第2話 忘れ草
一通りの挨拶を終えた陽葵は綺麗な仕事着に着替え、早速仕事にとりかかる。仕事の内容は主に屋敷内の掃除だ。どうやら先程紫苑の元へ案内してくれた日花と同じ持ち場のようだ。
日花を含む下女達と共に長い長い廊下の雑巾がけを行う。弱冠17歳の陽葵でも流石に骨が折れる。彼女の額にもうっすらと汗が滲む。
「想像以上に大変な仕事ですね、日花さん。」
「えぇ、そうでしょ。でもまだまだ序の口よ。私たちの仕事はこの屋敷全体の雑巾がけよ。」
余裕そうにふふっと微笑む日花の額にも汗がキラキラと光っている。
綺麗な庭園が見える廊下を掃除している時だった。周りの下女達がざわめく。
「紫苑様よ…!!」
陽葵と日花も顔をあげると、廊下の遠くの方から紫苑が2人の従者をつかせて歩いて来るのが見えた。下女達が皆、紫苑の邪魔にならないよう平伏し、道を開けていく。陽葵の眼にはこの世を支配する閻魔のように紫苑が映る。
紫苑が陽葵の前を通り過ぎた時、彼はピタリと足を止める。
「…あぁ、鬱陶しい。」
吐き捨てるような台詞と共に、紫苑は振り返り後ろを歩く従者を睨みつけた。
「お前、さっきから近いんだよ。三歩後ろを歩くって常識も知らねぇのか。歩きにくいんだよ。」
「申し訳ございません。」
「二度も言わせるなよ。次はもう、お前の居場所なくなるから。」
「は、はい。」
ピリピリと冷たく震える緊張した空気が陽葵達の肌にも伝わる。
『牡丹の君』
街ではそう皆が彼を呼び、噂している。牡丹の花のように儚く美しい見た目、そして雪のように冷徹なその心をもつ君。人の噂とは尾ひれが付いて誇張されるものだが、彼はまさに『牡丹の君』と呼ぶに相応しい。
「(本当に噂通りの人。でもなぜだか分からないけれど、凄く寂しそう。)」
徐々に遠くなっていく紫苑の背中に言い表せない孤独感を感じ、陽葵は思った。
もうじき日が沈む夕暮れ時、紫苑は部屋で父親が治める領地を一人でぼんやりと眺めていた。
今日もいつもと変わらない一日だった。いつも通り言いつけに従い勉学をし、鍛錬に励む。豪華絢爛な部屋が酷く色褪せて見える紫苑にとって、楽しそうに行き交う人々の笑い声が遠く聞こえる街の喧騒は彼の心の中の疎外感をより一層強く感じさせるには十分だった。
「はぁ…。」
紫苑は短い溜め息をつく。そこにいつもの冷徹な雰囲気はない。
彼は徐ろに髪にさしてある牡丹のついた簪を取った。乾いた金属音を立てて外されたそれは夕陽を反射し幻想的に輝く。その簪をじっと見つめる眼は悲哀に満ち、顔は悲しげに歪む。
「あぁ…、逢いたいよ牡丹。どうして…。」
紫苑の小さくか細い声は誰の耳にも届くことはなかった。




