第22話 宴
その日の夜、紫苑と椋の前には九条領の名産を贅沢に揃えた豪華な食事が並んでいた。紫苑が椋を歓迎するための宴を執り行ったのだ。歓迎といってもそれは建前で、紫苑の顔は依然として仏頂面のままだ。
一方の椋はその様子ですら楽しんでいるようで、従者を周りに侍らせて優雅に美酒を口に運ぶ。
「ねぇ、紫苑。そんな怖い顔しないで、僕は君のこと結構好きなんだよ。」
「…それは光栄だ。」
相手の顔に目をやる事もなく、表情一つ変えずに淡々と答える紫苑。
こんなにも盛り上がらない宴があっただろうか。陽葵はこの一触即発な宴に身が縮こまる。彼の盃は減ることがなく、本来給仕で忙しくなるはずの彼女は手持ち無沙汰でその光景を眺めることしかできない。
「冷たいなあ。僕はすっごく寂しかったよ。昔からよく父上とここに来てたけど、君ぜーんぜん、顔見せなかったからさあ。」
「忙しかっただけだ。」
彼らの冷えた空気を切り裂くように、煌びやかな着物をきた女達が陽気な音に乗せて舞踊を披露しはじめる。行灯の光が美しい着物を照らし、まるで天女のように彼女らを映すが、相変わらず紫苑は盃に手を伸ばす気配はない。陽葵はその彼の背中から「下らない。」と死んだような瞳でその風景を眺めている表情が容易に想像できた。舞を踊る彼女達が気の毒に思った陽葵は小さくため息をつく。
一方の椋は、舞を踊る美しい女たちを目を細めて眺めている。お酒が進んでいるようで彼の従者たちは忙しなく彼の盃に酒をそそぎ続ける。
楽器の奏でる音を背景に椋は紫苑の方へ擦り寄ってくる。紫苑は少し嫌そうな表情浮かべ距離を置くように身を遠ざけたが、椋が擦り寄ってきたのは紫苑の方ではなかった。
「ねぇ、陽葵。」
酔っているのだろう、目は少しとろんと垂れており頬はほんのり桜色に染まっている。少しはだけた着物の隙間からは凛々しく艶やかな胸筋がのぞいている。妖艶な彼のその笑みは灯りに照らされ、舞を踊る女達よりその姿は幻想的に映る。彼を警戒している陽葵ですら心臓が早鐘を打つ。
椋は自身の持つ中身が空になった盃を彼女の前につき出す。
「君が注いで?」
「え…えと。」
「飲みたいなぁ、君が淹れてくれたお酒。昔みたいに…。君が注いだお酒は格別だからさ。」
ズリ…ズリ…
回答に困る陽葵をよそに椋は一歩、また一歩と近づく。
陽葵の耳に舞踊の拍子は遠く聞こえ、椋の擦り寄ってくる着物と畳の擦れる音だけが頭の中に反芻する。
「___これは椋様、だいぶ酔っているようだな。」
冷たい声が二人の間に響くと同時に近づく椋の動きが止まる。紫苑がそれ以上近づくなと言わんばかりに椋の腕を掴んだのだ。掴んだその手は力を緩めることを知らず、みしみしと椋の腕が軋む。
「ちょ、ちょっと痛いよ。紫苑。」
紫苑の瞳には天仁と椋が重なって見えるのだろう軽蔑の色だけが滲む。
「おい、お前ら。主人の管理もろくにできないのか。」
椋の従者に向かって鋭く言い放つ。弾かれたように従者二人が「椋様、お席に…。」と椋を引っ張って自席へ戻した。
「あ〜、飲みたかったなぁ。僕の陽葵が注いだお酒。」
「あいつはお前の者じゃない。俺の従者だ。気安く近づくな。何度も言わせるな。」
「しみったれたこと言ってると人から好かれなくなるよ〜、紫苑。」
「好きに言っていろ。」
気づけば舞踊は終わり、宴の席は静寂と彼らのやりとりが支配していた。しばしの間の後、紫苑はため息をひとつつく。
「宴は終わりだ、俺はもう休む。」
立ち上がると、お前もついて来いという目で陽葵を見た。
「はい、すぐ寝室の準備をいたします。」
不機嫌そうにふんと鼻を鳴らしながら、後ろをついていく陽葵。彼らがいなくなった部屋には椋とその従者達だけが取り残される。
彼らが出て行った襖をじっと見つめる椋。そこには先ほどの酔った妖艶な表情も、浮ついたような笑顔もなかった。
「椋様、大丈夫でございますか。」
「ごめんね、お前達。大丈夫、全然酔ってないからさ。」
そういうと椋は先ほど強く握られた腕をさすった。腕はまだ鈍く、ズキズキと痛みが残っている。軽く痣くらいはできているかもしれない。
__あいつ、この僕を本気で掴んだな。
「……箱入り息子の、クソ餓鬼が。」
ぽつりと漏れたその声は、いつもの彼の甘い顔からは想像できないほどに低く冷たい。
「椋様?今何か?」
「ごめん、ごめん。やっぱりちょっと酔ってるかも〜。僕たちも寝ようか。」
小さく漏れた彼の本性が従者達の耳に届くことはなく、変わらぬ笑顔を貼り付けた椋は従者達に声をかけた。その心の奥底には彼の野心が轟々と音をたてて燃えていることを知っているのは彼だけだった。
「ふん…つまらん宴だ。お前のそれを見ている方がまだマシだ。」
吐き捨てるようにそういうと紫苑は眉間の皺を深めながら、湯呑みに口をつける。陽葵は紫苑の従者になってからは書庫ではなく、紫苑の自室で稽古を受けることとなっていた。おそらく先日の天仁との鉢合わせを紫苑はだいぶ警戒しているのだろう。
___私の書く字はまだ見せ物の段階なのだろうか。
紫苑の放った言葉を噛み砕こうとしたが、おそらく自分が傷つく結果となるため考えることをそこでやめた。
「紫苑様、代筆の業務まで後どれくらいかかりますでしょうか。」
「ふん…早くて後五年だな。」
「ご、五年、ですか。」
「それまでにお前が辞めてないといいけどな。」
小馬鹿にしたように意地悪げな笑みを浮かべる紫苑。心なしか最近少しだけ、彼の表情が柔らかくなっている。きっと自分に心を開いている証拠なのだろう、そう思うと従者としてやりがいを感じるというものだ。
「私は辞めません。ずっと紫苑様にお仕えいたします。」
「……ふん。あっそ。」
彼女のまっすぐな忠誠心がむず痒く感じた紫苑は、目の行き場を陽葵の〝作品〟から窓の外へ移した。窓から覗いている月は煌々と輝き、薄暗い灯りが灯る部屋に柔らかい光を注いでいる。
「__不思議だ。月はこんなに綺麗に見えるものだったか。」
「今宵は満月でございますから。」
「…そうか。」
__そういえば今まで気にも留めなかったが、昼間見た中庭の桜も美しかった。今見上げているこの月も目が眩むほどに大きく美しい。
「不思議だ。」
彼はぽつりと呟いた。




