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第一話


 フェイウォン歴 一五七二年 冬

 四季の美しいこの国は、これから本格的にやってくる雪に備えて、ひっそりと、だが確実に冬越えの支度を整えていた。背後に聳える山が、海から冬の風を運んでくる。北西の森に住まうローディナイト一族の守護があるが、それは気候を操ったり災害から守ってくれるようなものではない。必要な物は、自分たちで備えなければならない。この国を治めるリディア女王は、部下からの報告書に目を通し、今年の準備も間に合いそうだと、多忙な中で胸を撫で下ろした。

 そんな時だった。執務室の扉を叩く音がしたのは。


「誰だ」


 リディア女王は直接扉に声を投げる。今までならあり得なかったことだが、この若い女王は何人もの人を介すよりこの方が早いだろうと人員を間引きした。もちろん、間引きした者たちは他の適所で勤務を続けている。


「女王陛下、ルイ様がいらっしゃっております」


 ルイ、とは、城に雇っている魔法使いのことだ。北西の森、ローディナイトに住まう一族でもある。

リディアは「わかった」と頷いて従者に目配せし、下がらせた。魔法使いと話す時はいつもこれである。

 従者と入れ違いに、痩身の魔法使いが入ってきた。リディアは椅子から立ち上がり、続きの間にある簡易的な応接間へ向かった。上座も下座もない、絨毯とクッションと円卓があるだけだが、この魔法使いや親しい者、例えば弟とかと話をするときはいつもここを使う。重厚な執務室の雰囲気とは少し変わるようにと、明るい織を使ったクッションを置いていったのは紛れもなくその弟だ。


「今日はどうした?報告にはまだ早いだろう」


 振り返って、青年の魔法使いが着いてきているか確認すると、存外近くにいて少し驚いた。そういえば、部屋に入ってからまだ一言も発していない。いつもなら、「陛下、本日はお日柄も良く」だのなんだの、いらんと切り捨てる口上を述べてくるはずなのだが。


「ルイ?どうした」

「陛、下」


 やっと絞りだされた声は掠れていて、リディアは眉根を寄せた。そのまま力なく絨毯に膝を付けるルイに、リディアも膝を折って目線を合わせる。彼の伸びた前髪から覗く目は腫れていて、目の下には濃い隈が出来ていた。この魔法使いは研究に没頭しがちだが、こんな酷い顔は初めてだ。


「天秤、の、支柱が、選ばれました」


 ひゅっ、と、喉が鳴った。


 支柱。

 魔法使いから聞くその意味を知るのは、代々の王たちと、自分、そして、ローディナイト一族だけだ。


(まさか、自分の代で……)


 この言葉を、聞かずに終えた王も多い中、何故自分の代で。

 覚悟はしていたはずだが、その重みと事実に、リディアは一度深く瞬きをした。


「……わかった。それで、何なんだ」


 そこが、最たる重要事項だ。

 嫌な予感がする。

 普段は冷静に輪をかけたようなこの魔法使いが、こんなに取り乱しているということは。

 思わず俯いたままのルイの細い肩を掴んだ。いやいやと子供のように首を振るルイに、なんとか教えてもらわねばならない。


「教えてくれ。頼む。私はこの国の王として、然るべき対処をしなければならない」


 出来るだけ声色を落ち着かせると、ルイが一度深呼吸をしたのが分かった。

 思い切り泣いた後のようなぐしゃぐしゃな顔を、かろうじて持ち上げて、ルイは震える唇をなんとか動かした。


「……っ、御、弟君、が」


 弟、が。

 おとうと、が?


 数秒で理解はしたが、体から力が抜けてしまった。膝を着いていてよかったなどと見当違いなことを思いながら、リディアは必死に脳内を動かした。どうしたら弟が助かるのか、そればかりを。一国の主として、それはならぬと分かっていても。


「我が弟を、差し出せと言うのか、お前たちは」


 ぽつりと出た言葉に、返事は返ってこなかった。

 目の前が、真っ暗になりそうだった。

 窓の外では、しんしんと、本格的なフェイウォンの雪が降り始めていた。





 ローディナイト第二歴 一〇八二年 冬


 薄暗い森の中、木々が切られて出来た空間があった。風も無い。ぱちりぱちりと焚火が爆ぜる音だけが響く。


「すべては、すべての均衡を保つため。そのためなら僕らは手段を厭わない、か」


 落ち着いた男の声が、炎の揺れと共に散る。

 焚火の傍に座っていた男は、その場でごろりと体を横たえた。仰向けになれば、丸く開けた枝葉の窓から、きらきらと輝く夜空が降り落ちてくる。そのあまりの美しさに、自身の考えていることとの差を思うと溜息がこぼれた。


「族長もさぁ、もうちょいソフトに出来れば良かったんだけどねぇ。でもさー、あれでも私頑張ったんだよ?」


 誰に言うわけでもなく一人ごちる。さっきまで静観していた枝葉が揺れて、まるで返答されているような気持ちになる。


「ルイ君怒るかなぁ……いや泣かれそう。うわ嫌だなそれ。ジルは……知ったら怒るかなぁ」


 はあ、とまた溜息が響く。


「怒って、くれるかな」


 それならまだ、救われる気がした。

 男の決断と背負う理は、救いさえ求めることが出来ないほどに、男の感覚を麻痺させていた。





 フェイウォン歴 一五七二年 冬


 弟を、差し出せ。

 ローディナイト一族の守護は、何も無償のものではない。

 天秤の、支柱。

 表現のされ方は様々だ。露骨に生贄と言われていた過去もある。ただ、指名された歴史はあまりない。人の命と引き換えの時は重罪人をあてがった記録もある。鉱石や貴金属の場合もあれば、魔族の目玉を要求されたこともあったと聞いている。それなのに、何故今回は弟を指名したのか。


「五日後、迎えが、きます」


 意識を引き戻したのは、目の前で憔悴するルイの声だった。


「……死ぬのか。あいつは」


 返事の代わりに、ルイの体がびくりと震えた。それは肯定しているようなものだった。

 リディアの弟は第一王子にして王位継承権を持つ青年だ。人の上に立つには穏やかな性格ではあるが、溌剌としており、健康にも恵まれ、剣の腕も立つ。自慢の弟で、将来自分の片腕になると考えていたし、本人もそのつもりだっただろう。最近は隣国の姫と見合いの話も出ているところだった。

 見目も整っており、金髪に碧眼という派手な出で立ちではあるが、物腰が柔らかく人当りも良いため人望も厚い。

 どこに出しても恥ずかしくない、自慢の弟だ。

 それなのに。


 リディアは立ち上がって、執務室の机から小さな銀製のベルを取り出した。ちりん、と一つ音を鳴らすと、元あったところへ仕舞い込む。その音に、ルイは耳をそばだてた。なぜならそれは、弟にすぐ連絡をつけられるようにと、女王からの依頼でルイが魔法をかけたベルだったから。今頃きっと、第一王子の部屋で、同じ音が響いている。リディアが自嘲の笑みを浮かべるのを見て、ルイはその瞳に絶望の色を滲ませた。


 ほどなくして、執務室への扉が開かれる。リディアはいつものように、悠然と椅子に腰かけていた。扉から姿を見せたのは、弟であり第一王子の、一人の青年だ。透き通るような金の髪、双眸は碧色に輝き、乱れのない肌は本当に男なのかと首を傾げたくなる。自身もそこそこの美貌を自負しているリディアだが、それでもこの弟には、たまに恐れを抱く程の美しさがある。藍色で仕立てられた服は装飾の少ない質素な作りだが、それさえも彼の美しさを引き立てるようだった。


「お前は本当に綺麗だな」

「姉さんの、この国への志には敵わないよ」


 それでいて、声は案外柔らかいのだ。

 コツ、コツ、と、控えめな足音と共に入室した弟と、執務机を挟んで対峙する。

 リディアは口元に不敵とも取れる笑みを浮かべながら、ゆっくりと足を組み直した。


「さて、早速だが。フェイウォン国第一王子、リン・レツィルド・フェイウォン」


 良く通る声で名を呼べば、弟は自然と居住まいを正した。引き締まった碧の瞳に、リディアは姉ではなく、女王としての視線を向ける。


「この国のため、死んでもらうぞ」



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