第21話 悪夢
「――くそ……っ」
喉の奥が焼ける。
肺がうまく空気を吸わない。
脳まで酸素が届かない。
俺は崩れた岩の陰に倒れ込み、荒い呼吸を繰り返していた。
両腕共に痺れて感覚がない。
肋骨も何本かいっている。
動くたびに、内側から刃物で抉られるみたいな痛みが全身を貫いた。
「――グモォォオオオオオッ!」
洞窟内に咆哮が響く。
地をも震わせる重低音。
それに連動し、岩場の向こうで爆発音と金属音、そして仲間の悲鳴が入り混じる。
……なんで、なんでだ。
敵は確実に仕留めた。
首を断ち、胴を貫き、四肢を切り落とした。
魔力は吹き出し、肉体の崩壊も始まっていた。
これまで幾度となく見てきた、魔物の最期と同じ。
あの手応えは間違いない。
なのにどうして、まだあんな声が出せる。
あんなに元気に、暴れまわることができる……!
視界の奥に焼き付いている光景。
それは、崩れ落ちたはずの巨体が、黒い霧を纏って再構築されていく様。
裂けた肉が縫い合わさり、砕けた骨が伸び、全身から角が隆起した。
子どもの頃にプレイした、ロールプレイングゲーム。
ラスボスをやっと倒したと思ったら、更に強くなって復活し、二回戦が始まったのを覚えている。
今、目の前で起こった現象は、まさにそれだった。
事前情報にはなかった。
今まで、世界でただの一つも、そんな事例は……。
「――凍希!」
甲高い声が空気を切り裂く。
俺は震えながら、声のした方向へ首を向けた。
すると、茶色のポニーテールを揺らす少女――俺の恋人である、香奈が駆け寄ってきた。
「よかった……無事だったんだね……!」
俺の隣に膝をつき、肩に手を置く。
「香、奈……」
もはや名前を呼ぶのすら、やっとだ。
「ア、イツ、は……?」
無理やり絞り出した声は掠れている。
香奈は一瞬だけ目を伏せ、それから困ったような顔で笑った。
「……全快って感じ。ピンピンしてるよ」
最悪だ。
ただでさえ強かったボスが、やっとの思いで倒したボスが、復活しただなんて……。
「……皆は、どう、なってる……?」
「凍希が最後にボスの攻撃を逸らしてくれたでしょ? あの隙に何とか体勢を立て直して、今は持ちこたえてるよ」
「……そう、か」
ひとまずの安堵とともに、視界がぐらつく。
いや、まだだ。
まだやれる。
気を抜くな。
「ハァ、ハァ……待ってろ……俺も、すぐ戻る……!」
岩に手をかけ、身体を起こそうとする。
だが腕が震えて力が入らない。
やがて膝が崩れ落ちる。
「凍希! ダメだよ!」
香奈が慌てて俺の身体を支える。
「今日はもう三回使ったでしょ!? これ以上動いたら凍希が死んじゃうってば!」
俺の魔法は、強力な効果を有する代償に、魔力消費が激しい。
万全の状態でも、発動できるのは三度まで。
それを超過すると、生命の危機が訪れる。
「……だ、けど、皆を……助け、ないと……!」
命が危ぶまれているのは、皆も同じだ。
既に俺は満足に戦える身体ではないが、それでも何か、ほんの少しでもいいから、できることを探すんだ。
そう意気込んで身体を動かそうとしても、肺の奥が焼けるように痛む。
全ての内臓が悲鳴を上げているのが分かる。
どうしても、身体は言うことを聞いてくれない。
「大丈夫だよっ!」
そんな俺の無様な姿を見て、香奈は小さく拳を握った。
「凍希がずっと頑張ってくれてたおかげで、皆まだ余裕あるんだから! 凍希は安心して、ここにいてっ?」
明るい声だった。
わざとらしいくらいに。
「何かあっても、皆のことは私が守るからっ!」
「香奈……! い、行くなっ……」
止めなければ。
いや、止めてどうする。
香奈はこの部隊の中心となる戦力。
全員の生存率に大きくかかわる存在だ。
一刻も早く戦線に復帰した方が良い。
……だけど、本心を言ってしまえば、行ってほしくなかった。
そのとき、再び大きな咆哮が響く。
ついで腹の底にまで届くような衝撃波と、誰かの絶叫。
「大変っ……私、行くね!」
「ま、待て……!」
呼び止めようとするが、指先を動かすのでやっとだ。
香奈はこちらを振り返る。
ほんの一瞬、柔らかく笑った。
「――凍希、愛してる」
「っ……香奈!」
叫ぶ。
「香奈! 待て! 待ってくれ!」
喉が潰れそうなほど、叫ぶ。
「行くな、香奈――!」
視界が閃光に呑まれる。
俺の声は、爆音に掻き消えた。
「――香奈っ!」
叫びながら、ガバッと身体を起こす。
目の前に広がるのは、水晶の生えた洞窟……ではなく、見慣れた薄暗い部屋。
自分の呼吸がやけにうるさい。
「……またか」
呟いて、大きなため息をつく。
何度目だ、この夢……。
「毎度毎度、よく飽きないな」
自分の脳に向けて、吐き捨てる。
手を見ると、無意識に右手の指先が細かく震えていた。
反対の手で押さえ込み、無理やり止める。
枕もとのスマホを手に取り、画面を付ける。
時刻表示は午前5時30分。
起きるにはまだ早すぎる……が、全身が寝汗でぐっしょり塗れていることに気づき、起き上がることにした。
「……シャワー浴びるか」
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ドライヤーの温風が濡れた髪を乾かす。
何を考えるでもなく、ぼーっと見つめる視線の先。
そこには、壁に掛けた写真立てがあった。
縦長のフレームの中で、ポニーテールの少女が笑っている。
「……香奈」
零れた呟きは、ドライヤーの音に溶けた。
そのとき、机の上のスマホが震える。
ブーッ、ブーッ、ブーッ。
画面を見ると、愛沢からチャットが送られて来ていた。
……朝の6時に?
珍しいな。
開いてみると、『これ見るっす!!!!』という一文にURLが添えられていた。
青く光るその文字をタップすると、表示されたのは『配信の女王』こと天城ルクシアの動画だった。
『【緊急】新ゲートについて【ですわ】』。
「……なんだこのタイトル」
公開日は昨日の夜中。
再生数はすでに1億回を突破している。
相変わらずの超絶人気だ。
「…………まあ、見てやるか」
映ったのは、いかにも金がかかっていそうな屋敷の一室だった。
重厚なソファ、磨き上げられた大理石の床、背後に控える執事たち。
『――皆さん、ごきげんよう』
ソファに優雅に腰掛けたまま、カメラを見据えるルクシア。
目の前の安アパートの散らかった部屋と、画面の中の豪奢な空間を見比べる。
少しだけ、苛立つ。
確か、天城ルクシアは名家の令嬢だと愛沢が言っていた。
ということは、やつは魔力の才能だけでなく、モデル並みの容姿と極太の実家を持つ、最強に恵まれた存在だということだ。
最初から持っているやつは、最後まで持っていく。
……なんて、不条理な世の中だろうか。
『さて。本題ですわ』
そんなことを考えている間にも、動画は中盤に差し掛かっていた。
『アメリカに出現した新たなダンジョン。皆さまご存じの通り、米軍は攻略に失敗いたしました』
画面にテロップが重なる。
『私の得た情報によると、内部の魔物は、これまで確認されたGからSの、どのランクにも該当いたしません。言わば……SSSランクですわ』
単語自体は冗談に聞こえるが、一切の緩みがないハッキリとした声音だった。
公式に存在するはずもない、SSSランク。
それは、新ダンジョンが規格外であることを裏付けている。
『米軍の第一陣は、ボスにたどり着くことすらできず、壊滅的な損耗を受けましたわ。……ゲート暴走まで、残り一ヵ月ですわよ』
一般的なゲート暴走までの期間は、大抵そんなものだ。
『そこで米軍から私に、とあるプロジェクトへの正式な参加依頼が届きましたの』
ルクシアが背筋を伸ばす。
屋敷の照明が、金色の髪を淡く照らす。
『世界のトップ配信者を集め、特別攻略部隊を編制。今回のSSSランクダンジョンを攻略いたします。そしてそのリーダーを……私が務めますわ』
一切迷いのない、さもそれが『当然である』と言わんばかりの言葉だった。
『トップ層の皆さまには、各国政府より正式な招集依頼が届くはずですわ。……どうか、前向きにご検討を』
ルクシアは、深紅の瞳でカメラを真っ直ぐ見据える。
その視線は画面越しでも鋭い。
『もし、この特殊部隊も敗れるようなことがあれば……それは世界の崩壊を意味するんですの』
静寂が、数秒流れる。
『作戦の決行は三週間後。視聴者の皆さん、私たちの勝利を祈っていてくださいませ』
そこまで言い切って、映像が暗転する。
再生バーが最後まで行って止まった。
俺はゆっくりとスマホを伏せ、机に置いた。
「世界の崩壊か……とんでもないことになってきたな」
呟いて、大きく息を吐く。
そのとき。
――ガコン
金属が打ち鳴らされるような音が、静まり返った部屋に響いた。




