第6話:国境の氷壁と、合理的な求婚
最悪の目覚めだった。
街道で野宿していたら、敵国の国境警備隊に包囲され、気づけば氷の砦の地下牢だ。
手足は魔封じの鎖で繋がれ、冷たい石の床に座らされている。
(……ここ、知ってる)
石壁の冷たさが、古い記憶を呼び覚ます。
三百年前、新婚旅行で国境を越える時、カイゼルはここで言ったのだ。
「ここから先は敵地だ。俺の手を離すな」
あの時の彼の手は、痛いほど強く私を握りしめていた。
今は、冷たい鎖だけが私の手首を締め付けている。
「……魔女アリア。伝説の戦略兵器」
男――敵国将軍ヴォルフは、書類から目を離さずに言った。
撫で付けた黒髪、銀縁の眼鏡、整えられた軍服。隙がない。
その冷徹な佇まいは、かつてのカイゼルに瓜二つだった。
「人違いじゃない? 私はただの旅人よ」
「嘘をつくな。……先日の暗殺者キルアの報告書にある。「ターゲットは情に脆く、甘い」とな」
あの子、報告書なんて書いてたのね。
「甘い」は余計なお世話だけど。
「単刀直入に言おう。我が軍に来い」
ヴォルフは立ち上がり、私の前に立った。
「君の魔力と、私の頭脳があれば、この大陸は三ヶ月で統一できる。……報酬は望むだけやろう。地位も、名誉も、男もな」
「……それ、プロポーズのつもり?」
「契約だ。……だが、君が望むなら、私が夫になっても構わない。遺伝子的にも、魔女と将軍の配合は合理的だ」
(……本当に、カイゼルそっくり)
愛などない。あるのは計算と効率だけ。
でも、不思議と不快ではなかった。
「君が好きだ」なんて甘い嘘を吐かれるより、よほど信用できる。
カイゼルもそうだった。
「国のために死ね」と言ったあの時、彼は私を「道具」として扱った。
でも、その冷徹さの裏に、何か別の感情があったような気がしてならないのだ。
「……悪くない条件ね。でも、お断りよ」
「理由は?」
「あんたの眼鏡、少しズレてるわよ」
私が指摘すると、彼は眉一つ動かさずに眼鏡を直した。
その仕草が、あまりに人間味がなくて、少し笑ってしまった。
†
「ぬおおおお! 寒いのう! ここは寒すぎるぞ!」
ズドン! と轟音が響き、尋問室の壁が崩れ落ちた。
吹雪と共に、巨大な龍神が転がり込んでくる。
「おいアリア! さっさとこの国を乗っ取って、南の島へ行くぞ! 玉の輿じゃ!」
「……龍神か。計算通りだ」
ヴォルフは動じなかった。
むしろ、口元に薄い笑みを浮かべた。
「魔女を捕らえれば、その守護者である龍も現れる。……これこそが、真の狙いだ」
彼が指を鳴らすと、部屋の四隅から巨大な杭が打ち込まれた。
魔封じの結界だ。
龍神の動きが止まる。
「ぬ? なんじゃこれは。体が重いぞ」
「古代の「対竜兵器」だ。……君の魔力、我が軍のエネルギー源として有効活用させてもらう」
ヴォルフは冷徹に告げた。
彼は私だけでなく、龍神さえも「資源」として見ていたのだ。
その傲慢さは、まさに覇道を行く者のそれだった。
だが。
「……小賢しいわ!」
バキィッ!
龍神が尻尾を一振りすると、杭があっけなく砕け散った。
古代兵器といえど、本物の神には通用しない。
「な……計算外だ……!」
「資源だと? わしを燃料扱いするとは、いい度胸じゃ!」
龍神が大きく息を吸い込む。
ブレスだ。この距離で食らえば、ヴォルフどころか砦ごと消し飛ぶ。
「待って、龍神!」
私は魔力で鎖を強引に引きちぎり、ヴォルフの前に飛び出した。
障壁を展開する。
ゴオオオオオ!
炎が障壁に弾かれ、周囲の氷壁を溶かしていく。
「……なぜ、助けた」
腰を抜かしたヴォルフが、私を見上げていた。
その瞳には、初めて「動揺」という感情が浮かんでいた。
「計算外でしょ? ……人間はね、計算通りには動かないのよ」
私はニッと笑って見せた。
彼は呆然と私を見つめ、そして――ふっと力を抜いた。
「……完敗だ。私の計算式には、君のような「非合理な変数」は入っていなかった」
彼は立ち上がり、崩れた壁の向こうを指差した。
「行け。……借りは作らん主義だ」
「あら、いいの? 戦略兵器を逃がして」
「制御できない兵器など、リスクでしかない。……それに」
彼は眼鏡を直し、少しだけ目を伏せた。
「……君を、殺したくなくなった」
それは、彼なりの精一杯の「情」の表現だったのかもしれない。
†
吹雪の中、私たちは砦を後にした。
カイゼルが待っていた。
彼は砦の方角を、険しい目で見つめていた。
「……ヴォルフか。相変わらず、融通の利かん男だ」
「知り合い?」
「昔の部下だ。……三百年前のな」
やっぱり。
似ていると思ったわ。
「あいつ、あんたのこと尊敬してたみたいよ。……やり方はそっくりだったけど」
「フン。……俺の真似事など、百年早い」
カイゼルは吐き捨てるように言ったが、その声には少しだけ、懐かしさが滲んでいた。
彼は雪の中に視線を落とす。
「……あいつは、俺が捨てたものを拾っただけだ」
捨てたもの。
それは「国」のことだろうか。それとも「非情さ」のことだろうか。
あるいは、私を捨ててまで守ろうとした、何かのことだろうか。
「……行くぞ。国境を越えれば、次は「花の都」だ」
「花? ……今度はロマンチックな場所ね」
私はカイゼルの背中を追った。
雪の中に残る足跡は、すぐに消えてしまったけれど。
私たちの旅の記録は、確かにこの世界に刻まれている気がした。
国境の向こうには、まだ見ぬ真実が待っている。
そして、カイゼルが隠し続けている「何か」も。
私は杖を握りしめ、吹雪の中へと踏み出した。




