第1話冷たい君
___これは咲き乱れる牡丹の花のような恋。
陽葵は大きく深呼吸して重厚な門を潜ると、下女であろう女の子が陽葵に気づき声をかけた。
「あなた、今日から住み込みで一緒に働くって話だった子かな?」
「あ、はい。日向陽葵と言います。よろしくお願いします。」
「私は丁香日花、よろしく。紫苑様に挨拶はまだよね、案内するわ。」
日花はそう言うと、こっちよと手招きをする。陽葵も後を追うように大きな冷たい屋敷の中へ足を踏み入れる。
長い長い縁側をペタペタと2人の足音が響く。綺麗な庭、日花が着ている綺麗な着物、綺麗な建物。全てが洗練された空間に陽葵は胸を踊らせる。
「この家の当主、九条天仁様は、家を空けることが多いの。だから、息子の紫苑様が当主の代わり務めているの。」
キラキラした陽葵の顔とは裏腹に日花は少し影のある表情で声を潜めて続ける。
「紫苑様の気を悪くしないよう、気をつけて。」
「え。」
唐突な忠告。どういうこと?と聞き返すより早く日花は足を止めた。目の前には綺麗な装飾が施された襖。お香のような匂いが陽葵の鼻を掠める。
日花は襖の前で跪坐をし、襖の向こうの人物に声をかける。
「紫苑様。本日より新しい下女が参りました。お入りしてもよろしいでしょうか。」
「__ああ、入れ。」
冷たくゾクッとするような低い声がし、日花は勢いよく襖を開けた。
そこには、綺麗な黒髪に牡丹の簪をつけた青年と3人の従者控えていた。しなやかな手つきで煙管をくゆらせ、カンッと灰を落とすその姿はまるで絵のように美しい。けれど、その瞳はまるで雪の中に咲く牡丹の花のように冷たい。その黒く沈んだ冷たい眼に見つめられ、陽葵はその場から固まり動くことができない。
紫苑は機嫌悪そうにため息をついた。
「はあ……。おい、早く入れ。」
「あ、はっはい。」
陽葵が部屋に入るとピシャリと襖が閉じられる。そこには日花の姿はもうなかった。
「………。」
「………。」
張り詰めた冷たい空気が部屋を包み込む。沈黙に耐えかね、紫苑が不快そうに口を開く。
「名前。」
「え…。」
「お前、自己紹介も出来ないわけ?俺のこと誰だと思ってんの。」
弾かれたように陽葵はその場に平伏し、深々と頭を下げる。
「き、今日からお世話になります。日向陽葵と申します、よろしくお願いします。…えと、前までは隣の___」
「あそ、分かった。もう下がれ。」
紫苑は、陽葵の話を途中で遮るように言い放ち、あっちへ行けと言わんばかりに手をヒラヒラさせた。その瞳はもう彼女を視界に入れてはいなかった。
「えと、あ、あの…。」
紫苑はまだ何か言いたげな陽葵の顔を一瞥し、眉間に皺を寄せながら一言。
「邪魔。」
その言葉に押し出されるようにして、陽葵は失礼しましたと足早に部屋を出る。先程までのキラキラした表情は完全に消え、不安でいっぱいの表情だった。
「……チッ。」
陽葵が出ていった後、紫苑は小さく舌打ちした。その小さな音に従者達は肩をビクッとさせる。毎月、いや毎週のようにこうして彼の元には新しい下女が挨拶に来る。もう何度目か数える気も起きない。
「(また、鈍臭そうな女だったな。)」
紫苑は再び煙管を咥える。細く糸のように吐かれた煙は大きな部屋に広がり、花のような甘い香りを残して消える。しかし、彼の苛立ちは消えることはない。
「喉、乾いたんだけど。」
「は、はいっ!」
彼が一言そう呟くと、従者の1人が飛ぶように急須を手に取り、彼の空いた湯呑みに震える手でお茶を注ぐ。しかし、不運な事に下がろうとしたその時、急須が手から滑り落ちた。ゴトンと鈍い音と共に急須は転がり、中のお茶が飛び散った。もちろん、紫苑の綺麗な着物にも僅かにだが水滴が跳ねる。それを彼は見逃すはずもなく、眉間に深い皺がよる。
「……は?」
「も、申し訳ございません。今すぐに着替えを用意いたし___」
「もういい。お前もう要らない。」
青ざめる顔で平伏する従者の言葉を遮り、紫苑は冷ややかな顔で言い放つ。
「紫苑様、どうかお許しを…!!」
「黙れ、俺の名前を気安く呼ぶな。とっとと出ていけ。用済みだ。」
苛立ちに揺れる髪に着いた牡丹の簪がキラキラと鋭く冷たい音をたてて鳴っていた。




