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「国のために死んでくれ」と私を捨てた王子が、300年間ずっと私の目覚めを待っていたらしい  作者: 蒼山りと


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第5話:雨のち、殺意ときどき弟

 カイゼルから借りた傘を差して歩いていると、ゴミ捨て場に何かが落ちていた。

 捨て猫かと思った。

 けれど、それは血まみれの少年だった。


「……う、ぅ……」


 銀色の髪、透き通るような白い肌。まだ十代半ばだろうか。

 腹部から血を流し、雨に打たれて震えている。


 (……まるで、雨に濡れた子犬ね)


 私はため息をつき、彼を背負った。

 自分の傷(人形師にやられた頬の傷)もまだ痛むのに、お人好しにも程がある。

 でも、この弱々しい生き物を、見捨てることはできなかった。



 安宿の天井には、雨漏りの染みがあった。

 ポタ、ポタ、と落ちる水滴の音が、古い記憶を呼び覚ます。


 (……昔、こんな宿に泊まったっけ)


 新婚旅行の途中で、馬車が壊れて泊まった安宿。

 カイゼルは「王族がこんな所に泊まれるか!」と文句を言っていたけれど、夜中に私が寒がっていると、自分のマントを掛けてくれた。

 そして、雨漏りする天井を、不器用な魔法で直してくれたのだ。

「お前が風邪を引いたら困るからな」と言い訳をして。


「……なんで、助けた」


 思考が現実に引き戻される。

 ベッドの上の少年が、私を睨んでいた。

 その瞳は、猫のように鋭い金色をしていた。


「道端で死なれたら目覚めが悪いでしょ。……ほら、スープ飲む?」

「……毒見は」

「してないわよ。私が作ったんだから」


 彼は警戒しながらも、スプーンを受け取った。

 一口食べると、驚いたように目を見開いた。


「……美味い」

「でしょ? 長生きしてると、料理の腕だけは上がるのよ」


 彼はガツガツとスープを飲み干した。

 その無防備な姿は、年相応の少年に見えた。

 私は思わず、彼の頭を撫でてしまった。


「……っ! 触るな!」

「あら、ごめん。……昔、弟が欲しかったのを思い出して」


 彼はバッと手を振り払ったが、耳まで赤くなっていた。

 可愛い。

 その不器用な反応が、誰かさんに似ている気がした。

 素直になれない、強がりな誰かさんに。


 それからの数日、私たちは奇妙な共同生活を送った。

 彼は「キルア」と名乗った。

 多くは語らなかったが、その身のこなしや、夜中にうなされる様子から、まともな育ちではないことはわかった。

 それでも、私は彼との時間を楽しんでいた。

 彼が不器用に洗濯を手伝ってくれたり、私の頬の傷を気にしてくれたりするのが、嬉しかったから。



「ほう、若いツバメか」


 ある夜。

 龍神が窓からヌルリと入ってきた。


「悪くない! 若い男は精力が強いからのう! でかしたアリア! ショタ喰いとは業が深いのう!」


「ぶっ!」


 私はお茶を吹き出した。

 キルアが殺気立つ。


「……誰だ、そのトカゲは」

「トカゲではない! 龍神じゃ! ……ふむ、お主、どこかで見た顔じゃな。その短剣……「影の国」の暗殺者か?」


 空気が凍りついた。

 キルアの表情から、少年らしさが消え失せた。

 そこにあるのは、冷徹な殺人機械の顔だった。


「……バレたか」


 彼は瞬きする間に私の背後に回り、首筋に冷たい刃を当てた。


「任務だ。……魔女アリア。お前の首を持ち帰れば、俺は自由になれる」


 声が震えていた。

 刃も、わずかに震えていた。


「……そう」


 私は動じなかった。

 薄々、気づいていたからだ。

 彼が時折見せる、私を値踏みするような視線。

 そして、私の寝顔を見つめながら、殺すのをためらっていた気配。


「いいわよ」

「……は?」

「殺しなさいよ。……どうせ私は、三百年前から死んでいるようなものだから」


 私は目を閉じた。

 彼の手で終わるなら、それも悪くないと思った。

 少なくとも、彼は私に「情」を持ってくれている。金や名誉のためではなく、彼自身の自由のために私を殺すなら、それは一つの救いだ。


「……っ、ふざけるな!」


 キルアが叫んだ。


「なんで抵抗しない! なんで怒らない! ……俺は、お前を騙していたんだぞ!」

「知ってるわ。……でも、スープを美味しいって言った顔は、嘘じゃなかったでしょ?」


 沈黙。

 首筋の刃が離れた。


「……クソッ!」


 彼は短剣を床に叩きつけた。


「殺せない……。こんな、隙だらけのババア……殺す価値もない!」


 彼は涙目で私を睨みつけた。

 それは殺意ではなく、甘えのような、悔しさのような瞳だった。


「……次は、必ず殺す。だから……それまで首を洗って待ってろ!」


 彼は捨て台詞を残し、夜の闇へと消えていった。

 私は床に落ちた短剣を拾い上げた。

 まだ、彼の体温が残っていた。



「……甘いな」


 いつの間にか、部屋の隅にカイゼルがいた。

 彼は呆れたように肩をすくめた。


「暗殺者を餌付けして逃がすとは。……お前は聖女か? それともただの馬鹿か?」

「馬鹿でいいわよ。……あの子、弟みたいで可愛かったもの」


 私は短剣を懐にしまった。

 これは、彼がまた私を殺しに来る(=会いに来る)までの、預かりものだ。


「……それに、誰かさんに似てたしね」

「誰だ」

「さあね。……不器用で、素直じゃなくて、すぐ強がる誰かさんよ」


 私はカイゼルを見てニヤリと笑った。

 彼はふんと鼻を鳴らし、顔を背けた。

 その耳が、少しだけ赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。


「……行くぞ。ここはもう安全じゃない」

「はいはい。……次はどこへ行くの? カイゼル様」


 私は立ち上がった。

 傷は増えたけれど、心は少しだけ軽かった。

 少なくとも、この世界にはまだ、私を殺せずに泣いてくれる人がいるのだから。


 窓の外で、雷鳴が轟いた。

 遠くの空が、不気味に赤く染まっているのが見えた。

 嵐が来る。

 今までとは比べ物にならない、大きな嵐が。

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