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牡丹の君  作者: おぴぴ
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第12話 小さな変化

朝はいつものように変わらずやってくる。紫苑は目を覚ますとぼんやりと天井を見つめ、昨晩のことを思い出していた。


陽葵が言った「愛情深い人」という言葉が頭の中で反芻する。


「馬鹿馬鹿しい…。」


そうぽつりと呟いた。


きっと昨晩の自分は妖か何かに取り憑かれていたのだろう。でなければ下女にあんな事を口走ることはしない。一領主の息子である自分がたかだか下女一人の手に振り回されているなんて情けない事があっていいはずが無いのだ。


これでは自分も、女を囲いこみ情に溺れる父みたく成り下がるのではないか。


紫苑の心の中に言い表せない嫌悪感が広がる。広がった嫌悪感が反射的に顔を歪ませる。


「(あんなクソ野郎と同じになんてなってたまるか…!)」


自身の心の中の嫌悪感を掻き消すように彼は勢いよく身を起こす。その表情は鏡で確認する必要もなく、いつもの冷徹無慈悲な『牡丹の君』だ。一度雪解けを見せた心が、かつての凍てつきを取り戻す如く表面に薄い膜のような氷を張っていく。


「紫苑様、お目覚めの時間でございます。」


襖の奥から従者の声がする。


「…分かっている。」


気怠そうなしかし鋭さもある声が部屋に響いた。




昼時、陽葵は日花と共に街の農民達から納められた野菜や果物を(くりや)へと運んでいた。


「ん〜っ、いい匂い。」


抱えた紙袋の中のに詰め込まれた柚子が陽葵の周りを爽やかな匂いで包む。思わず顔をうっとりとさせてしまう。


「もー、陽葵ったら。」


そう言う日花の手にも野菜が沢山入った袋が抱えられている。広大で土壌が豊かな九条領で採れた青果物は全て大きくみずみずしく光っている。


二人が中庭まで来た時、刀の激しくぶつかる音が響いた。紫苑が指南役と武術の鍛錬をしている音だ。


日頃から冷たい表情の彼も、鍛錬の時の眼は凛々しく力強い熱を帯びている。恐れられていてもやはり女達から人気なのだろう、物陰から眺めている下女達も数人いる。


日花の歩幅が少し小さくなる、陽葵もそれに合わせる。


「おい、もっと真剣にしろ!ふざけているのか!」


「…っ!」


どちらが鍛錬しているのか分からないほど冷たい怒号。鍛錬に燃える紫苑の瞳の奥に凍てつくような鋭い光が宿る。紫苑の刀は力強く空を切り裂き、指南役の刀を簡単げに受け流していく。


「ひぃっ!」


力も技術も完全に押し負けた指南役は情けない声と共に尻もちを着く。紫苑の身体からは湯気がたつように熱気が漂い、首筋からは汗が垂れている。しかし、それとは真逆に表情は凍てついていた。この手合わせが余程気に入らなかったのだろう。紫苑は刀を指南役に向けながら、ジリジリと詰め寄る。


「貴様、舐めてるのか。」


「め、滅相もございませんっ!」


許しを乞うように平伏する指南役をじっと睨みつける紫苑。感情を押し殺そうとその手に力強く握られた刀の切っ先はカタカタと激しく震えている。凍りついたような沈黙が中庭全体に走る。




「…次は手を抜くな。」


しばらくの沈黙の後、紫苑は仏頂面でそう言うと無造作に刀を終い指南役に背を向け歩き出す。この場にいる誰もがこの指南役は首になると思った。物陰から見ていた下女たちも少しざわめく。指南役は思わぬ言葉かけに戸惑いつつも「はい、申し訳ございません。」とさらに深く平伏した。


「…おい、手拭いはまだか…。遅い、早くしろ。」


慌ててやってきた従者から手拭いをひったくり、滴る汗を拭う。紫苑はようやく陽葵達の存在に気づいたのか、彼の瞳がこちらを捉える。いつもの鋭さは少しだけ削がれ、焦りと戸惑いのような色が滲んでいる。しかし、その瞳が向けられたのはほんの一瞬で、すぐに興味はないとばかりに直ぐに逸らされた。


「私、てっきりあの人(指南役)追い出されると思ったわ。」


「は、はい…。」


周りの気持ちを代弁するかのような日花の問いかけに陽葵は生返事する。


彼女の抱えられた紙袋からぽとりと柚子が一つ落ちた。拾い上げ、その実に着いた土埃を払うと甘酸っぱい匂いが強くなる。陽葵は胸がいっぱいになる。しかし、先程の光景を目の当たりにしたからか柚の香りに魅せられたのかは分からなかった。




「……くそっ。」


紫苑は誰にも聞こえない声で小さく呟く。汗を拭きながら、乱れた髪を手ぐしでとかす。あの舐めた態度の指南役を首にしてやろうかと思った時だった。陽葵が言った〝愛情深い人〟という言葉が邪魔をした。


今までなら許さなかった事を許してしまった。

自分のとった行動が自分でも分からない。


悪い気はしなかったが、下女一人の言葉にかき乱されている自分がどうしようもなく情けなく感じる。


だからといって彼女を遠ざけようとも、疎もうとも思えなかった。


「なんなんだ、これは…っ!」


心の奥底を巣食う名前の分からない感情があまりにも「くすぐったく」感じた紫苑は、手拭いで乱暴に顔の汗を拭った。


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