第22話 スーパーの女王?
金属音の正体は、無機質な灰色の封筒だった。
郵便受けから抜き取ったそれは、やけに分厚い上質紙でできている。
表面には内閣府の紋章と、赤い『至急』のスタンプ。
差出人欄には、探索庁・特別対策課の文字。
いかにも「公的機関からです」と主張していた。
「……嫌な予感しかしないな」
喉の奥がひりつく。
ごくりと音を立てて唾を飲み込み、俺は封を切った。
中身は簡潔だった。
新ダンジョンに対処するための「特殊攻略部隊」編成。
その候補者として、黒野凍希の名を挙げる。
参加の意思確認のため、指定日までに返信を……。
最後まで読み終えたところで、俺は天井を仰いだ。
「……やっぱりか」
先ほど見た動画で、天城ルクシアが言っていた。
米軍が攻略に失敗した超高難度ダンジョンに、世界各国のトップ配信者を集めて挑む、と。
その誘いが、まさか俺に来るだなんてありえない、と思っていた。
だが同時に、ほんの僅かな可能性を認識してもいた。
姫宮のチャンネルであるとはいえ、ここ最近の人気の上昇具合は凄まじい。
そして曲りなりにも、世界トップのルクシアを倒したという実績があるからだ。
紙を持つ指先が、じわりと汗ばむ。
参加するかどうか。
その選択を、頭の中で転がす。
高難度ダンジョン特有の、むせかえるほど魔力濃度の濃い空間。
肺の奥で粘つくような、重たい空気。
一瞬の油断で命が失われる緊張感。
ひりつく戦闘、仲間の叫び、血の匂い。
「――ゼェ……ハァ……っ」
頭の中でシミュレートした瞬間、呼吸が乱れた。
胸が締め付けられ、視界も狭まる。
紙面の文字が滲んで読めなくなる。
汗が額から顎へ伝い落ち、手が勝手に震え出す。
「くそっ……」
協力したい気持ちはある。
ダンジョンを安定化させなければ、被害は広がる。
あの頃のような事故を、二度と繰り返したくはない。
……それに、ドルヴァノの件もある。
だが、こんな状態で行ったところで、足手まといにしからならない。
「……無理だ」
気づけば、俺は封筒ごと紙を握り潰していた。
やがて、びり、と乾いた音が響く。
さらに引き裂く。
何度も何度も、文字が読めなくなるまで。
そして細切れになった紙片を、ゴミ箱に叩き込んだ。
しかし、数分もすると別の感情がじわじわと滲み出してくる。
これでよかったのか?
逃げただけじゃないのか?
俺にもやれることがあったんじゃないのか?
「……くそ」
いつも通りなら、こんな日は仕事に打ち込んで、淀んだ思考を振り払う。
だが今日に限って、有休を取ってしまっていた。
個人的には休みなど必要ないのだが、労基法の都合で年五日は必須。
社長を犯罪者にするわけにもいかない。
部屋の静寂が、やけに重い。
しばらく天井を睨んだあと、俺は息を吐いた。
「……よし」
何かしていないと、余計なことばかり考える。
スマホと部屋の鍵を掴んで、外へ出た。
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「いらっしゃいませー」
自動ドアを抜けると、明るい蛍光灯の光と暖房の風が迎えた。
そこは、安さがウリの近所のスーパーだ。
俺はカウンターの奥の店員に、軽く会釈をして通り過ぎる。
今日の目的はコーヒーと甘いもの。
カフェインと糖分で、不安ばかり生み出す脳を黙らせる算段だ。
「……お、安い」
ふと通路の真ん中の、冷蔵特売ワゴンが目に入る。
賞味期限間近の鶏もも肉が、1パックだけぽつんと取り残されていた。
それには赤い半額シールが貼られている。
俺は普段、料理をしない。
必要最低限の栄養を、インスタントやサプリで摂れればいいというスタンスだ。
ただ、調理器具は一通り揃っている。
今のアパートに住み始めた時に、羽生田社長が無理やり寄越してきたものだ。
今日は仕事も休みで、時間がある。
何か作業をした方が、気も紛れるかもしれない。
……夕飯用に、買うか。
そう思って手を伸ばした瞬間。
「「あっ」」
声が重なった。
ワゴンの向こうから伸びてきた誰かの手と、俺の手が、同じパックの上で触れ合ったのだ。
「すみません」
反射的に手を引き、視線を上げる。
まず目に映ったのは、もこもこのダウンコート。
そして大き目のサングラスに、目深に被ったキャップ。
人相の大半を隠す格好をした女性が、そこに立っていた。
どんな人物かはわからないが、さきほどの声は若った。
……しかも、どこか聞き覚えがある。
変装した女優とかだろうか。
それなら、聞き覚えがあってもおかしくない。
まあ仮にこの人が女優でも、俺は芸能人に詳しくないし、特に興味もない。
早い話が、どうでもよかった。
「これ、どうぞ」
俺はパックを手で示した。
「あっ……あっ、えっ……」
相手はしどろもどろになりながら、小さく会釈する。
「どうも……ですわ」
「……ん?」
「あっ」
女は慌てたように肉を掴み、カゴへ放り込み、足早に去ろうとする。
その背中に、俺は80%程度の推測を持って、声を飛ばした。
「天城ルクシアか?」
ぴたり、と女の動きが止まる。
そして、くるりと振り返ったかと思うと、つかつかとこちらへ詰め寄ってきた。
「わっ、とっと……おいっ」
俺は押されるまま棚の影へ追いやられる。
ぐいぐい押してくるために、距離が近い。
で、わかった。
サングラスの奥、わずかに覗く瞳が……深紅だ。
「な、なんで貴方がこんな所にいるんですのよぉ……!」
ボリュームをできる限り抑えつつ、女――配信の女王こと天城ルクシアは、俺に尋ねてきた。
「やっぱお前だったか。なんでって……近所だからだけど」
「近所ぉ!? そ、そんな、こんな身近に……」
ルクシアはわなわなと震えだす。
そんな彼女の腕にかかった買い物カゴが、俺の視界に入った。
肉や魚、野菜に卵と色々な食材を購入しているが、ほぼ全てが割引シール付き。
半額、三割引、商品入れ替えの見切り品。
「いや、お前こそ何でこんな所に……しかも、そのカゴの中……」
目の前の女は、世界最大の企業イグニス=ギアの看板ストリーマーで、世界で最も多くの視聴者から愛された配信者で、そもそも生まれも名家の令嬢で……。
ドがいくつあっても足りない、超絶金持ちだったはずだ。
なのに、なぜ割引商品ばかりを……というか、なぜこんな普通のスーパーに。
「い、色々と事情があるっ! ……んですのよっ」
ルクシアは声を荒げかけ、慌てて抑える。
「もうっ……今まで完璧に隠し通して来たのに、なんでよりによって貴方にバレてしまうんですのっ」
「……お前もしかして、貧乏だったり? ……いや、流石にそんなわけ——」
ぴたり。
ルクシアの動きが完全に固まった。
そんなわけないですの! みたいな否定が飛んでこない。
「……マジ?」
思わず一歩引く。
ルクシアはキッとこちらを睨みつけ、やがてため息を吐いた。
そのサングラスの奥の瞳は、心なしか潤んでいるように見える。
「……説明いたします。ですから、どうか他言はしないでいただきたいですの……」
「あ、ああ」
「……それじゃ、いきますわよ」
「え、どこに——」
「……決まっているじゃありませんの。私の家ですわ」
「はあ!?」
つかつかと歩き出すルクシア。
俺はその背を、半ば呆然と追う。
「おいっ……ま、待てよ!」
そう呼びかけると、ルクシアはぴたり足を止める。
何か言い返すのかと思えば、そんなことはなく。
彼女は脇の棚から徳用のパン耳の袋をひとつ掴み、無言でカゴに入れた。
透明な袋の中、ぎっしり詰まったパン耳の端切れ。
配信で何億も稼いでいる女の買い物とは、とても思えない。
「……よ、予想外過ぎる」
俺の呟きは、店内BGMにかき消された。




