145 鬼人族の次元~前編
勇者の館で一晩過ごした俺たちは、再び魔王城へとやってきた。
「おはよう、魔王」
「今朝のカレンちゃんの毛並みは最高だったわ」
「私のモフリンちゃんも負けてませんよ!」
「わ、吾輩もモフモフなのである!」
「お主ら、朝から元気じゃのぅ……。まあよいのじゃ。それでは鬼人族との戦い方について、助言をするかの」
「助言なんて言っても、全部倒せばいいだけでしょ?」
魔王は玉座に座ったまま腕を組み、足をパタパタ揺らす。
「確かに、現れた個体を倒し続ければ、いずれはその数も減る事じゃろう。でもじゃ。元を断たなければ、エンドレスなのじゃ。倒しても倒しても、鬼人族が現れ続けるのじゃ」
「元を断つ?」
俺は首を傾げる。
鬼人族の元となる物は、人々の発する畏怖怨念。それを断つということは、人々をどうにかするってことになるのでは?
「パンダ。お主、今、深読みしおったの? そんな顔をしておるのじゃ。恐らくお主が考えたように、鬼人族の糧となる負の念を発する人々を改心させられれば、それはそれで良いことなのじゃが、それはすぐには無理な話じゃ」
魔王は玉座から乗り出すように前かがみになる。
「じゃから、お主らにやってもらうことは、大元を断つのではなく、元を断つことなのじゃ」
「それで、元を断つって、どうすればいいわけ?」
魔王は姿勢を戻し、一度、次元転送の魔法陣のある部屋をちらりと見てから、話しだす。
「鬼人族の次元に行き、そこで鬼人族のボス、恐呪怨鬼を倒すのじゃ」
「わかったわ。鬼人族のボスを倒しに行きましょう」
「また次元転送の魔法陣を使うんですかー? あれは疲れるんですよー」
「いいや。あれは使わぬ。さっき確かに使おうかと思ったがの、でもな、あれを使うと、逆にそこから鬼人族が入り込んでくるやもしれぬのじゃ。それで考え直して、他の方法を思いついたのじゃ」
魔王は玉座の肘掛けについているボタンを押す。
すると、空間に、俺たちが戦っている場面が映し出される。
「この映像は……。ルーズィヒ要塞を攻略したときの戦闘!」
「ガルデフォトスは覗き見、大好きなのダ~」
「パンダの活躍を見逃してはいけないからの……、って何を言わせるのじゃ、この阿呆竜め!」
頬を染め、口を尖らせてバルシエーザに苦言を呈する魔王。
「話が逸れたのじゃ。この戦いで、お主らは白い半球状の物体を手に入れたはずなのじゃ」
両手で空中に円を描く魔王。
白い半球状の物体……。
魔法収納に入れたまま、使う用途もなく肥やしになっている物体だ。
「ああ、あれ。鬼人化兵に命令を出せるってやつのことかな。確か、統鬼魔片って名前だったかな。魔法収納にあるよ」
「お主らは、その統鬼魔片を二個持っておるはずじゃ」
ルーズィヒ要塞攻略のときに一個。
それと……。あ、ジークゴルトと戦ったときに屋敷から失敬してきたのが一個。
それぞれを魔法収納から出して両手の平にのせる。
「統鬼魔片はじゃな、もともと鬼人族の次元にあった物でな、先史文明時代に逢魔の霧に迷い込んだ者が偶然そこから持ち帰った物なのじゃ。そして、研究の結果、統鬼魔片を使うと逢魔の霧を発生できること、二個合わせると、次元を移動できることが判明したのじゃ。ただし、後者は実証なしの机上の空論なのじゃがな」
「二個合わせるって、ジークゴルトの屋敷で、一度合わせてみたような気がするんだけど……」
あのときは、偶然シャルローゼがみつけて、既に持っていた物にそっくりだったから、そんなこと考えずに合わせてみたんだ。
「危ない所だったのじゃ。ただ合わせるだけでは発動しないから命拾いしたのぅ。ほれ、統鬼魔片をよく見てみよ。薄い筋が一本あるじゃろ?」
半球状の統鬼魔片。
よく見ると、その頂上を通過するように、薄い一本の線がある。
「それが合うように、二つを合わせるのじゃ」
「わかったわ。統鬼魔片を使って、鬼人族の次元に行けってことね。行きましょう」
「まあ、そう慌てるな」
踵を返そうとしたレイナを、慌てて呼び止める。
「まずは、合わせる前の統鬼魔片を使って、逢魔の霧を発生させ、その中で二つを合わせるのじゃ。そうすれば、鬼人族の次元へと入ることができるじゃろう」
「ちょっと待って。逢魔の霧を発生させるってことは、そこに鬼人族を呼び出すようなものだよね? 周囲の町や村に被害が及ぶよ」
「それなら、ここ魔大陸で使えばいいでしょ。ここに住んでるの魔王だけなんだし。楽勝じゃない」
ミーナクランの言葉に、魔王の顔が引きつる。
「ミーナクランは鬼なのじゃ。妾一人で、鬼人族を退治しろと言うのじゃな。妾に迷惑のかかる魔大陸よりも、もっと適した場所を知っておるだろうに」
「もっと適した場所? ……パンダタウンの南に広がる荒野のことかな?」
今、パンダタウンには鬼人族と戦うために多くの冒険者が詰めている。少し彼らの負担が増えることになるけど、鬼人族を野放しにはできないから、彼らの力を借りる。
「そこじゃ、そこ。そこで統鬼魔片を使うと良いのじゃ」と言ってから、魔王は「ふー」と息を吐き、「パンダは物分かりが良くて助かるのじゃ」と続けた。
「それなら、パンダタウンに戻りましょ」
「うん。それじゃあ、魔王。鬼人族のボスを倒しに行くよ」
「簡単なことのように言うのじゃな。ま、邪神と比べれば、簡単かもしれぬが、油断は禁物なのじゃ。気をつけて行ってこいなのじゃ」
俺たちはパンダタウンへと転移した。
町の中を通り、中央広場に差し掛かる。
ここまで、鬼人族に入り込まれた形跡はない。冒険者たちはよく町を守ってくれている。
『真の勇者よ。宇宙の意思が消滅しました。あなたたちが宇宙の意思を退けたのですね』
「うん。邪神は俺たちで倒したよ」
『そうですか。これで人類の滅亡の危機はなくなりました。しかしながら、今、この町では人々の喜び、正なる念が大幅に減少しています。このままでは、この町への邪悪なる者の侵攻を防ぎ続けることは難しいでしょう』
今、パンダタウンは鬼人族に囲まれていて、それを退治しにやってくる冒険者以外では、旅人はほとんど来ていない。また、町に住む住民も家の中に閉じこもり、不安におびえている。
その結果、人々の笑みを生み出しているナナミの店や遊園地などへの客が大幅に減り、正なる念が減少している。
「その邪悪なる者のボスを、今から倒しに行くよ」
「私たちが鬼人族のボスを倒す。だから、パンダタウンは、きっと元の平和な町に戻るわ」
『真の勇者よ。再びここを人々の喜びが 溢れる町にしてください。真の勇者に祝福を』
世界樹の葉が一斉に輝き、光の粒子が俺たちに降り注ぐ。
「ありがとう。みんな、行きましょう」
中央広場から南へと向かう。
閑散とした遊園地の隣を通り、南門から町の外に出る。
「うわあ、いっぱいいますね」
「鬼人族の数は多いようだけど、冒険者たちが押しているみたいだ。ここは彼らに任せて、僕たちは早く南へと進もう」
周囲には黒い人影が無数にうごめいていて、それを冒険者たちがミスリルの武器で倒している。
城壁の上からもミスリルの矢が降り注ぎ、町への鬼人族の接近を防いでいる。
弓兵は連射で倒し、クロスボウを持つ者はその威力により、一撃で倒しているように見える。
冒険者のあげる怒声の中に、「ギシャア」とか「コロ……ス」などの、鬼人族の声が紛れて聞えてくる。
俺たちは、逢魔の霧を発生させてもパンダタウンの中に直接影響が出ないよう、ある程度遠くまで南下しないといけない。
「メガ・ファイア! ちまちまと、めんどくさいわね! 一気にやっちゃえばいいじゃない」
「今は混戦状態で、味方を識別できるような状態じゃないから、範囲魔法は駄目だよ」
個別に魔法で蹴散らして行くミーナクラン。
俺たちは前方の視界に入る鬼人族を一体ずつ倒しながら、南へと進む。
本当は広範囲魔法でドカーンとやりたい所だけど、この辺りは敵味方が入り乱れていて味方を識別しきれないので、遠慮している。
パンダタウンの南には、農業と畜産をメインとした第二の町、パンダファームがあり、それを守るため、こちら側に多くの冒険者が配置されているみたいだ。
「おーい! エル兄!」
何体も鬼人族を消し去りながら進む。
すると、西の方から獣人部隊を引き連れてワックスがやってきた。ポップも一緒だ。
「やあ。ワックもパンダタウンを守ってくれているのかい? 助かるよ」
「獣都フデンの父ちゃんの所に、パンダタウンから緊急の応援要請が入ったんだ。俺たちがエル兄の町を守らなくて、誰が守るって言うんだ!」
「ありがとう、ワック。僕たちはこれから南に進んで、鬼人族のボスを倒してくる。その際、南の方で逢魔の霧が発生するから、近づかないようにしてくれないか。不用意に近づくと、どこか遠くへ飛ばされてしまう」
「ニャニャ? 鬼人族にボスがいるのニャ? 強い奴がいるのニャ?」
「ポップ姉、駄目だよ。俺たち、ここを守るって言ったばかりじゃないか」
ワックスは両手を広げ、目を光らせて逸るポップを落ち着かせる。
ポップはワックスから姉として扱われているけど、精神年齢はポップのほうが下に感じられる。
「ニャー……。そうなのニャ! 空を飛んでいた不気味な魔物を倒したのはエル兄たちなのかニャ?」
耳をペタンとして俯いたかと思えば、すぐに耳をピンと立て、目を輝かせて話しだした。
「ああ、あの黒い上半身のやつだよな! あれ、ジドニア獣国の方にも接近して来たんだぜ。でも、俺たち、とても攻撃を仕掛けられる状態にはなれなかったんだ……」
ポップとは対照的に、ワックスの耳がペタンとなる。
「ワックたちが目撃した、その黒い上半身の魔物は、世界の敵、邪神さ。邪神は、僕たちが昨日倒したから、もう大丈夫だ」
「す、凄いのニャ! あの不気味な魔物を倒せるなんて、凄すぎるのニャ!」
「エル兄は、勇者なんだぜ。俺たちとは違うさ。だからポップ姉も、おとなしくここを守るんだ」
「それもそうなのニャ。鬼人族のボスも強すぎる魔物かもしれないのニャ。それは御免なのニャ~」
「それじゃあ、この辺りは任せたよ、ワック」
ワックスたちと別れ、俺たちは南下を再開した。
「あの冒険者、怪我をしているわ」
鬼人族を倒しながら進んで行くと、その先には、苦しそうに座って屈んでいる者を囲って庇いながら戦う冒険者の姿があった。
「ファイア!」
俺が、魔法で周囲の鬼人族を吹き飛ばす。
「私が呪いを解きます。解呪!」
人に憑依していない状態の鬼人族から、まともに攻撃を喰らうと、呪いが掛かる。
それを解かないと、回復魔法で傷を治すことができない。
シャルローゼが冒険者の呪いを解き、続けてミリィが回復魔法をかける。
「ありがとう。仲間がもうダメかと思ってました……って、勇者様!? 俺、勇者様に会えて光栄です!」
「気をつけて。パンダタウンの守りは、あなたたち冒険者に任せるわ」
俺が小さかった頃に伝説の勇者に憧れたように、冒険者たちにとって、俺たち現代の勇者は憧れの的だ。
「急ごう。呪いを受ける者がこれ以上増える前に、なんとしても鬼人族のボスを倒すんだ!」
俺たちには呪いを解いて回る余裕はない。エルバートが言うように、前進あるのみだ。
俺たちは進み続けた。
パンダタウンの城壁からの距離が三百メートルぐらいの位置まで進むと、鬼人族の姿がまばらになり、パンダファームの手前に到達する頃には、鬼人族の姿が見られなくなった。
「ここに現れている鬼人族は、本当に世界樹だけを狙っているみたいだね」
「パンダファームが、鬼人族に囲まれていなくって良かったわ」
エアカーから降り、魔法で飛んでパンダファームの上を越える。
そして再びエアカーに乗って、さらに南下する。見渡す限りの荒野だ。
二十分ぐらい進んだ所で、エアカーから降りた。
「これだけ離れれば、逢魔の霧がパンダタウンやパンダファームを包み込むことはないと思う。ここで統鬼魔片を使おう」
魔法収納から取り出した半球状の白い石。
逢魔の霧を発するように念じると、統鬼魔片から白い霧が噴き出し、あっという間に辺り一帯が真っ白になる。
「逢魔の霧……。皆様との出会いを思い出します。逢魔の霧がなければ、私とセレスは、あの時あの場所で皆様と出会うことはなかったでしょう」
それに、出会っていなければ、呪いが掛けられたユーゼが助からなかったかもしれない。
「今から会いに行くのは、鬼人族のボスだ。気力を奮い立たせて行こう!」
真っ白の視界の中で、俺は統鬼魔片を、もう片手に持つ物と合わせて一つの球体にする。
それから、互いの模様が合う位置まで回す。
「眩しい!」
統鬼魔片が光を放ち、気がついたときには、俺たちは元の世界とは異なる次元に立っていた。
天地が逆さまになって、赤黒く血塗られたような世界。
どんよりとした空気が漂い、ぬるく感じたり、寒気を催したりする。
俺たちは地面のない空を歩いて行く。
上空には血が滴り落ちるような、逆さまの町の姿がある。
それは、元の世界のどこかの町ではなく、世界中のいろいろな町をごちゃまぜにしたような、無秩序な集合体。
「アア、アイヅガ、ニグイ……」
「……ジネ……」
「ウラメジイ……」
そこかしこから、鬼人族の声が聞えてくる。
「気持ち悪いわ」
「同感だ。早くボスを仕留めて帰還しよう。ここに長居はできそうにない」
頭上でうごめいていた赤黒い雫が、俺たちの前に滴り落ち、黒い煙が巻き起こって大きな黒い人影となる。
「これが鬼人族のボス!?」




