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牡丹の君  作者: おぴぴ
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第10話 色褪せた簪

紫苑はお昼過ぎ、ぼんやりと窓の外から街の喧騒を眺めていた。時折、街の娘達が紫苑の存在に気づきうっとりとした顔で眺めているが、それに彼は目もくれない。


彼は遠くに見える風車を手にした小さい男の子が父親の手を引いて「はやく、はやく。」と引っ張っている姿に視線を投げた。


「…はあ。」


重く深いため息。いつもの棘のあるような姿ではなく、そこには寂しげな一人の青年の姿があった。いつからだろうああして父親の手を引くことがなくなったのは。


彼は目をつぶる。浮かぶのは幼き頃の自分と父・天仁の姿。


「父上ーっ!」


紫苑は大好きな天仁の大きな足にぎゅっと抱きつく。天仁は優しく彼の頭を撫でる。


「おお、どうした。紫苑。」


「あのね、僕ね、…お祭りに行きたい。牡丹が今度一緒に行こうって言ってるの!」


紫苑は無邪気に足を踏み鳴らし、目を宝石のようにキラキラさせながら言った。


「ははは、そうかそうか。では、母上に同行願ってくると良い。」


そんな紫苑に今では想像できないほど慈愛に満ちた笑みを浮かべる天仁。紫苑の眼には全てが輝いていて見えて毎日が眩しかった。


(ああ、あの頃は母上も生きていたか…。)


牡丹が居なくなり、母が亡くなった。そして父は領主という権力を振りかざし、女を囲うようになった。


領主の息子と言えば聞こえがいいが、結局は跡を継ぐための意志を持たぬ道具に過ぎない。


紫苑は目を開けると、自分の髪に差した簪をゆっくりと外した。彼は己の運命を呪いたくなる度にこの簪を眺めてきた。逃げ出したくなるほど辛い日々にも耐えることが出来た心の支え。色褪せた日々の中で唯一色褪せることがない、とても色鮮やかな簪。それなのに…


(どうして、今日はこんなにも安っぽく見えるんだ…。)


手の中の簪はあまりにも小さく、暖かい陽の光を冷たく跳ね返している。


「はあ…。」


彼は二度目の深いため息をついた。






その晩、陽葵は紫苑から貰った書物を抱えていつも以上に足取り重く書庫へ向かう。


他の下女達はもう床に着こうとしている頃だろうか…。そう考えるともう今すぐにでも踵を返したくなる。


(何故、私だけがこんな目に…!)


本日何度目かは分からない苦痛の叫びを心の内で吐露する。


書庫へ着くとまだ紫苑は来て居なかった。「遅い。」と嫌味を言われる事が無いことにまずはほっと胸を撫で下ろす。行灯の中の蝋燭に火をつけると暖かな光が書庫を包んだ。


陽葵は貰った書物をパラパラと開き、眺める。昨晩は気づかなかったがよく紙面を眺めると、所々酷くよれており大分使い込まれている形跡がある。


領主の息子という身分で、地位も財も素敵な家も確約され、何不自由なく華やかに暮らしをしてきたはずだった彼が残した血の滲むような努力の跡。


紫苑の元から身についていたような美しい字も、所作も何もかも…こうして努力してきたからこその賜物なのかもしれない。


陽葵はそう思うとこの理不尽な夜の稽古も少しは真面目に受けようかという気持ちが〝ほんの少しだけ〟芽生える。


そんなことをダラダラと考えているとスっと襖が開いた。紫苑が来たのだ。陽葵にはその顔がなんだか少し影があるように見えた。


「ああ、居たのか。」


いつもより覇気のない声に陽葵は少し違和感を覚える。


昨日と同じように黙々と文字を書いていく陽葵。その隣で書物を読む紫苑は昨日より静かだった。


「…筆、また寝てるぞ。」


「はい…。」


陽葵はこっそり紫苑を盗み見る。端正な横顔、長いまつ毛に伏せられた眼はどこか寂しげだった。


「あの…紫苑様?」


「なんだ…。」


「少し休憩致しましょう。昔話、してもよろしいでしょうか。」


紫苑は何も言わない。陽葵は続けた。


「昔、ある女の子が居ました。その女の子は貧しい家に生まれました。物心ついた時には両親は居なくて、毎日生きるのに必死でした。…道で見苦しく物乞いをしたり、壊れた草履を直してその日を凌ぐ日々でした。」


「………。」


「苦しくて、食べ物もなくてお腹が空いて、周りには誰もいなくて…。でも、いつかはそれも笑い話に出来る日が来ると信じて必死に生きてきました。そんなある日、大きな屋敷の下女として働くことになったのです。心優しい仲間に囲まれ、女の子には新しい居場所ができました。ある日、__その屋敷の主が私に文字の書き方を教えると言ったのです。」


「…おい。」


「…生まれた時は何も無かったけれど、気づけば女の子の周りには、頼もしい仲間がいました。文字を教えてくれる厳しい先生も出来ました。泥水を啜た日々を笑い飛ばせる位、今は毎日がとても輝いて見えるのです。」


「やめろ。もういい、くだらん。」


そういい、ふんっと不機嫌そうに鼻を鳴らす紫苑。その表情はいつもの彼に少しだけ戻る。


「でも私はこの昔話好きなんです。」


少し自慢げに夜の静寂を溶かさんとするほどの明るい笑顔を見せる陽葵。紫苑はその顔をじっと眺めると、彼は牡丹の簪をゆっくりと取った。簪が優しくキラキラと光る。


「……紫苑様?」


「……ある男の昔話。聞いてくれるか。」


陽葵は静かに頷いた。


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