第20話 漆間椋
「__何故だ、来るのは七日後のはずだ…!」
苛立ちが最高潮に達しているであろう紫苑はそう小言を漏らしながら足を踏み鳴らして足早に内門へと進む。陽葵はその背中を遅れまいと必死に追いかける。
「(何故、椋様が?何をしに…?)」
屋敷全体が突然の訪問者に騒めいているが、その喧騒すら遠く感じる。中庭を通ると先日まで蕾が大きく膨らんでいた桜が満開に花開き、春を祝福する花吹雪を降らせている。あんなに待ち遠しく思っていた中庭の桜に気づかないほどに陽葵は混沌の中にいた。
内門では華やかに着飾られた従者を三人引き連れた椋が待ち構えていた。椋は、紫苑に気がつくと不敵な笑みを浮かべる。陽葵はそのよく知った顔を見て、紫苑の背中に隠れるように縮こまる。幸いにも彼はまだこちらへ気づいていない。紫苑は今までの苛立ちを押し殺し、淡々とした表情で彼を迎える。
「お初にお目にかかります。漆間殿、予定より随分早い到着かと…。」
少し嫌味を込めた紫苑の挨拶に物怖じすることなく余裕たっぷりな、それでいて変に色っぽい笑みを浮かべる椋。
「あー、もうそういう堅苦しいのいらないから。大丈夫だよ、紫苑。」
その礼儀知らずな物言いに紫苑の顔色が曇る。彼の眉がぴくりとかすかに動く。椋はそのわずかな表情の変化に気づき、穏やかなそれでいて嘲笑うかのようなのんびりした口調で続ける。椋の目が、紫苑の髪についている牡丹の簪を捉える。
「似合ってるよその簪。噂通りだね、〝牡丹の君〟と呼ぶべきだったかな?」
「なんだと…。」
その場の空気が一瞬で凍りつく、陽葵をはじめ周りにいる者達の背中にも冷たい汗が走る。紫苑の顔が一気に険しくなるが、そんなこと露ほど気にもしていない様子の椋は、「冗談だよ。」と笑った。しかし、その笑った椋の目の奥はどこか冷ややかだ。
「折角の外交なんだから、仲良くしようね。君のお父様にも言われてるからさ___〝箱入り息子〟をよろしくね。ってさ」
「…黙れ!」
会って早々のこの侮辱、紫苑は我慢ならないといった感じで腰にさしている刀に手をかけた。その手は怒りで小刻みに震え、握った鞘もかたかたと音をたてている。椋の従者達は彼を守るべく前へ出ようとするが、それを椋は手で制止した。一触即発のこの雰囲気ですら、椋の表情は一切揺らがず笑みを崩さない。この状況を楽しむように紫苑の怒りで震える手にそっと自分の手を重ねる。
「ふふ、いいの。そんな事して。君のお父様が黙ってないんじゃない?皆も怖がってるよー。ほら、君の後ろの子なんか震えて_____。」
その時だった。紫苑の後ろに隠れていた陽葵を覗き込み彼女と目が合った瞬間、椋の動きがぴたりと止まり、余裕に満ちていた仮面が剥がれ落ちる。
「__陽葵?陽葵だよね?」
「お、お久しぶりです、椋様。」
陽葵は苦笑いし、観念したように頭を下げる。椋は紫苑のことがもう見えていないかのように彼の肩をぐいと押し退け、屋敷の中へ上がりこむと陽葵の前に出てくる。椋の顔は先ほどの紫苑を馬鹿にしている時とは異なり、心の底から嬉しそうな表情でまるで愛おしい子猫を見つけたかのように優しく目を細め微笑んでいる。
「心配したよー、急に僕の従者やめていなくなっちゃったから。こーんなとこで働いてたの、君も物好きだね。」
「はは。」
気まずそうに愛想笑いを返す陽葵。
「(__こいつ、椋の従者だったのか…!)」
先ほどの陽葵が椋の名前を知っていたことや異常に仕事ができることなど、今まで抱いていた小さな疑問点が線でつながっていくのが分かった。
間に割って入らせないような雰囲気が椋を中心に流れる。
紫苑の胸に無礼であるという不快感を塗りつぶすように言い表せない別の感情が押し寄せてきた。自分の庭を土足で踏み鳴らされた〝怒り〟かあるいは知らなかった二人の関係性に対する〝嫉妬〟か。
全く周りが見えていない椋は陽葵に夢中といった様子で更に彼女に距離を詰める。
「あ!陽葵、頭に桜の花びらがついてるよ。…相変わらずうっかりさんだな、そう言うところも可愛いね。」
そう言い、椋の手が彼女に伸びた時だ。
パシン
その手は乾いた音と共に弾かれる。
紫苑が反射的に間に入り、彼の手を弾いたのだ。椋は、なんだお前まだいたの。と言うような怠そうな目を向ける。紫苑は椋を冷たく睨みつけると、低い声で言った。
「俺の従者に許可なく触れるな。無礼も甚だしい、下がれ。」
「へえ、今は君の従者だってことね。」
「無駄口をそれ以上叩くな、今この屋敷の主は俺だ。この屋敷に入る以上は俺の命令に従ってもらう。…できないなら今すぐ出ていってもらっても構わん。」
威圧的な紫苑の態度に椋は相変わらず笑顔を絶やさず、一歩、二歩と陽葵から距離をとる。紫苑は近くにいた下女に声をかける。
「おい、お前。客人を客間に案内しろ。陽葵は俺についてこい。」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれた陽葵は弾かれたように返事をして、その場を後にする紫苑についていく。
「あーあ、折角の感動の再会だったのにぃ。ね、お前たち。」
そう残念そうに従者達に話しかける椋の声を背に聴きながら、陽葵は歩いていく。前を行く紫苑はどのような表情なのか、報告できなかったことを怒っていないだろうか不安に駆られるが幸い、それにより仕事を解かれることはなさそうで少し安堵する。
中庭では桜が先ほどの騒ぎなど気にも留めない様子で爛々と美しく咲き誇っている。その花吹雪が二人の前にはらりと舞った時、紫苑はふと陽葵の方を向いた。
目が合う。その顔は変わらず不機嫌そうな〝牡丹の君〟。しかし、その表情は何故だか少し不安げなそれでいて寂しそうな色が混じっている。そのなんとも言えない顔に陽葵は言葉が出てこない。
「お前、人の前に出る時ぐらいは身だしなみを整えておけ。見苦しいぞ。」
紫苑のお香の匂いがふわりとしたかと思うと、椋が手を伸ばしていたところへそれを上書きするかのように紫苑の手が伸びる。一瞬だけ彼の着物が目の前に広がる。反射で目をぎゅっと瞑る。陽葵が目を開くと、彼の手には桜の花びらが摘まれていた。
ふんと鼻を鳴らし、指を解くとその桜の花びらが風に乗って遠くへ飛んでいく。その行方を目で追う彼の整った横顔を見る陽葵の頬は無自覚に微かな熱を持った。




