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牡丹の君  作者: おぴぴ
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第19話 外交

「まだか…遅いな…。」


紫苑は次の日の朝、苛立ちを隠せない様子で指でとんとん文机を叩く。昨日の夕方に漆間家へ返書を送ってからどれくらい経ったのか、未だに飛脚から音沙汰はない。


「大体親父も親父だろ…。なんでこんな事勝手に…!」


漆間領は九条領の隣に位置するこちらに劣らぬ広大な土地を有する領地で、互いに良好な関係を築いていた。そして、その漆間領の子息がこちらへ長期滞在することとなったらしい。長期滞在と言えば聞こえが幾分か柔らかいだろうが、これは歴とした外交だ。疎かにする訳にも嫌だと断って追い返すこともできない。


紫苑が今すべきことは漆間から長期滞在における供の人数などの詳細の報せを貰い、早急に準備することだが…。


「ああ、くそ。」


__使えない飛脚が。




陽葵は、そんな彼の背中を眺める。彼が朝から苛立ちを隠せていないのは分かってはいたが、何に対して苛ついているのかは教えてくれないため分からなかった。昨日の夕暮れ時に手紙の返書をしていた時から何かを急いているような雰囲気が続いている。


現に今も文机に肘をつき、重いため息を漏らしながら艶やかな髪をくしゃりと掻き乱す。


「紫苑様、あの…」


「煩い。」


相当苛ついている様子で、陽葵の問いかけにろくに耳を傾けない。彼が指を文机に叩きつける拍子に合わせて、彼の頭に咲いた牡丹が小さな音を立てて揺れる。




静かな部屋に紫苑の苛立つ音だけがひたすらに響く。


漆間の息子…名前すらうろ覚えだ。たまに親子揃ってお忍びで九条家へ訪問しているのは知っていた。しかし、天仁は紫苑を常に蚊帳の外に追いやっていたため、外交なんて経験したことがない。そして他人と距離を置いて生きてきた紫苑が得意ではないことは明確だ。それをこのような形で押し付ける天仁の嫌らしいやり方が更に彼の苛立ちを加速させる。


「…漆間、漆間…。」


せめて名前だけでもと、紫苑の口から〝漆間〟という言葉が漏れた時、陽葵の肩が反射的にびくりと震えた。


「し、紫苑様…」


「煩いな、なんだ。」


「あの…漆間家が何か…。」


「漆間の息子の名前」


恐る恐る口を開く陽葵。今の紫苑にとって、たかだか従者一人に外交の説明する時間ほど不快なものはない。彼女の方を一瞥することもなく、お前がわかるわけないだろと嫌味を込めて一蹴する______はずだった。


りょう様…が何か?」


間髪を入れずに答えられたその名に、紫苑の文机を叩く指先が凍りつくかのようにとまる。この違和感に彼の眉がぴくりと動く。それもそうだ、隣の領地のしかもその子息の名前を瞬時に答えることが出来る平民はまずいない。そもそも存在自体知っているのかという話である。


紫苑は陽葵をじろっと見る。彼の深い墨色の瞳が訝しげに彼女を捉える。


「お前、なんで知ってんの。」


陽葵は彼の威圧的な視線に耐えられず、俯く。聞き覚えのあるでももう聞くことはないと思っていた〝漆間〟という名前に彼女の顔は動揺を隠さずにはいられない。


黙りこくる陽葵に紫苑が声を低くして聞く。


「おい、答えろ。」


「えっと…実は…。」




「紫苑様!!!!!」


陽葵が口を開いた瞬間、その疑念を揉み消すように廊下をどたどたと品なく走る足音と下女の悲鳴にも似た声が響いた。その騒がしい足音と声に紫苑は不快そうに顔を顰めた。


「騒々しいぞ、飛脚か。」


襖の向こうで荒々しく息を切らす下女の姿が見える。影越しにでも慌ててきたことが分かるほどに髪が乱れ、肩で呼吸している。その騒々しさが陽葵の中に何か言い知れぬ不安を掻き立てる。


「はあ…はあ…いえっ違います!」


「チッ…なんだ。早く言え」


乱れる呼吸を整えるとその下女は、紫苑と陽葵にはっきりと聞こえる声で言った。


「うっ、漆間家のご子息、漆間椋様がお見えですっ。」


「はぁ!?」

「ひっ…!」


紫苑の口から今までにないような不機嫌で素っ頓狂な声が出る。その淡麗で落ち着き払った顔には似つかわしくないほどに彼の憂いのある瞳は大きく見開かれ、口はへの字に曲がる。


一方陽葵は、〝漆間椋〟という聞き覚えあるその言葉に大きく動揺し声が漏れると共に、心臓が大きく跳ねる。何故彼が、九条家に来ているのか…、その疑問が彼女の頭を埋めつくした。



九条家の内門の前に一人の男が立っていた。紫苑にも負けない艶やかで少し長めの黒髪を耳の後ろでゆったりと結え、その端正な顔立ちは艶やかで色っぽく紫苑とは毛色の違うぞくぞくする魅力を放っている。煌びやかな従者のうちの一人がその男に話しかける。


(りょう)様、よかったのでしょうか。外交は七日後のはずでは…。」


りょうと呼ばれるその男は、従者の方を見てふわりと笑みを浮かべる。従者に向ける彼の瞳は紫苑の見せる冷徹なものとは対照的に異常なまでに暖かい。


「ふふ、だって気になるじゃん、〝牡丹の君〟。それにあの傲慢親父もいないことだし、……楽しめそうだ。」


少し馬鹿にしたように鼻で笑うと、目の前の大きな屋敷を一瞥し、悪戯っぽく瞳を細めた。暖かな春の光を浴びて咲き誇る花々が彼らの訪問を歓迎するかの如く強く匂い立っていた。まるでこれからこの箱庭で巻き起こる波乱を感じさせないほどに。

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