紫紺色の光が弾ける。
足裏に硬い岩の感触。
振り返っても、そこにあるのは揺らめく光の膜だけ。
外の山林はもう見えなくなっていた。
ゲートをくぐれば、そこは既にダンジョンの中。
完全な別空間に、一瞬で転移したのだ。
何度体験しても、この切り替わりには慣れない。
「もう当たり前になっちゃってますけど、凄い技術っすよね。『ゲート』って」
後輩の愛沢が、うねる光を見上げながら言う。
「そうだなあ、技術というか魔法というか」
俺は苔むしたゲートの柱に手を触れながら答える。
「身体欠損の起こらない、完全な時空転移だ。肉体を分子レベルで分解して再構成してるのか、それとも空間を折り畳んでいるのか……提唱された理論は山ほどあるが、どれも確証には至ってない」
今から10年前、2026年1月18日。
世界各地に、ダンジョンへ通じるゲートが同時発生した。
内部は『魔力』や『魔石』といった未知の資源で溢れ、同時に『魔物』という正体不明の怪物も観測された。
人類は魔物に対抗するために、何とか魔力を利用する術だけを覚え、原理にはほとんど触れられていないのが現状だ。
「へぇ……ふむふむ」
愛沢のグレーの瞳が、珍しく真面目な光を帯びる。
「興味あるのか?」
「かなりあるっす。アリスの方はひと段落ついたんで、次はこれに手ぇ出そうかなーって思ってるっす」
「へえ、いいじゃないか」
軽く返事をしたが、本気で良いと思った。
ゲート研究は国家レベルの案件だ。
しかし、愛沢の頭脳なら十二分に食い込んでいける。
ただのお調子者に見えて、その頭脳は紛れもなく天才のそれなのだ。
「あ、無駄話してすいませんっす。ええと、配信の方は――」
愛沢は端末を確認した瞬間、目を見開いた。
「わっ、まだ開始してないのに、もう3万人もいるっすよ!」
「さ、さんまん……!?」
姫宮が、青いポニーテールを揺らしながら固まる。
「マジか……俺が出るって?」
視線を向けると、姫宮はぶんぶんと首を振る。
「い、言ってませんっ。黒野さんが来るなんて、一言も……!」
「もしかしたらって感じで、皆スタンバってるんすよ。きっと」
「そんなにか……」
人気者は辛いな、なんて気取った思考を振り払う。
今日もここまで来るときは変装して来たし、動きづらくてしょうがない。
……ま、一過性のものだとは思うが。
「準備はいいっすか?」
愛沢の問いに、姫宮は深く息を吸った。
その胸が上下する。
「……はい。お願いしますっ」
「それじゃ、いくっすよ……サン、ニ」
イチは言わない。
代わりに、指でカウントを示し、最後に掌をぱっと開いた。
配信開始だ。
「――み、『みそらチャンネル』へようこそっ!」
やや上ずった姫宮の声が洞窟に響く。
「今日もダンジョン攻略の様子をお届けします……が、何とですね。今日は特別ゲストにお越しいただいておりますっ」
姫宮が手で俺を示す。
愛沢の構えたカメラが、わずかにこちらへ向いた。
「なんと、『ダンジョン嫌いニキ』こと黒野さんです……!」
「その名前で呼ぶな!」
「あっ、す、すみませんっ」
反射的に言った直後、強く言い過ぎたかと反省する。
レンズの向こうに何万人もの視線があると思うと、発言しづらいな。
俺は一瞬だけカメラを見て、すぐ逸らした。
「黒野だ。……特に言うことはない」
『いえ、マスター。私の紹介がまだです』
耳元のデバイスから割って入ったのは、落ち着いた女性音声だ。
「そ、そうでした!」
姫宮が慌てて言い直す。
「特別ゲストは黒野さんだけでなく、もう一名いらっしゃいます」
『視聴者の皆さま、こんにちは。私の名前はアリス。ダンジョン攻略をサポートし、マスターを危険からお守りするのが私の使命です』
柔らかな声色。
意図してだろうか。
俺と会話する時より、わずかに抑揚が強められている。
「おおー、コメント欄盛り上がってるっすよー」
愛沢が楽しげに報告する。
「『アリスちゃん可愛い』、『ダンジョン嫌いニキ、コミュ障すぎて草』とかとか」
「なっ……誰がコミュ障だよ」
「視聴者数も爆増してるっすねえ」
愛沢はこちらに向かって、手首を示すジェスチャーをする。
「ん……そう言えば、腕時計みたいなやつ付けられてたな」
愛沢によってセットされた、腕時計型デバイスに視線を落とす。
そこには、配信時間と視聴者数が表示されていた。
現在、5万8千人。
と思ったら、6万2千人。
瞬きをした間に、6万5千人。
カウンターはまだまだ跳ね上がる。
土曜の昼間っから、暇人の多いことだ。
「き、今日はですね、特に企画とかは無いんですけど……」
気を取り直して、姫宮は懸命に言葉を紡ぐ。
「この黒野さんとアリスさんと、あとサポートの愛沢さんと一緒に、ダンジョン攻略をしていきたいと思います。それじゃ早速、いきましょうっ」
「おー! っす!」
「……ふん」
しばらく3人で通路を進むと、ふいにアリスが言葉を発した。
『――前方100メートル先に魔力反応を確認。99.8%の確率でゴブリンです』
「了解」
俺は足を止めないまま、背後の姫宮に声をかける。
……ついでに、視聴者への説明も兼ねて。
「今日の目的は、アリスの戦闘指示の精度確認だ。戦闘は基本、俺が担当する」
「は、はいっ! それにしても、敵が近づいてきていることも分かっちゃうんですね……凄いです」
「不意を突かれでもしたら、命に関わるからな。索敵は必須機能だ」
そして通路の先、影が揺れた。
緑がかった皮膚に、濁った黄色の目。
粗末な棍棒を握った小柄な体躯。
アリスの予測通り、ゴブリンだ。
「――キシャアアアアッ!」
ゴブリンは、甲高い鳴き声とともに突進してくる。
『左斜め上から棍棒が来ます。右側へ回り込みましょう』
「右だな、よし」
アリスの指示に従って、身体をゴブリンの右へ滑り込ませる。
スローモーに振り下ろされた棍棒は、むなしく空を切った。
「グギャッ!?」
攻撃を躱されたゴブリンは、ちょっとしたパニックになっている。
絶好のチャンスだ。
さあ来い、アリス。
攻撃指示を――
『:【悲報】ゴブリンさん、相手が悪すぎる
:ダンジョン嫌いニキがんばえー!
:俺むしろアリスたんに逆らって叱られたいよハアハア』
突如、耳元で再生される、想定外の音声。
俺は一瞬、思考と動きをフリーズさせる。
「き、急に何だ!」
『コメント読み上げ機能です。戦闘が始まりコメント数が増加したので、一部をご紹介いたしました』
「どう考えても戦闘中にすることじゃないだろ! あと読むなら読むで内容選別しろ! 機能オフ!!」
こんな無駄機能を付けるのは、1人しかいない。
俺は視線で、カメラの奥の愛沢を射抜く。
愛沢はそれに気づくと、舌を出した。
……あとで覚えておけ。
「はあ……ほら、早く攻撃指示を出せ」
『ゴブリンの頚椎を、右側から打ち抜きましょう』
「前回も頚椎だったろ? ワンパターンだな」
『もっとも効率よく、かつ確実性の高い攻撃をご提案していますので』
「ま、そりゃそうか」
なんて喋りながら、右手の短剣を振る。
鈍い音とともに、ゴブリンは崩れ落ちた。
「お、お見事です……!」
姫宮がぱちぱちと拍手する。
青い瞳が尊敬の色で輝いている。
「これくらいはな……さあ、先へ進むぞ」
俺は背を向ける。
……が。
『お待ちください、マスター。まだやることがあります』
「う……」
アリスに引き留められ、踏み出そうとしていた足を止める。
「どうしてもか……?」
『はい。魔物を鮮やかに倒した今が、絶好の機会かと』
「だよなあ」
ため息をつき、振り返る。
愛沢のカメラは、しっかりとこちらを捉えていた。
俺は決心し、大きく息を吸った。




