004 新しい料理とくつろぎ亭
醤油を熟成させてから一年が過ぎた。
そろそろ熟成が完了していると思うので、壺から出してみることにした。
元々は緑に近かった壺の中身は赤茶色に変わり、それを掬って布で包み、絞り出す。
絞り出した液体を、ヘイウッドさんに教えてもらった通り加熱処理し、ようやく醤油が完成した。
少量、皿に垂らして味を確認する。
うん、醤油の味だ。
これと、俺の畑で収穫したショウガやサトイモがあれば、いろいろ料理ができるはず。
最初は、硬いパンを改良しようとキッチンに立ち始めた俺だったけど、醤油を手に入れてからは、さらに頻繁にキッチンに立つようになり、いろいろと料理をするようになった。妹のナナミも一緒に作っている。
前世の知識にある硬いパンといえば、黒いライ麦のパン。でも、ここで日常的に食している硬いパンは白色だ。
母は小麦を使っていると言うし、主原料に問題はない。だから、焼き方、発酵の手順、パン酵母と順に原因を探って行った。
手をつけてすぐに、焼き方を改善することで大分良くはなった。けれども、なかなかそこから先に進めない。
発酵についてはほとんどしていなかったから、時間をかけることで変化が現れるようになった。だけど、合格には程遠い物だった。
結局パン酵母そのものが駄目だと分かった。
今までパン酵母として使っていたのは、その風味から、多分、葡萄酒そのもののようだった。
それをヒントに、果物を発酵させて、良いパン酵母が作れないかの実験を繰り返した。
一年かけた実験は成功し、今では柔らかなパンが焼けるようになった。
ちなみに実験でできた失敗作でも、従来のパンより家族に好評だったことを付け加えておく。俺は食べ物を粗末にはしていない。
今日のメニューは、豚のショウガ焼き、タマネギとジャガイモを入れたクリームスープ、それと柔らかなパン。
なお、料理の材料となった豚肉や牛乳は、ヤムダ村で生産している物を購入した。他の食材は家の畑と俺の畑で作った物だ。
醤油で味付けした料理はすこぶる人気で、最初は家族で取り合いになるほどだった。柔らかいパンも、ナナミの大のお気に入りで、
「こんなおいしいパンを毎日食べられるなら、私、お兄ちゃんのお嫁さんになる!」
とか言い出す始末だ。いつも一緒に作っているから、ナナミも作れるだろうに。
前世の俺は親と同居の学生だったし、とくに料理が好きだった訳でもない。だから、知識上、料理のレパートリーはそれほど多くない。前世の親が作っていた物や、テレビ等で見た物を思い出して、少しずつ料理を開発していった。
料理が得意でない俺が作っている以上、料理自体は手の込んでいる物ではなく、比較的簡単にできる物ばかりだ。その結果、一緒に作っているナナミも作ることができるようになっている。
遊びに来たガッドやミリィに料理を提供したときには、二人とも、もの凄く驚いていた。
「こ、これをパンダが作ったのか……」
ガッドは木製のフォークをくわえたまま、ぎこちなく視線をこちらに向ける。
「おいしー! もぐもぐ……、とってもおいしいと思うの!」
ミリィは料理に夢中になっているけど、大事なことは忘れない。
「……。パン、持って帰りたい」
一通り食べ終わると、名残惜しそうな顔でこちらを見つめ、お土産を要求してきた。
「ほらよ。皿はあとで返してね」
二人に、豚のショウガ焼きを盛りつけた木製の皿と、布に包んだ柔らかなパンをお土産に渡してその日はお開きとなった。
ミリィの家では、持って帰った料理が大好評だったらしく、後日、ミリィの姉リブが料理を習いに来た。
ミリィの家は宿屋だから、客に振る舞いたいとのことだった。
「パンダ君の料理、私にも作れるかしら」
リブ、ミリィは三姉妹で、リブは二女、ミリィは末っ子だ。一番上の姉は歳が離れていて、一緒に遊んだことはない。俺より五つ年上だったかな。
リブは二つ年上だけど、この年頃の二歳差は、凄く大きい。もう、本当にお姉さんという感じだ。ちなみに胸のほうは前世の記憶と照らし合わせると、普通の大きさだ。大きくも小さくもない。
「簡単だから、すぐにできるようになると思うよ」
「そうね、そうだといいわね」
「ただ、材料はうちの畑で作っている物がほとんどで、そんなに量がないんだ。だから、料理の作り方をリブに教えるのはいいけど、今年は、材料はそんなに用意できないよ」
料理の味を占めてからは、ナナミや両親も俺の畑を手伝うようになった。それ以降は、畑の面積を増やし、生産量を上げつつあるけど、成果は年単位でしか上がらない。
「パンダ君が売ってくれるだけでいいわ。すべて高値で買い取るわ。それと、振る舞った料理一品につき、銅貨二枚をパンダ君のお家に支払うってことでどうかしら」
材料が少ないという話が、いつの間にか商談になっていた。恐るべし。
料理を提供するごとに銅貨を支払うってことは、アイディアに対する使用料と捉えられる。こういった概念がこの世界にもあるんだなと感心した。まあ、簡単な料理だから、レシピはあってないような物だし、使用料を支払ってくれるなんて思いもしなった。
「元々料理で儲けようと思っていた訳じゃないから、リブんとこの宿屋がそれでいいなら、俺としては問題ないよ」
「商談成立ね」
リブが腕を差し出す。ああ、商談成立の握手か。
遅れて俺も腕を差し出し、握手する。
「じゃあ、早速始めようか」
まずは豚肉のショウガ焼きから。
ショウガをおろし金で摩り下ろす。
「ちょっと待って。その道具は何? 初めて見るけど」
「……? ああ、これね。これはおろし金といって、魔法で作ったんだ」
そうか、おろし金は一般的じゃなかったのか。雑貨屋に買いに行くのが面倒だから、つい、「クリエイト」の魔法で作ってしまっていた。
リブの反応からすると、雑貨屋に売ってなさそうだね。
「私にも作って欲しい。金貨一枚でどう?」
この世界の金銭には、小銅貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨……があり、それぞれ価値が十倍になっていく。銀貨が前世における千円ぐらいの価値だから、金貨一枚は一万円ぐらいということになる。
俺、雑貨屋始めたら儲かるかも?
いやいや、おろし金で儲けてもしょうがないじゃん。ショウガはおろせるんだけどさ。
魔法で作ったからタダでもいいんだけど、「アイディア料」という考えを無下にしたくない。この世界にない物ということで、三千円ぐらい、つまり、銀貨三枚くらいが妥当かな。
手拭いで手を拭ってから、魔法でおろし金を作成し、リブに渡す。
「銀貨三枚でいいよ」
「本当に? ありがとう」
三枚の銀貨を受け取り魔法収納に仕舞う。手を洗って料理再開だ。
摩りおろしたショウガエキスに醤油を混ぜ、そこに豚肉を浸して下味をつける。
「下味がつくまで時間がかかるから、柔らかなパンについて話すね」
「はい、よろしく頼むわ」
魔法収納から、焼きたてのパンを取り出してリブに渡す。まだ熱が感じられるパンだ。
魔法収納の中は時間が止まっているようで、いつまでも温かいままだ。また、汁物を容器ごと入れてもこぼれたりしない。とても便利な魔法だ。
「うん、これこれ。柔らかーい」
リブはパッと満面の笑みを見せる。
「柔らかなパンは、焼く前の生地に特別な酵母を混ぜてから発酵させる必要があるんだ」
「酵母? 発酵??」
棚に置いてある壺を持ってきて、中身をリブに見せる。
「これが酵母。酵母を作るのには五日ぐらい掛かるから、これの作り方は、また今度で。今日は完成した酵母を使ってパン生地を作って焼く所までかな」
「わかったわ」
「それと、生地に酵母を混ぜた後で温度を一定に保つ必要があるから、これも使うかな」
棚に置いてある温度計をリブに渡す。
「これは温度計といって、温度を測る物。温度が高くなると液柱が上がり、逆に温度が低くなると、液柱が下がるんだ。それで、液柱が、ここにつけてある印の高さの位置を保つようにすれば、目的の温度に保つことができるんだ」
リブは難しそうな顔で温度計を見ている。
「少しの間、その丸い液溜まりの部分を指で押さえてもらえる?」
液溜まりを手で触れることで、温度計の液柱が徐々に上がりだす。しばらくして、液柱の上昇は止まった。
「液柱が印の近くで止まって、上がらなくなったわ」
「うん、そうだね。その温度が、生地を発酵させるのに適した温度。ちょうど体温ぐらいなんだ」
ボールにパン用の小麦粉――恐らく、前世では強力粉と呼んでいる物――を入れ、そこに牛乳と酵母を入れて混ぜ合わせる。さらに並行して、お湯を沸かしておく。
生地に粉気がなくなったら、台に取り出して捏ねる。
大きめのボールに湯を入れ、温度計を使って印の温度よりやや高めになるよう、湯温を調整する。
そして、捏ねて丸くした生地を小さめのボールに入れ、湯の張ってある大きめのボールに浮かべる。
「温度計を大きめのボールに入れて、印のつけた温度に保つよう湯温を微調整しつつ、一時間ぐらい置いておくんだ」
「湯を足していくのね」
「基本、そうなるね。まずはここまでを、やってみてよ」
リブのパン生地作りが始まった。
リブはきちんと手順を理解し、自分の物にして行く――
しばらくパンにつきっ切りになっていて忘れていたけど、豚肉のショウガ焼きを再開する。あとは焼くだけだし。
豚肉のショウガ焼きが完成し、フライパンを片づけたりしてるうちにパンが焼きあがった。
アツアツのパンをオーブンのような魔道具から取り出してテーブルに載せ、続けて豚肉のショウガ焼きを小皿に取り分ける。
そこへ、鼻をクンクンさせながら、匂いにつられてナナミがやってきた。
「おいしそうな匂い……。あ、リブ姉来てたんだ」
にっこりと笑顔を返すリブ。
パンを切り分け、リブとナナミに渡す。豚のショウガ焼きは既にテーブルに並んでいる。
「よし、じゃあ、食べようか!」
「今日も食事ができることに感謝して、いただきます」
前世より少し長い食事前の挨拶は、この国の、あるいはこの世界の仕来りらしい。
リブは、美貌が台無しになるくらいにがっついて食べている。
ナナミは食べ慣れているからいつも通りだ。
★ ★ ★
この後、不定期にリブがやってきて、リブは結局、以下のレシピをマスターした。
・柔らかなパン、パン酵母
・豚のショウガ焼き
・豚とナスの醤油炒め
・サトイモの肉巻き
・サトイモの醤油煮
・醤油とショウガで味付けした鶏の唐揚げ
これだけのメニューが追加されただけで、リブとミリィの宿屋「くつろぎ亭」は国中の評判となり、訪れる客が大幅に増えた。
味噌を使った料理は、いずれ教えるけど、今はまだ教えない。なぜなら、味噌はまだそれほど多く作っていないからだ。
忙しい中、リブがわざわざ俺に会いに来て、もの凄く感謝していた。
「パンダ君、本当にありがとう。おかげさまで、くつろぎ亭は国で一番料理の美味しい宿屋だって言ってくれるお客様が、何人も訪れるようになったわ」
「ひとえに、一生懸命に作っているリブの努力が実を結んだ結果だよ」
客受けするよう、料理を若干アレンジしているようだしね。
リブは少し照れるように微笑む。
「それで、一つお願いがあるの」
「えっと、何かな?」と、冷静に答えている振りをしているけど、内心、お姉様の微笑みからの上目遣いにコロッといっちゃったのは内緒だ。
「こんなにおいしい料理を、多くの人に味わってもらわないなんて、もったいないでしょ?」
「そ、そうだね……」
「パンダ君、お願い! くつろぎ亭を建て増して! あなたにしかできないの。大工さんに頼んでも数か月かかっちゃうって言われたわ。それじゃあ、せっかく来てくださった、たくさんのお客様をお断りしないといけなくなるの」
こういう経緯があって、くつろぎ亭を増築することになった。
先日、醤油を増産できるように、俺の家を「クリエイト」の魔法で増築した。
最初、「クリエイト」は、俺の魔法容量の関係で盾などの小物しか生成できなかった。それでも、連日の魔法の練習の成果で俺の魔法容量は大幅に増え、家くらいの大きさの物も生成できるようになった。
一日にして増築した俺の家のことは、近所のリブの耳にも入り、こうして宿屋の増築を請け負うことになったのだ。
ただ、「クリエイト」は土属性の魔法だからかどうか分からないけど、木製の扉や家具などは生成できない。だから、そういう部分は木工職人に頼んでもらう。
「さて。増築の手始めは、料理目当ての客を多く収容できるようにするのがいいのかな」
最初に手を付けたのは、テラスの新設だ。
まずは食事だけの客を捌けるようにし、木製のパーツがたくさん必要になる宿部分は徐々に増築を進める。
木造建造物に対して、石やコンクリートによる増築を行うので、いろいろとデザインに気を遣う。
長女のモモセス、二女リブ、それとおやじさんの三人と相談し、小さなモデルによる試作を繰り返して、最終的に宿屋部分は磨いて光沢のある茶色っぽい大理石で作ることにした。テラス部分はコンクリートっぽい感じだ。
「村長。村の北の出口からくつろぎ亭に至るまでの道を、石畳にしてもいいよね? 工事は俺が全部やるし、費用はかからないよ」
「最近は王都から馬車でヤムダ村を訪れる者が増えた。ゆえに、いずれ道は整備せねばならないと思っておったところだ。パンダ君。村の中に留まらず、出口から先も、少々、工事をしてもらえないか?」
そして、村長も交えて検討した結果、王都方面からくつろぎ亭へ至る道を石畳にすることにした。
今までは土の道だったから、馬車の客とか大変だっただろうし、また、テラスが土で汚れるのも防げる。
土の道を石畳の道へと改修するのも魔法の出番だ。荒野を俺の畑へと変えた「ランド・コントロール」、土属性のレベル15の魔法だ。
道の改修は宿部分と並行して進めて行く。増大した今の魔法容量であっても、まだ、一気にできるほどの余裕はない。細部にこだわると、余計にマナを消費するみたいだし。
「今日は大工さんが入って、厨房の改築かあ」
木造の、従来からある宿屋部分には大工が入り、調理場の拡張工事が進められている。こちらには俺は関与しない。
俺の増築担当部分も含め、宿屋の増築が完成したら、多くの客を見込めそうだ。
★ ★ ★
醤油を使った料理の開発も一段落し、最近は、お菓子の作成に勤しんでいる。
これまで、俺はこの村での生活において、甘味のなさにがっかりしていた。
前世で実際にお菓子を作ったことはなかったけど、姉が作るのを見ていたことがあり、それを真似る形から始めた。
「さてと。今日は思う存分お菓子作りに挑戦だ」
今日は両親が王都トトサンテへ野菜を卸しに行っているので不在だ。
俺の畑で栽培している野菜のほとんどは、くつろぎ亭に納められているけれど、両親の育てた野菜の多くは、従来通りトトサンテに持って行くことになっている。
両親がいないから、今日は調理の道具が使いたい放題だ。
これまで空いている時間に借りていくつか挑戦してはいたんだけど、気兼ねなくキッチンを長時間使える今日という日を待っていた。
元々、オーブンのような魔道具は家にあったから良かったけど、冷蔵庫のような魔道具はなかった。だから、くつろぎ亭の調理場にそれらしき物を見かけたときに、両親に頼んで買ってもらった。
代金は、くつろぎ亭から改築作業代としてたくさんの金貨が両親に支払われているから、大丈夫だったと思う。
ついでに砂糖も買ってもらった。この世界では砂糖は結構高級品で、壺一個分で金貨一枚だ。日本の価格に換算すると、砂糖約一キログラムで一万円程度ということになる。
「お菓子といえば、やっぱり焼き菓子だよね。小麦粉があるし、作れそうな物を再現してみよう」
マドレーヌっぽいお菓子を作ってみることにした。
材料は……砂糖、卵、はちみつ、小麦粉、パン酵母、バター、みかんっぽい果物の果汁。
パン酵母はベーキングパウダーの代わり。
バターはなかったので、「クリエイト」の魔法で回転台――遠心分離器を作って牛乳から自作した物。バターの製造過程をテレビで見たことがあってよかった。それがないと想像すらできなかったかもしれない。
実は、お菓子よりもバターの試作にかけた日数の方が多かったりする。
みかんっぽい果物の果汁は、香りづけに使う。バニラエッセンスがないからね。
「ナナミ。試作品だけど、食べてみる?」
「うん!」
魔道具で焼いたマドレーヌっぽいお菓子は、匂いにつられてキッチンまでやってきたナナミに振る舞うことになった。
ナナミに一個、手渡す。
「もぐもぐ。え、何これ。すっごくおいしーよ。お兄ちゃん、もっと頂戴!」
お菓子の載った皿を差し出すと、はちみつや果物以外で甘い物を滅多に食べることのないナナミは、食べだした手が止まらなくなった。
そして、マドレーヌっぽいお菓子は、すぐになくなった……。
「お兄ちゃん、めっちゃおいしかったよ。それで、これは何て言う食べ物?」
「うーんとね……、マドレーヌって言うお菓子だよ」
マドレーヌの神様、ごめんなさい。この世界でマドレーヌと呼ばれる物を勝手に決めてしまって。
「マドレーヌ! マドレーヌ! また作ってね!」
これを機に、妹の喜ぶ顔を糧として、今後、いろいろなお菓子作りに挑戦することになる――
料理の話が続きましたが、この物語は基本、冒険譚です。
料理は冒険に花を添えるような位置づけです。