Q.死霊術師になるには? ─A.職業資格は宗教問わず神を信じていること─
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かつて肉体は神の世界のものであった。
偉大なる神が作りし肉体を、自傷や自殺によって自らの手で傷つけることや、死後に解剖することなど言語道断であり、人間の血と肉はもっとも神聖なものとしてこの世に君臨していた。
しかし、神域とは侵されるために存在する。
近代死霊術は肉体、魂、生物の全てから神秘を取り払った。
今や生き物の筋肉をグロテスクに継ぎはぎした機械生物が街の清掃から戦争までを行い、神秘の頂点に位置した人間の肉体すらも、その主が望むがままに弄り回される。
もはや金さえあるならば肉体から肉体に移り、永遠の生すらも手に入るのだ。
自分たちはもはや創造主たる神すらも超越したと自画自賛するそのものたちは、その拠点をネクロポリスと称し、堕落した都市は栄華を極めていた──。
ネクロポリス。
何台ものパトカーの赤い回転灯が、随分前に閉店した雑貨店の壁を、あたかも血をぶちまけたように染めていた。
いや、事実そこは血まみれだった。
人間の肉片や砕けた歯と骨、そして引きちぎられた無数の髪の毛。それらが夥しい血の中に沈んでいた。しかし、そこに死体と呼べるものは存在しない。
「これで7件目だな」
警官のひとりが震える声で呟く。
「ああ。狂った人食いゴミ箱がうろつているんだ。あの化け物は今まではホームレスを食っていたみたいだが……」
「こいつはホームレスじゃない。身分証を持っている」
警官が手袋をした手で血の海から顔写真の入った身分証を取り上げた。
その写真に写っている女性の髪の色と現場にある髪の色は同じだ。
「クソ。俺たちはここにいて安全なのか? 38口径の拳銃でどうにかなる相手じゃないだろ」
「俺はもし化け物が出たら逃げるぜ。俺の仕事に化け物退治は含まれてない」
小心者の警官たちがそうこそこそと言い合うのを、この場を仕切っているネクロポリス市警警部であるマシュー・グリープスは聞いていた。
ああ。お前らみたいな連中にはハナから何の期待もしちゃいないさ、惨めな給料泥棒どもめ、と彼は内心で口汚く愚痴る。
「警部。例の外部顧問が到着しました」
ここで若い警官が走ってきてマシューに報告。この若い警官は現場を見て吐いたために、マシューは現場をこれ以上汚される前に伝令にして遠ざけておいたのだ。
「ここまで連れてこい。金を払ってるんだ。出迎えはせんぞ」
「了解」
マシューは年季に入ったライターで安物のタバコに火をつけてそう命じ、伝令の警官は再び呪われたような血まみれの現場を離れる。
そして、この現場にひとりの男が現れた。
「マシュー。仕事だと聞いた」
「来たか、ネイサン」
現れた男はその黒い頭髪をソフトモヒカンにして不精髭を生やし、この世の全てに辟易したような疲れた青い目をしていた。
その大柄で軍人のような体にはくたびれたスーツの上からよれたトレンチコートを。左手には銃火器を収めるケースを、右手にはスーツと同じくらい質の悪いウィスキーで満ちたスキットルという格好。
その男はネイサンと呼ばれた。
「噂は聞いているだろう。この地区に配備されていたゴミ箱が暴走した。今ややつはゴミではなく人間を食っている。既に7人の死亡が確認されている状況だ」
「またか。俺たちはどうしてゴミ箱に手足を付けたりしたんだろうな……」
「市の公衆衛生課によれば、このゴミ箱のおかげで都市は極めて衛生的に保たれ、疫病を防いでいるそうだ。自分の足で放置されたゴミを探し、拾い、そして消化して燃料にする。ああ。理想的なゴミ箱だよ」
「そして、軍の機械生物と同じように、そのゴミ箱は人間も食うことができ、あまつさえ代謝すらし、ゴミと同列に燃料にできるというわけだ。素晴らしいな、全く」
機械生物。培養された人工筋肉を組み合わせて作られた人工生命であり、血と肉でできた機械である。
用途は様々だ。ホテルの荷物運びから、病人のためのリクライニングする介護ベッド、そして戦争に投入される兵器まで。
「俺には未だに分からんのだ、ネイサン。どうしてこんな事件が起きる?」
「簡単だ、マシュー。肉には必ず魂が宿る。魂は天から降ってわくわけではない。肉が機能するうえで生じるものだ。肉の中に延びる神経の、その電気信号が、神経伝達物質が、それらが複雑に絡み合って魂を生む」
マシューが尋ねるのにネイサンが語る。
「肉には魂があるのが本来の姿だ。だが、人工筋肉の生み出す魂は微弱だ。存在はするが、弱弱しい。そこに何かしらの地上に残ったより強い信号の魂が接触することによって、人工筋肉の魂はその外部からの魂に駆逐され、乗っ取られる」
「それで暴走する、と。人工筋肉すべてがそうなのか?」
「いいや。人工筋肉を死霊術で動かすには、人工的な魂を宿させなければならない。近代死霊術の基礎たるロスマン・ネテスハイム言語で生み出される魂。機械生物に役割を与え、移植した肉体を健全に機能させる魂だ」
ロスマン・ネテスハイム言語。電算機にプログラムをコードするように、魂をコードするために生み出された言語である。魂のない肉に電気信号によって、この言語で描かれた魂を植え付け、人は死者を思いのままに操る。
死霊術は偽りの魂すらも生み出し、本来ならば機能しない肉の寄せ集めというグロテスクな存在をこの世のものとしていた。
そして、ネイサンが続ける。
「十分な魂の強度が得られなかった場合に乗っ取りが起き、こんなことが起きる。いや、何よりこの街には余剰な魂が多すぎる」
「余剰な魂か」
「そうだ。下水のヘドロのようにべっとりと溜まった腐臭のする魂が、この都市のあちこちに蔓延っている。俺たちが地上で死者を弄び続けた結果だ。連中の声が聞こえないか、マシュー……」
「クソ食らえ。だから、あんたのような死霊術師が必要なんだろう。死霊術師が化け物を作り、同じ死霊術師が化け物を殺す。化け物狩りを楽しめよ、ネイサン」
マシューはネイサンにそういって軽薄な笑みを浮かべた。そのまま彼はタバコの煙で肺を満たす。ニコチンは体に悪いが、恐怖にはよく効く。
「分かった。お望みどおりに狩りを始めよう」
ネイサンはそういって武器ケースを開くとそこからポンプ式散弾銃と山刀を取り出し、黒い革の手袋でそれらを握った。そして、山刀は腰のベルトに下げ、散弾銃にはスラグ弾を装填。
それらの装備を確認するとネイサンはまずは血まみれの現場に足を踏み入れた。
現場を確保している警官たちが部外者に冷ややかな視線を向ける中で、ネイサンはぶつぶつと何かを呟きながら、現場を見て回る。
「いたな」
そこでネイサンがふと足を止めて独り言を言う。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い』
ネイサンの耳には女性のささやくような声が、狂った言葉を吐き出し続けているのが、しっかりと聞こえていた。
「落ち着け。俺は神の叡智派における聖職の資格を持っている。あんたが協力してくれるなら、楽にしてやっていい。どうする? このまま地上に留まり、自我失って永遠に苦痛を味わい続けるか?」
『助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて』
「賢明な判断だ。その前に教えてくれ。あんたを殺したゴミ箱はどの方向に行った?」
ネイサンは声しか聞こえない女性に向けて話かけ続けた。
『地下の下水道』
女性の声がふいにはっきりとそう告げた。
「助かった。じゃあ、これからは安らかに眠れ。あんたは頑張ったよ」
ネイサンはそういって祈りの言葉をささげたのちにスキットルのウィスキーをどぼどぼと地面に垂らした。アルコールのきつい臭いが鉄さびに似た血の臭いに混じる。
「地下下水道。ふん、化け物にはお似合いだな」
ネクロポリスの地下には地下鉄や上下水道が張り巡らされている。
「大方、地下鉄路線から下水に向かった口だろうが」
ネイサンはそういって最寄りの地下鉄駅を目指す。
バスカヴィル駅。そこが殺戮の現場から最寄りの駅だった。
「おっと。こいつは……」
駅にホームには駅員と思しき死体が転がっていた。正確にはその下半身だけが残っていた。上半身はどこにも見当たらない。
その死体から生じるアンモニアの臭いと吐瀉物の臭いが混じって吐き気が湧いてくるのを、ネイサンはウィスキーを一口飲んで耐えた。
「魂は既に消えているようだな」
魂とは本来、そう長く地上に留まるものではない。
シジウィック発火現象。魂について死霊術的に説明する反応では、魂はそれを支える肉体を失えば、数時間かけて溶けるようにして失われるとされている。
ただし、この反応には例外がある。
強い感情や肉体への大きな衝撃が与えられた魂は、長期にわたって肉体もなくとも残り続けるとされていた。
デジャブを感じたことは?
激しい感情の発作に悩まされる患者が収容されている精神病院。生死をかけて祖国のために兵士たちが戦う戦場。それから想像しがたい苦痛を与えられて人が殺された殺人の現場。
そのような場所では魂が肉体を必要とせず残り続けるそうだ。
「しかし、血の跡を残したな、化け物。それが命取りになるぞ」
ネイサンはそういって化け物の追跡を続ける。
照明がついたり消えたりする地下鉄の線路に入り、ネイサンは血の跡を追う。
「化け物の臭いだ」
腐った血と肉の臭いがしてきた。ネイサンが地下鉄から下水に入る出入口を見れば、そこには無数の引っかき傷が残されていた。何か巨大なものが鋭い爪で地面を掻いたような跡だ。
「ビンゴか」
ネイサンは地下下水道に入る。
汚物と汚水の臭いで満ちた地下下水道。そこにある血の跡と引っかき傷を追ってネイサンは慎重に地下下水道を進む。
くちゃくちゃと何かを咀嚼するような音が聞こえ、ネイサンは散弾銃を構えた。
「キキッ!」
不意に地下下水道にいた成猫ほどはある1匹のドブネズミが鳴いて、素早く走り去ったと思うと、音が止まった。
「ああ。クソ、気づいたか」
それから『カリカリカリカリカリ』と巨大な虫が這いまわるような音が聞こえてきて、ネイサンはその場にとどまるとポケットからフラッシュライトを取り出した。
「神よ。我らが神よ。哀れな迷い子を導くために、そのお力をどうかお貸しください……。あなたの慈悲と愛に満ちた光で私をお導きください……」
ネイサンはそう祈りを口にしながら、さっと背後を振り返ってフラッシュライトのスイッチを入れた。
「オ腹ガ空イタヨ、ママァァァァ!」
そこにいたのは『ネクロポリス清掃局』と書かれた鋼鉄製の箱を背負った、甲殻類の爪と足を持つヤドカリのような存在だった。
ただし、その大きさはちょっとしたトラックほどはあり、その箱には『ガチャンガチャンガチャン』と金属の音を響かせる鋭い牙の並んだ口がある。その牙には肉片と血がぼとぼとと垂れていた。
これが連続殺人事件の犯人だ。本来は清掃用の機械生物だが、今では人食いの化け物になり下がっている。
「そいつは災難だったな。だが、腹が減ったからと言って人間を食うのは駄目だ」
ネイサンは散弾銃の引き金を引き、放たれたスラグ弾が爪の表面を覆う殻にひびを入れた。しかし、その程度で止まるほど相手はやわではない。
「ママァァァァ! ママァァァァッ!」
化け物は爪を振りかざしてネイサンの方に突撃してくる。ネイサンは汚水を跳ねさせながら突撃を回避し、散弾銃に別の銃弾を込める。
「神よ。我らが神よ。どうかお力をお貸しください。クソッタレな化け物をあの世にお導きください!」
「怖イヨ! ママァァァァッ!」
ネイサンの祈りの言葉を化け物が金属音を立てて上書きする。金属音を立てているのは、本来はゴミを細かく砕いて再利用可能にするための切断機で、それは今や人間を破砕してミンチにする凶器になっていた。
「喰らえ」
そして、再び突撃しようとした化け物にネイサンが散弾銃の引き金を引いた。
放たれた銃弾は特殊なもので着弾と同時に強力な電気を相手に流すという、一種のスタンガンであった。
「ママッッッッ!」
電流を浴びた化け物は痙攣し、その場から動かなくなった。
「どんな化け物にも電気は効く。所詮、俺たちは肉の機械であり、電気信号でその日の気分が決まるような存在なんだ。化け物になっても、それが劇的に変わるということはない。魂すらも電気から生み出されるんだ」
そう、化け物退治に電気は有効だ。人工筋肉にせよ、人間本来の肉体にせよ、強力な電気を浴びればマヒする。
この巨大な清掃機械生物の化け物も体を構築しているのは神経の通った肉であり、そこに電気を流せば、もう動けなくなってしまう。
「ママ……。ママ……。怖イヨ……」
「もう怖がる必要はない。神様のところに連れていってやる。だから眠れ」
ネイサンはそういって祈りの言葉を唱え、ウィスキーを清掃機械生物にかける。
「アア。アリガトウ……」
そういって清掃機械生物についてエラーを起こしていた魂は焼失した。
「これで一件落着、か」
それからネイサンは再びマシューの下へと戻った。
「解決したぞ。問題の清掃機械生物は地下下水道だ」
「ご苦労。ほら、報酬だ」
ネイサンの報告にマシューが封筒を放り投げるようにして渡す。
「なあ、ネイサン。あんたは祈りの言葉をよく口にするが、また神を信じているのか? 従軍聖職者であったときと同じように」
「そうだ。信じてるとも」
「どうしてだ? あんた自身が一番理解しているはずだぞ。俺たちの魂すらも、所詮は電気信号と化学物質で説明できるものだと。そこに神はいないってな。だろう?」
マシューはタバコの灰を地面に落としながらそう尋ねる。
「ああ。だからこそだよ、マシュー。こんな何もかもが数式と化学式で解剖しようとするクソッタレな世界だからこそ、神の救いが、希望が必要なんだ。そうだろう。神は数字で引き裂けない」
ネイサンはそういって立ち去った。
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