暗夜
寒く冷たい凍え死んだ一間に貯まった空気の中で祐介は眼が醒めた。醒めただけで身体を起こそうとはせず、天井に広がる網目を一つ二つと数え虚ろな眼を微妙に動かした。右手を掲げ、視点を深い彫りが刻まれた手に移す。なにがそうさせたのか、祐介は自問の言葉を音もなく吐き出すと、手を下げ状態を横向きにずらして同じ布団の中に居る者を視野に捉えた。
宗司は瞼の蓋をしっかりと閉じ意識は部屋の暗澹に深く沈んでいた。 しかし、祐介には意識も通わずに眠る息子が起きていて瞼はしっかり閉じながらも自分を見ているのではないかと思っている。
宗司、と念じながら暗闇の中で色彩の死んだ頬に触れる。
祐介は触れながら眼に蓋を落とし、光のなかで照らされる白く美しい彼の肌を思い浮かべ、こんなに美しいモノがこの世にあるのか、さも光に照らされる宗司が眼前に居るかのように呟くと再び蓋を開けた。 闇の中で死んだ色の頬をした宗司の姿が広がり一瞬の戸惑いと嫌悪が迸り頬に触れる手が水をかけられたようにさっと引いた。
引いた手をもう片方の手で撫でながら、祐介はじっと息子を見つめ続け想像の中で生きていた彼の色と光一つ奪われただけで変わり果てた彼の色を比較して、光の中で生きる自分もまたそれ一つ奪われただけで宗司と同じ死んだ色に成り変っているのだろうな、と思い至り闇の中での自分を想像した。色彩はなく、刻まれた皺に闇が入り込みさらに深い印象を与え、たぶんそこをずっと見つめ続けている吸い込まれていきそうだ。自嘲の笑みがこぼれ、なんて愚かで醜いのだろうこれでは宗司になにも言えはしない、すまなかったな、と詫びを入れ、再び頬に触れ指先をゆったりと滑らせた。くすぐったいとでも言うように宗司の顔から笑みが浮かんだ。
ふと、宗司の笑みを見ると妻の顔が望洋とした彼方から現出した。
やはり親子だな。柔和な目尻の線、水気を吸った唇……俺に似たところはない。子であり、他人。俺の血は通っているのか?
ふと思い始まった自問と懐疑の波は祐介の中で灰色の蛇となり蠢く。さっきまでの温かな愛ある眼差しは白眼視となり、蛇は脳を食す。
誰のなのだお前は、お前は、本当に俺の子なのか?眼を開けろ、そして言え語れ真実を、言ってくれ頼むから。
声にならない叫びを自らの中で絶叫し蛇はそれらをも食し、肥大した。祐介は宗司の姿をも見るのが耐えがたくなり瞼を閉じると、瞼の裏に様々な自分の疑念を孕んだ蛇が一匹彼を見ていた。
『俺は、あんただよ。あんたも俺だよ。こんな俺を見て、なんだお前は、って敵対心と嫌悪感さらしてるけど、あんたがいま疑りの念を持っている野郎より俺はあんたに近い。いや、それよりもあんたそのもんだよ。あんたは真実を求めてるけど、そんなもんを知ったからといって、それを真実と信じるかなんてあんたの領分だ。これを、信じるとあんた自身が信じたもんが真実なんだよ。だから、選びな真実を』
「うるさい」
『選択肢は2つ、ガキは自分の血の繋がった子だ俺の子だって宣言するか、それかガキは俺の子じゃねぇ、違うんだ、だったらお前は誰だって永遠に苦悩し続けるかのどっちがだ』
「だまれ」
『だまれとは、ナンセンスな野郎だな。あんた、じぶ』
「だまれと言っているのがわからんのか!」
祐介は怒号を張り上げた。宗司は驚いて、眼を開け父を見た。顔には顕著に怒りが示されいつもとは違う父を見た気がした。
「お父さん?」
宗司の怪訝な声がする。息子の愛しい、子の声だ。けれども、自分とはまったく似ていない、確証一つとしてない子…子……子?
「お前は誰だ?」
宗司が言葉を発する前に祐介は身体を起こし、宗司の身体に跨がった。怒りがそのまま牙となり、宗司の首筋に手を当てられる。 力を込めて、ただ怒りのままにこの暴力を解放した。
柔らかい首筋に指が食い込み肉の感触に祐介はどこか冷めた意識の中で違和感を感じた。しかし、その違和感も判然とはせず、そのままにしておいた。
一秒一秒とこの子の命を削ぎ落としていく感じ、あぁこれが死、殺すということか?
「おとう…さん、おとぅ」
宗司のかぼそい声は父の耳には届かない。父の意識は息子の前にはなく、この明け白む部屋の中の黒と同一化し、そこにありながら部屋の中に浮遊しているだけ。
終わった達成感に似た感じがあり、カーテンを開けると空は青みを帯びていた。
祐介は振り返り宗司の姿を見つめた。死体となった息子になにか言葉を贈りたかったが、良い言葉が思い浮かんでこない。なにか言おう、なにか言おう、と思えば思うほど浮かんでくる気配がなかったが、ふと一つの言葉が浮かび思ったままに吐き出すことにした。
「宗司、きれいだ」