第15話:龍神の風邪と小さな奇跡
山岳地帯は吹雪だった。
私たちは洞窟に避難し、焚き火を囲んでいた。
(……ここ、覚えてる)
三百年前、新婚旅行で山越えをした時も、こんな吹雪に見舞われた。
あの時、カイゼルは私を寒さから守るために、一晩中抱きしめていてくれた。
「俺の体温で暖まれ」なんて、キザなことを言って。
でも、今の彼は私ではなく、別のものを抱きしめている。
「……うぅ、寒い……」
カイゼルの腕の中にいるのは、手のひらサイズに縮んだ龍神だった。
いつもは偉そうなトカゲが、今は生まれたての赤ん坊のように小さくなり、震えている。
「どうしたのよ、龍神。変なものでも食べた?」
「……わからん。急に力が抜けて……」
龍神の声は弱々しかった。
その体から、いつもの濃密な魔力が消えている。
ただの、弱った爬虫類だ。
「熱があるな」
カイゼルが龍神の額に手を当てた。
その手つきは、驚くほど優しかった。
まるで、病気の子供を看病する父親のように。
「アリア、薬草はあるか? 熱冷ましのやつだ」
「ええ、あるわ。すぐに煎じる」
私は鍋に水を入れ、薬草を放り込んだ。
カイゼルが龍神をあやし、私が薬を作る。
その光景は、奇妙なほど自然で、そして温かかった。
(……私たち、まるで夫婦みたい)
そんな考えが頭をよぎり、慌てて打ち消す。
相手はカイゼルだ。裏切り者だ。
でも、今の彼は、私の知っている「優しいカイゼル」そのものだった。
†
薬を飲ませると、龍神は安らかな寝息を立て始めた。
カイゼルは龍神を毛布にくるみ、焚き火のそばに寝かせた。
「……珍しいな。あのトカゲが弱るなんて」
「ええ。……何か、悪い予感がするわ」
私は焚き火を見つめた。
龍神は「星の守護システム」だと言っていた。
そのシステムが弱っているということは、星そのものに異変が起きているということだろうか。
「……うぅ、アリア……」
龍神がうわ言を漏らした。
「……死ぬなよ……お主が死んだら……世界が……」
ドキリとした。
世界が、どうなるというの?
龍神は、私に「子作り」を急かしていた。
それは単なるセクハラではなく、私の命に関わることだったの?
「……カイゼル。あんた、何か知ってるの?」
私は彼を見た。
カイゼルは焚き火に薪をくべながら、静かに言った。
「……あいつは、お前を守ろうとしている。それだけは確かだ」
「あんたは?」
「俺もだ」
彼は私を見た。
その瞳に、焚き火の炎が揺れている。
「俺は、お前を守るためなら、世界なんてどうなってもいいと思っている。……だが、あいつは違う。あいつは世界を守るために、お前を守ろうとしている」
微妙な違い。
でも、決定的な違い。
カイゼルにとっての最優先は「私」で、龍神にとっての最優先は「世界」なのだ。
「……馬鹿ね。世界なんてどうでもいいなんて」
「本心だ。……お前がいない世界に、何の価値がある」
彼は呟いた。
その言葉は、三百年前の「国のために死ね」という言葉と、完全に矛盾していた。
どちらが嘘で、どちらが本音なのか。
今の私には、もう答えが出ている気がした。
†
翌朝、吹雪は止んでいた。
龍神も元のサイズ(デカいトカゲ)に戻っていたが、まだ少し顔色が悪い。
「……昨夜は世話をかけたな。……忘れるのじゃ! わしが赤子のようになっていたことは!」
「はいはい。……でも、可愛かったわよ」
私は笑った。
カイゼルは既に荷物をまとめて、外で待っていた。
「行くぞ。……次は「温泉郷」だ。湯治でもすれば、そのトカゲも治るだろう」
「温泉? ……いいわね」
私は洞窟を出た。
雪解け水が、キラキラと輝いている。
旅の目的が変わった気がする。
ただのお見合いじゃない。
龍神の異変、世界の危機、そしてカイゼルの真意。
それらを確かめるための旅だ。
私はカイゼルの隣に並んだ。
その距離は、昨日よりも少しだけ近くなっていた。
雪山を越えれば、王都はもうすぐだ。
そこで待つ運命がどんなものであれ、私たちは三人で(一匹含む)立ち向かう。
そんな予感が、確信に変わりつつあった。




