第15話 蹂躙(じゅうりん)の儀
天仁と紫苑は刀を構えて睨み合う。ジリジリと二人が砂利を踏みしめる音だけが響く。
ピンと張り詰めた糸のような緊張感が辺りを包みこむ。
その糸を切ったのは紫苑だった。
「……っ!!」
思い切り足を踏み込み、天仁の間合いに素早く踏み込む。彼の木刀目掛けて刀を振り下ろす。
天仁は分かっていたかのように余裕ある顔で「ふんっ」と笑うと、地を蹴って後ろへ下がりひらりと紫苑の刃を躱した。
ヒュンと彼の刀が虚しく空だけを斬る。
紫苑は間髪入れず踏み出し、間合いを詰めて斬りあげる___
「動きが単調だ。」
ガンッ!
斬りあげる刀を天仁の重たい一撃がねじ伏せる。鋼の刀に木刀がぶつかり鈍い音を立てた。そのあまりにも重たい衝撃は紫苑の身体全体に伝わり、震える。一瞬にして筋肉が硬直する。
衝撃のせいなのか、恐怖なのかは紫苑にも分からない。
しかし、その惑う一瞬の隙を天仁は見逃さなかった。
天仁は素早く後ろに回り込むと、紫苑の背中に目掛けて木刀を振り下ろす。
バシンッ!
「うっ……!!」
紫苑は鈍い痛みに顔を歪め、呻き声が漏れる。しかし、この鬼は口角を上げ、手を緩めることはない。
「どうした、この程度では何も守れぬぞ。」
体勢を立て直そうとする紫苑、次は天仁が距離を詰める。
バシッ!バシッ!
紫苑の脇腹と手の甲に思い切り振りかざされた木刀が生々しい音を立てて当たる。その重たい一撃で紫苑は呼吸を奪われ、手に持っていた刀はカランと力ない音を立てて落ちた。
「ゲホッ…!ゴホッ……!」
その場で紫苑は蹲りむせる。紫苑は天仁の木刀に傷一つつけることすら叶わなかった。
手合わせという名の蹂躙の儀式に周りにいる下男、下女、指南役ですら紫苑の元へ駆け寄ることが出来なかった。
「ふんっ…もう終わりか。つまらん男だ。」
天仁は目の前で蹲る紫苑を見下しながら、カランと木刀を床に放り投げた。心配し、助け起こすこともなく彼に背を向けて歩き出す。
遠巻きに見ていた妾達もくすくすと紫苑を笑っているのが目に入る。
紫苑の心の中にどす黒い感情が溢れ出す。奥歯を軋むほど噛み締め、砂利を握りしめた拳を震わせながらその背中を鋭く睨みつける。
天仁に叩きつけられた手の甲は腫れ上がり、青紫色に変色している。背中も横腹も焼けるように痛い。しかし、それ以上に憎悪と屈辱そして自己嫌悪で頭が割れるように痛くてたまらない。
眉間と鼻筋に深いシワが刻まれる。
天仁が背中が見えなくなると、紫苑はゆっくりと立ち上がる。唇はわなわなと震える、怒りで呼吸は浅い。
「しっ…紫苑様。」
従者が手拭いを持ち、怯えたように駆け寄る。紫苑は押し殺したような声で唸る。
「…寄るな。」
「はっはい…?」
「来るなっつってんだろ!邪魔なんだよ、お前。」
紫苑は怒鳴りながら従者を突き飛ばし、従者は無様に尻もちをついた。持っていた水に濡らされた手拭いに砂利がつく。その手拭いを冷たい眼で一瞥し、彼は刀を乱暴に納める。
苛立ちと隠せないまま周りを見渡す。案の定、騒ぎを聞きつけ下男下女が集まっている。皆、心配そうに紫苑を見つめているが、その視線が自分を酷く哀れんでいるようで彼の神経を逆撫でる。
__どいつも此奴もっ!
「見てないで仕事をしろ!役たたず共がっ!」
その怒号に弾かれるように下男下女はそそくさと散り、持ち場に着く。
何事も無かったかのように辺りは静まり返り、殺気立つ紫苑と怯えた従者が取り残される。
従者は恐る恐る口を開く。
「あ、あの……。」
「お前、もういいから。消えろ。」
「ど、どうかそれだけはお許しを…!」
懇願する従者の声に耳を貸すことなく、紫苑は独りで中庭を後にした。
「ぁああ!!……くそっ!」
自室に戻った紫苑は床に刀を荒々しく叩きつけた。手合わせする前からこうなることは容易に想像は出来ていた。父の刀の実力は紫苑が1番よく知っている。
苛立ちの矛先を刀に向け、激しく踏みつける。
___何も守れぬぞ。
静寂な部屋、紫苑の頭の中で天仁の言葉が反芻する。浮かぶのは、幼き牡丹の笑顔。もう守ることすら叶わなくなった顔。
「別に…何も守るものなんてっ__」
鏡台の上に大事に置いてある牡丹の簪に眼をやる。それは、まるで孤独な彼の心を嘲笑うかのように冷たく光を反射していた。見ていられず、目線を外すと鏡の中の自分と目が合う。
砂にまみれ、髪は乱れ、憎しみに顔を歪め今にも泣き出すのではないかというぐらい哀れな男。
「(とんだ腑抜けだ)」
彼は心の中で呟いた。




