第29話 出撃準備
テレビの向こう側は、地獄絵図だった。
中継映像の画面いっぱいに魔物が蠢いていた。
四足の獣型、腕が異様に長い人型、何本もの触手を引きずる異形……。
形も大きさもばらばらだが、共通しているのは、ただひとつ。
画面越しでも伝わってくる、恐ろしいほどの強さ。
正真正銘の怪物たちが、黒い波のようになって、周囲を取り囲んだ米軍に押し寄せていた。
『現在! 現場では米軍が交戦を開始――』
次の瞬間、リポーターの言葉を轟音がかき消した。
重火器の魔具が火を噴き、閃光が魔物の群れを薙ぎ払う。
炸裂する魔力のこもった銃弾が、魔物たちをまとめて吹き飛ばした。
しかし、煙が晴れたあとも、魔物は止まらない。
焦げた肉を引きずりながら、欠けた身体のまま、なお前進する。
動かなくなった個体もいるが、その屍を踏み越えるように次が前に出る。
やがて、魔物の反撃が始まった。
映像の端で装甲車が横転した。
銃を構えた兵士が吹き飛ばされ、悲鳴が混線する。
戦士の質も量も、相手が上回っている。
当然、みるみるうちに戦況は悪化していった。
俺は画面を見つめたまま、呟く。
「行かないと」
「先輩!」
隣で愛沢が声を上げる。
「さ、さっきは告白じゃなかったのがショックすぎてスルーしたっすけど、あんな危険な所には行かせられないっす!」
「……俺だってわかってるさ」
画面から視線を外さないまま、俺は愛沢に答えた。
「こんな退役兵が一人加わったところで、どうにもならない。仮に数体倒せたって、焼け石に水だ」
「わかってるなら、なんで……!」
「それが、俺の使命だからだ」
口に出して、やっと自分でも腑に落ちた。
愛沢が息を呑むのが、音で伝わってくる。
「……今さらだよな。一度は誘いを断っておいてさ」
ルクシア主導の最強攻略部隊。
そこに勧誘されたとき、俺は尻尾を巻いて逃げた。
俺がいたって何もできないだろう、という自分への言い訳を並べて。
「だけど、お前が背中を押してくれたんだ」
俺はそう言って、愛沢の手を取った。
「せ、先輩!? これは何を――」
「震えてない」
「……震え?」
こくりと頷く。
「俺はこれまで、過去の敗北がトラウマになって、高難度ダンジョンや強い魔物を想像するだけで手が震えたんだ」
形態変化したボスに、仲間の死。
一日たりとて忘れたことはない。
「でも、あそこに行く覚悟ができた今……震えが止まってる」
愛沢の手に重なる自分自身の手を見る。
細い手を握る、骨ばった傷まみれの手。
俺は静かに力を込めた。
「愛沢の言葉が、俺に勇気をくれた」
「……ゆ、勇気があったって、どうにもならないっす!」
愛沢の言う通りだ。
いくらトラウマを克服しようが、全盛期の実力には程遠い。
魔法だって、発動できる確証はない。
俺が行ったところで、戦局は覆らない可能性の方が遥かに高い。
「――だけど、これが俺の命の使い方だと思う」
無様に救われて得た命。
のうのうと安全圏で最期の時を迎えるなんて、俺にはできない。
俺の決意を聞いた愛沢は、静かに唇を噛んだ。
「で、でも、もう間に合わないっす。あそこはアメリカ。今から向かって、あの戦いに加勢できるわけないっすよ」
「間に合うさ」
俺は、じっと愛沢を見た。
「な、何じっと見てるっすか」
真っすぐ、一瞬も逸らさずに。
「――はっ、ま、まさか……!」
勘付いた愛沢の顔が一瞬で青ざめる。
俺は開発室の隅に向かって歩き始めた。
「だ、ダメっす! 絶対にダメっす! ホントに待つっす!!」
愛沢が叫びながら、後ろから腰に抱き着いてくる。
しかし俺は立ち止まらない。
ずりずりと愛沢を引きずりながら部屋の隅までたどり着く。
そして、不自然に置かれた布を掴み、はぎ取った。
「やっぱりな」
そこにあったのは、大人がそのまま通れそうな大きさの、四角いフレームだった。
枠は艶のない金属質の黒。
内側は空洞で、向こう側の壁がそのまま見えている。
もちろん、ただのインテリアじゃない。
空間をくり抜くための装置――『人間用転移ゲート』の試作機である。
「……これ、どうやって起動するんだ?」
指先で縁を軽く叩く。
ひやりとした感触が伝わる。
「起動するんだ? じゃないっす!」
愛沢が裏返った声を上げた。
「試作機の意味わかってるっすか!? テスト段階っすよ!」
「でも、成功することもあるんだろ?」
「あるっすけど!」
食い気味に返ってくる。
「確率は前と変わってないっす! 10回中4回は失敗! アタシ、黒焦げになった先輩なんて見たくないっすよ!?」
「6回成功するなら十分だ」
俺が淡々と言うと、愛沢は絶句したあと、顔を真っ赤にする。
「ダメっす! この手で先輩を殺すなんて、最悪すぎるっす!」
「……どうせ、待ってても死ぬだけだぞ」
俺は努めて落ち着いた声で、諭すように言った。
「遅いか早いかの違いだろ?」
今まさに崩壊中のアメリカのゲート。
米軍が交戦中だが、それもいつまで持つかわからない。
敗北したが最後、やがて世界中に魔物があふれ出す。
ここで傍観していても、いずれ火の粉は降りかかる。
それなら、自分から燃えている場所に飛び込んだ方がいい。
「……試作機があるなんて、口走らなきゃよかったっす……」
愛沢の肩が、がくりと落ちた。
本気で後悔している顔だ。
それでも俺は視線を逸らさない。
「頼むよ、天才」
数秒の沈黙が落ち、やがて深いため息。
「……どうなっても知らないっすからね」
観念したようにそう言うと、愛沢はゲート横の制御端末へ近寄った。
ノートPCを開き、ケーブルを差し込み、認証コードを入力していく。
カタカタとキーを叩く音が、静かな室内に大きく響く。
「どれくらいかかる?」
「座標指定込みで、2分もあれば準備できるっす」
「助かるよ」
短いやり取りを背に、俺は自分のデスクに向かった。
デスク下からバッグを取り出し、ジッパーを開く。
そこに入っているのは、何かあった時のためにと、家から持ってきていた装備だ。
戦闘用インナースーツを取り出す。
伸縮性のある黒い生地。
魔力伝導繊維が織り込まれた旧式モデルだ。
最新型に比べれば出力効率は劣るし、防御補助も心許ない。
だが腕を通した瞬間、まるで皮膚の延長みたいに身体に馴染んだ。
胸部の魔力循環ラインが微かに光り、身体の奥に眠っていた感覚が目を覚ます。
次いで、腰に二本の短剣を差す。
10年以上前に造られた武器だが、定期的に整備をしていたおかげで刃こぼれはない。
柄を握ると、掌の窪みにぴたりと収まる。
重さも、大きさも、質感も、すべてがあの頃のままだった。
「……やっぱり、旧式だな」
自然とそう呟いていた。
最後にインナーの上から上着を羽織り、イヤーカフ型の端末を耳に装着する。
人間の肌に触れたのを検知し、軽い電子音が鳴る。
「アリス、聞こえるか」
『――アリス、オンライン。お久しぶりです、ご主人様』
相変わらずの無機質な機械音声だが、どんな時も普段通りなその声が、逆に俺を落ち着かせる。
「今回は試験じゃないぞ。本番だ」
『まだCランク以上の実地試験は完了していませんが』
「無理か?」
一拍の間があき、そしてアリスは答える。
『いいえ、可能です。私の使命は、マスターをあらゆる危険からお守りすることですから』
「良い返事だ。……が、今回の敵はお前のデータベースに無い未知の個体だ。動きの予測は期待してない。死角や不意打ちの検知が主な仕事だ」
『承知いたしました。優先度を生存確率最大化に設定します』
正直なところ、アリスは今回の戦いの役には立たない。
生存率をほんのわずかに底上げするための、お守り的な存在だ。
「――準備完了っす」
愛沢の声が背中に刺さる。
振り返ると、黒いゲートが静かに佇んでいた。
まだ内部は空洞のままだが、周囲の空気がわずかに震えている。
俺はゲートの前に立った。
「……本当に、行くっすか」
横から力なく飛んでくる、かすれた声。
「ああ。頼む」
短く答える。
愛沢が顔を上げた。
目は真っ赤で、今にも涙がこぼれそうだ。
「……先輩、最後にもう一度だけ言わせてくださいっす」
愛沢は小さく息を吸い込んで、静かに言った。
「大好きっす」
俺の胸の奥が、ほんの少しだけ軋んだ。
けれど今はまだ、それを表に出す時じゃない。
「ありがとう」
それ以上は言わなかった。
「……それじゃ、いくっすよ。サン、ニ、イチ……」
エンターキーが叩かれる。
低い駆動音が鳴り、黒い枠の内側に紫紺色の光が広がる。
空間が水面のように揺らぎ、中心部が歪む。
「繋がったっす」
小さく告げる愛沢。
俺は深く息を吸う。
……うん、震えはない。
「じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃいっす、先輩」
愛沢の、涙を浮かべたままの笑顔を受け止める。
そして、一歩前へ。
紫の光が足元を包む。
踏み込む直前、俺は振り返らずに言った。
「――戻ってきたら、返事をさせてくれ」
「っ……絶対! 絶対戻ってくるっすよ! 待ってるっすから!!」
その声を背に、俺は紫紺の光の中へ足を踏み入れた。




