2 ダンジョンの魔物
インフェクテッドアーマー。道すがら教えてくれる彼女の話では、それが今の俺らしい。
誤って装備した人間に取り付き寄生して、体を乗っ取って他の冒険者を襲う恐ろしい魔物だ。
生まれたばかりの幼体なのか、アーマーと言っても、今の俺はただの胸当て。それも前面だけで見た目も安っぽいものだ。
深層の強い成長した個体ではフルプレートの甲冑だそう。
高い防御力と、強力な魔法を連発し、ダメージを受けるとカウンターで強酸の霧を吐いて近寄れない、非常に厄介で凶悪な魔物で有名らしい。
思えば、混濁した意識の中で、この盗賊の女のミランダが俺を装備した時、俺は本能的に思いっきり抱き着いて耳元へ指を、触手を伸ばした。
多分、彼女の体を乗っ取ろうとしたんだろう。
しかし、人間としての正気を取り戻した。そのきっかけは間違いなく、あったかくて柔らかいおっぱいだ。前世が人間のオスだったから分かる。
おっぱいは3大欲求の性欲と食欲なのだから、魔物としての本能よりも、強く人間の本能に訴えかけられるおっぱいのなせる奇跡だろう。それは間違いない。
…にしても小さいな。
・・・
「悪かったね貧乳で。」
ミランダは胸当ての肩紐をギリギリとつねって引っ張った。
(いててて!今の聞こえてんの?!)
「念話の一種でしょ。考え事するなら、うなじから触手を離してくんない?」
(分かった、そうするから、離してくれ。)
彼女は慣れた様子で周囲を警戒しながら、戦闘を避けて更に深層へと進む。思っていたより坂の多い地形で、右手方向には常に巨大なクリスタルの柱がある。
円筒型の螺旋階段の様な構造だ。
(しかし、さっきからアンタとしか呼ばれないのは困るな。)
「名前、思い出せた?」
(いや、全然…思い出そうとしても、ほんのかすかにぼんやりとしか。適当でいいから名付けてくれないか。)
「自分で考えなよ。」
彼は数秒の間考える。仮の名前だ、魔物の種族名を聞いたままでいいだろうと答える。
(じゃ、インフェクテッドアーマーだから…インフェクトの、フェクトで。)
「なんでそこなの。頭の方のインフェでいいじゃん。」
(やだ!そんなインポフェイスみたいな名前!)
彼は駄々をこねてに答えるが、ミランダは白い目で答えた。
「尚更そっちのがいいよ。出会った時から、ずっとでっかい乳のことばっか考えてる性欲モンスターじゃんアンタさ。インフェインフェ。インポフェイスアーマー。」
(やーだー!フェクトって呼んで!)
「アンタの前世では苗字あったんでしょ。ならインフェ・フェクトでいいじゃん。」
(なんでインフェの方が名前なんだよ!お前バカにしてるだろ!)
「バレた?んふふ、おもしろ。」
(からかってたのかよ!性格悪いなお前!)
「良けりゃ盗賊なんてしてないし、単身でダンジョンに乗り込んだりしてないよ。」
(む~……。)
通路を抜けて大きな部屋に入ると、彼女は地面に落ちている短剣を拾った。じいっと見て呪いの類がないか確認する。
刀身にうっすら緑色に光る文字の様なものが描かれている。
毒のルーンが刻まれている様だ。
「ぃやった。毒の付呪が着いてるスティレットだ。これは使えそう。」
(剣なんて落ちてるもんなのか?他の倒れた冒険者とか?)
「どっちもあるね。宝として出現もするし、武器を持ったモンスターも生まれる。持って帰れれば金になんのさ。」
(モンスターが生まれる?)
「あぁそうさ。このダンジョンは生きている。あの水晶、見えるかい?」
ミランダが指さしたのは、自分が拾われた時に鏡の様にして見た薄紫色の巨大なクリスタルだ。通路から大部屋まで、至る所にあって光源になっている。
特に部屋にあるものは割合大きなものが多い。
(地形を見たところ、アレはダンジョンの中心にありそうだが。これが迷宮の本体、とか?)
「大多数の人間が、そう信じてるね。」
ミランダは遠くから大きな水晶をじっと隠れながら眺め続けた。すると、水晶の中で半魚人の様な何かが動いた。
(なんだあの化け物。)
(静かに。念話も聞かれてるかもしれないよ。)
多数の眼孔が開いた人間の頭蓋骨に、爬虫類の様な爪とカエルになりかけのオタマジャクシの様な体をした怪物だ。体長は成人の男が三人分程度の長さだろうか。かなり巨大だ。
一度部屋を見て、何かを探す様に目くばせした後、部屋に向けて手を指し示し、指を光らせた。するとどこかへ去っていく。
(今の俺といい勝負の気持ち悪さだ。なんだよアレ。)
「さぁね。恐らく、このダンジョンのボスだろうさ。迂闊に大きな水晶に近づいて見つかると、アイツに強力な魔法で一方的に攻撃される。」
(中は水か?水槽なら割ってしまえばいいじゃないか。)
「過去にバリスタを浅い層で組み立てて試した奴がいたけど、中心まで全部結晶だったらしいよ。」
(倒されないわけだ。あんなのどうやって攻略すんだよ。)
「さぁね。ん、見なよ。」
ミランダが指をさすと、水晶の柱に近い地面から、筍が生える様に同じ色の水晶が4本伸びてくる。人間よりも大きなサイズになると、膨れ上がる様に肥大し、ヒビが入り出した。
バキィィィンと音を立て砕けると、モンスターが中から現れていた。
(武器持ちのリザードマンに、ウィザードレイスが2体、あと1つは…宝箱か。)
物陰に隠れながらミランダは様子を伺う。
筋骨隆々のワニの様な顔をして、フランベルジュの様な波打つ大剣を片手で持つリザードマン。体のないマントに首飾りと杖だけの幽霊だ。
(ウィザードレイスは首飾りを盗めば倒せる。魔法アクセサリーは高く売れるから、狙うならこっちだ。今はやり過ごして、孤立したところを奪おう。)
フェクトは大きな目の瞳孔を開閉して、じいっと去っていくモンスター達を見つめた。
(なるほど、こうしてモンスターがね。あいつが召喚したのか?さっき、この部屋を指さしてたな。)
(多分ね。あんたもそうなんじゃない?モンスター同士、言葉通じるかもよ。水晶の近くに置いといてあげるから、パパに挨拶してみる?)
(冗談キツいぜ。パパがあれなら、生後1分で2メートル越えのトカゲ人間が弟かよ。あっちの双子は生まれながらに死んでるじゃねえか。)
彼は触手の先を伸ばして赤く光らせて、指を指し示した。
(死産なんでしょ。)
(上手いこと言ってるんじゃねえよ!)
(とにかく、後を追うよ。ラッキーだね、出口側に歩いていった。)
方角はUターンだ。ミランダは身を隠しながら、残りの宝箱にこっそり近寄っていく。
(今いる場所は深いのか?)
(第4層は中層の入り口辺り、とは言われてるけどね。本当の最深部がどれぐらいかは知らない。10層以降、帰ってきた奴がいないからね。)
(最深部も分からないのに中層ね。どういう基準なんだ?)
(生還者が確認したモンスターの種類さ。深くなるにつれて手強くなっていく。中層は中級クラスってことさ。深層は9層から。)
(じゃあ君は中級の冒険者ってわけか。)
(そうなるね。)
どうやらミランダは、それなりに腕の立つ冒険者の様だ。巨体のオオカミの群れに怯まず単身潜入する神経の太さには、フェクトからすれば圧巻の度量に映る。
(にしても、あのアメジストの筍からアイテムの類も発生するのか。一体どうなってんだ?)
(さてね。それを解明したりするのが、私達、冒険者や探検家でしょ。この世界じゃ、どのダンジョンも形は違えどあんな調子さ。)
(マジかよ。不思議なもんだな…)
(ある程度モンスターも駆除しないと、定期的に外に出てきて町や村落を襲うのさ。だから討伐依頼もある。)
(あのボスみたいな水晶のヤツを倒せば?)
(ダンジョンは消えてなくなるかもね。でも私がやることじゃない。)
ミランダは宝箱の中身を取り出す。中には着物の様なものが入っていた。淡いピンク色の、天女が着る様な羽衣だ。
(綺麗な着物だな。光り輝いてて、どうみたって普通じゃない。)
(いいね。防具には見えないけど、コイツは高く売れそうだ。あと2個ぐらい金目のものが取れたら帰ろう。)
(狙うなら、ウィザードレイスとか言う幽霊の飾りか?リザードマンが離れたら狙おう。)
(だね。あんまりモタモタしてもいられないし。)
(というと?)
(厄介なことに、このダンジョン、時間経過で地形や方向が大きく変わるのさ。大体日替わりでね。単身で深層まで行く様な時間をかけたら、脱出にも探索しなおすことになる。)
(退路が分かっているなら、変わらない内にさっさと済ませよう。早く地上に上がりたい。)
後を追うこと数分、リザードマンが別の方向へ行った。
(よし、襲うか。フェクト、横槍とかなんかあったら、さっきみたいなの頼むよ。)
(さっき?)
(風の魔法でもなんでもいい、死ななきゃ安いよ。アンタも気合いれな。)
(分かった。…どうやってやるのかさっぱり分からないが。)
フェクトは自分自身が魔法をとっさに放ったらしいが、何が何やら分からないままやったことだ。彼には魔法がどうやったら出せるのか、いまいち実感がない。
ミランダは素早く後ろから詰め寄り、杖を握って思い切り引っ張った。振り返らせると同時に浮遊するネックレスを掴み、体の勢いと力任せに引きちぎって分捕りながら走る。
杖がカランと落ち、マントが風の音を立てて落ちた。
『轤弱h貊セ繧』
もう一体がまるで聞き取れない呪文を詠唱しだすと、杖の先から炎が出始めた。
(炎が来るぞ!)
「知ってるよ!」
杖を高く掲げると、真上の3方向に撃ち出された火の玉が軌道を変えて彼女に向け、とんでくる。スライディングしながら距離を詰めつつ、誘導を振り切って躱し、ネックレスを奪おうととびかかった。
杖でガードされ、彼女は杖を掴んだまま空中にぶら下がる。すると杖の先が再び輝き出した。
(ヤバいぞ!)
「ッつぁりゃ!」
鉄棒で逆上がりする様に彼女は足でネックレスを引っかけ、引きちぎった。しなやかに着地すると、カランと音を立てて杖が地面に落ち、光が消え失せる。
「何がヤバいって?」
ネックレスを足から放り上げると、彼女はパシっとキャッチした。
(お~!かっけえ~!)
「ふふん。単身で挑むなら、これぐらい出来なきゃね。」
奪い取ったネックレスを2個、指先で回しながら彼女は得意げになる。
(俺の出る幕なんてないじゃないか!さてはキミ、かなりのベテランだな~?)
「んふ、そんなに素直に褒められると、ちょっと照れるじゃないかい。」
(単身で中級者の層なんだろ。つまりは結構なやり手なわけだ。いいね、俺も男だ。そういう冒険者には憧れるよ。早く体が欲しい。)
「体が欲しいって…ねぇ。縁起でもないこと言うんじゃないよ。」
人間をひとり犠牲にしなければ、彼は元の姿に戻れないだろう。
(君の体は取らないよ。でもな~、元は人間だし、できることなら人間に戻りて~。)
「…ま、いいや。それより、戦利品だ。」
ミランダは落ちた杖を拾い上げる。よくある先端が傘の柄の様に湾曲した杖だ。インディカ米の様な細長く小さい宝石が、固めた松脂の様な接着剤で埋めこまれる様に散りばめられている。
宝石はいびつな磨きで、輝いてこそいるが如何にも磨きの技術力が低く、宝石であれば形状や種類を問わないでいそうなワイルド感溢れる杖。
(これ使えるのか?)
「勿論。ウチは無理だけどね。魔法はからっきしだよ。」
ミランダは杖を2本を回収する。
「上位の冒険者が使うような高級品に比べれば、クセが強くて耐久度も低い粗品だけど、これほど宝石が散りばめられた杖だ。駆け出しの冒険者には高すぎる代物だよ。」
(ローブは?)
「一応回収しとくかい?ボロボロだし、価値はなさそうだけど。」
(それで俺を隠して欲しい。他人の目に着いたらよくない気がする。俺はなんかの魔物なんだろ?)
「確かにね。一応使っておくか。」
ローブを回収し、ミランダは足早に帰路へ向かい始めた。
(しかし、具体的にどうやって体を手に入れたもんか。)
「死にたての死体、とか?ウチと組んでくれる奴なんてもういないから、ダンジョンや貧困街でくたばった奴を探すかじゃないとねえ。」
(それはちょっと、良心の呵責ってものが。)
「モンスターが良心を語るのかい。難儀なもんだね。」
(うーむ…だって、モンスターとはいえ、人間として生きたいんだ。信用を失う様な一線を踏み越えたくはない。罪のない人なんて尚更だ。)
「確かに、宿主の体をそのまま借りるとあっちゃぁね。死んだ冒険者が戻ってくるなんて疑われるし。ウチみたいな信用のない冒険者なら、ともかく。」
迂闊にインフェクテッドアーマーを装備し、たまたまフェクトだったから寄生されなかった。ミランダはそのことを運が良かったと思いながら自嘲気味に皮肉った。
(例えば、例えばだぞ。山賊とか、死刑囚とか…)
「まぁいないわけじゃないけど、山賊はこの辺にはいないかな…死刑囚っていうか囚人は、ウチが自警団や衛兵に掛け合っても信用がないからね。脱走幇助を疑われて、面会させてくれないよ。」
(正直に、モンスターの実験台にさせたいなんて言えるはずもないよな…君の頭がおかしくなったとか思われて、討伐されてしまうかも。)
「それはあり得るね。やめておくべきだよ。」
既にミランダは4層を抜け、3層へと来た。少し壁の材質が変わり、暗がりが多く暑かったエリアが少し涼しくなり、水晶の光も強くなった。
順路も覚えているのか、彼女は走って瞬く間に2層へと抜ける。
「でも、体以外の事ならツテはあるよ。まずは現状の自分の事を知ってもいいんじゃないかい?」
(本当か?)
「あぁ、長らくこのダンジョンを研究してる、偏屈な魔術師が居てね。ウチは単独行動だから、お使いには足が軽くてね。数少ない、依頼人なのさ。」
(それはぜひ会いたいな。)
「決まりだね。」




