第23話 賭け事
領主の息子同士の外交という名の交流は、座学や武術を共にすることで互いを認め合いながらもどちらがより優れているかを見せつけ合う血生臭いものである。
それには従者達の優劣(仕事の速さ、丁寧さ)も関わってくるわけであるが、陽葵にはそのような上流階級の暗黙の了解がわかるはずもない。しかし、いくら外交に疎い紫苑でもそれは十分理解しているため、朝からひどくピリついた雰囲気を纏っていた。ことあるごとにまるで姑のように細かい指摘の雨が陽葵に飛んできていた。
朝の座学。紫苑は椋と隣に並び書道に勤しむ。教育係は彼らの所作や字の美しさに分け隔てなく評価を与える。互いにぴんと張った微動だにしない背筋、しかし紙の上で自由に舞う筆と墨に後ろで陽葵を含めた控えている彼らの従者は感嘆のため息を漏らす。
「紫苑、なかなかいい字書くね。」
椋が紫苑の紙を覗き込みながら言う。
「貴殿も負けてないですよ。」
彼の方へ顔を向けることなく、淡々とあからさまなお世辞を言い放つ紫苑。椋は返す言葉が見つからずに肩をすくませ、苦笑いして自席へ戻る。
「椋様も紫苑様と似てなかなか芯のある字を書かれますな。」
教育係の老人が、彼の書いた字を見ながら言った。いつも雲を掴むように掴みどころがない雰囲気を醸し出している彼の印象とは全く異なる、芯があり筆圧がしっかりした力強い字。
「僕、結構こう見えて野心家だからさぁ。そういう性格が字に出ちゃうんだろうね。」
同意を求めるように椋は不敵な笑みを浮かべ、紫苑を見た。
「俺に野心はない。一緒にするな。」
「え〜じゃあ何?執着かな?」
椋の視線は、紫苑の髪に乗せられた牡丹の簪へ移る。ピリリと肌を指す緊張感が陽葵にも伝わる。怒りで紫苑の方が微かに震えているのが後ろからでもわかる。こちら側からでは見えないが、きっと怒りが表情に出ているのだろう。覗き込むように顔を見ている椋は楽しそうに笑っている。
「__黙れ。気が散る。」
声を押し殺したような紫苑の低い声、筆を持つ手は強い力が込められ白くなっている。あはは、冗談だよ〜。と馬鹿にしたように笑う椋。彼らの視線は一度も交わらないまま時間だけが過ぎていった。
午後の武術の時間になっても、その殺伐とした雰囲気は変わらなかった。桜が満開の中庭で互いに木刀を握り、素振りを繰り返す。客人がくるのが珍しいため、下男下女たちも中庭に集まって彼らの稽古風景を眺めている。椋は機嫌良さそうに笑顔で周りの〝野次馬〟達に向かって手をひらひらと振る。諸肌脱ぎで露わになった彼の鍛え上げられた上半身からはつうと汗が滴る。その美しい光景に手を振られた下女達は頬を赤く染めていく。
そんな光景が面白くない紫苑はぎりりと歯軋りしながら素振りを続ける。空を斬る音がより一層激しくなる。
そろそろ稽古も終わろうかという頃合いだった。言葉を交わらせることなく、個々で鍛錬している様子を見かねた指南役は手をぱんと叩いた。
「折角です。紫苑様と椋様、手合わせをしてみてはいかがでしょう。」
二人の素振りをする手動きが止まり、今日初めて彼らは目を合わせる。凍てつくような冷え切った黒い瞳と何を考えているのか分からない嘲笑ったようなドス黒い瞳がぶつかり、二人にしか分からぬ火花が散る。
先日、天仁から受けた〝洗礼〟のおかげで、きっと紫苑の右手は手合わせをするほどに万全ではない。椋の武の腕前を知る陽葵は一抹の不安がよぎり、紫苑の元へ手拭いを持って駆け寄る。
「紫苑様、お言葉ですが…その…手の具合はもう…。」
「お前に心配される筋合いはない、お節介。丁度いい、彼奴のあのにやけた面を叩き潰すいい機会だ。」
手拭いを万全ではない右手でぎこちなく、しかし乱暴に受け取り、首筋伝った汗を拭いながら椋を睨みつける紫苑。
二人のその小声でやりとりする様子をじっと眺める椋の心の中には黒い感情が広がった。少し前までは自分の隣だった〝彼女の席〟が今は別の、こともあろうに敵対視している男の隣にあるという事実が非常に面白くない。椋は自分の所有物を取り返したくなる衝動に駆られた。
「あ、そーだ。紫苑、折角の手合わせだ。賭け事しない?」
椋の瞳は妖しく光る。
「賭け事?」
「そ、賭け事。今からする手合わせ、僕が勝ったらその陽葵と僕の従者一人と交換しよう。あ、そうそう滞在期間だけじゃないよ。僕が漆間のとこに戻ってからもずーっと…ね。」
「椋様!?何を…!」
陽葵の困惑の声が届かぬ様子で椋は自身の従者三人をどれを差し出すかをまるで買い物しているかのように品定めしたのち、椋は「お前にしよ。」と指名する。白羽の矢が立てられた従者の女は、信じられないと言わんばかりの驚愕と不快感が混じった色を顔に滲ませていた。
「おい、待て。そんなふざけた賭け事俺は…!!」
「え?何、自信ないの?だったら不戦勝にするけど。…君が勝ったら〝すっごく良い事〟教えてあげるからさ。」
余裕たっぷりの笑みで答えを選ばせない様子の椋。紫苑はこれ以上自分を馬鹿にさせるのが我慢できないのだろう、ぎゅっと木刀を握り締めて睨みつける。
「……良いだろう。」
「そう来なくっちゃ、僕強いよ。後で泣き言なんて言わないでね。」
椋は自信たっぷりの笑みを彼に向けた。その時、強い風が中庭に吹きこみ桜の枝
が不安げに揺れた。強風で煽られた花々はその身を大きく揺らして花弁を巻き上げていった。




