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流星を見た日

 

 血みどろの戦いが半年続いた頃、敵は国境沿いの侵攻には最短距離であるこの街から、別の都市へと主力を差し向けたようだった。


 それでも戦いは続いた。

 幾百幾千の味方が死に、幾万の敵を殺した頃、彼は血に酔い初め、いつしか少女の事を思い出さなくなった。




 しばらくして補給が途絶えた。

 どうやら街は完全に包囲されたようだった。

 備えはあったが、それでもいつか食料は尽きるだろう。

 街の中には気が狂う者、逃げ出す兵士がちらほらと現れるようになる。


 彼は城壁の上に一人立ち、ぼんやりと地平を眺めていた。

 風が死臭を運んでくる。

 数え切れないほどの敵味方の骸が埋葬もされずにそこら中に転がっていた。


 あの骸の一つ一つにも人生があり、きっと大切な誰かが、帰りを待つ家族がいたのだ。


 ――そう考えてみても、心は不思議と全く痛まなかった。


「俺はもう狂っているのかもしれない」


 彼は呟いたが、それを否定してくれる誰かは彼の隣にはいなかった。

 彼は一人ぼっちだった。


 街が包囲されてから一年が経ち、彼がどれだけの敵を殺したか数えるのも止めた頃、街に敵軍から一人の使者がやって来た。

 緊張が極限に達し殺気だった見張りの兵たちは使者を射殺しかけたが、偶然彼がその場に居合わせたので制止する事が出来た。

 使者は一通の手紙を携えていた。


「城塞都市の英雄と一騎打ちを望む こちらが勝てば門を開き街を明け渡されたし 負ければ軍を引くことを神に誓う」


 そう書かれた手紙には、神の代理人、というサインだけが走り書きされていた。


 誰もがこれは罠だと、行くなと言った。

 そして彼自身もそうだろうと思った。


 だが、彼は一騎打ちを受ける事にする。


「罠なら罠ごと食い破るさ」


 どの道、これ以上街に篭ってはいられない。

 食料がもう尽きかけているのだ。

 援軍が来るかも分からない。


 彼は日時と場所を指定した返書を使者に持たせた。


 そして、その日が来た。

 彼は黄金色の鎧を纏い、真紅の外套マントをひるがえして門を出る。

 鎧を夕陽に煌めかせながら風のように馬を疾走らせる彼の後ろ姿を、街の全ての人が祈るように見つめていた。


 やがて、彼は小さな丘の上に馬を止める。

 しばらくすると敵陣から馬上に白銀の鎧を輝かせる騎士がただ一騎、彼の方へと駆けてくるのが見えた。

 目の覚めるような青さの外套が白銀の鎧の後ろではためいている。


(疾い)


 相手はかなり馬の扱いが巧みなようだ。

 一騎当千の救世主というのもあながち嘘ではないのかもしれない。

 銀騎士はあっという間に小さな丘を駆け上がると、彼の正面に馬を止まらせ兜の下からくぐもった声で言った。


「――私が死んでも、仲間は約束を守る」


「感謝する」


 彼はそれだけ答えると、手綱をきつく握りしめたまま盾を掲げ、槍を構える。

 銀騎士も両手で槍を構えた。

 だが両者は動かない。


 まだ動かない


 まだ――


 激しい風が草木を揺らして丘を通り過ぎ、二頭の馬が同時にいなないた。


「参るッ!!!」


 愛馬を駆り真紅の外套をひるがえし、心を殺意で塗りつぶし、全てを焼き尽くさんとする炎のように彼は突進する。

 銀騎士も海の蒼色を背にまとい馬を突っ込ませてくる。


 激突は一瞬。


「……ッ」


 二本の槍が交差した瞬間、金属がぶつかり擦れる鋭い音と、どちらのものとも分からない声にならない叫び丘に響いた。


 二人はまだ馬上に在る。

 しかし彼の盾にはまるでバターに熱したきりを突き刺したかのような穴が空いていた。

 咄嗟に盾を払いのけなければそのまま体を貫かれていただろう。

 一方の銀騎士は鎧の肩当ての部分が吹き飛んでいた。

 左腕がだらんと垂れ下がっている。

 槍のかすめた衝撃で脱臼したか、肩の骨が砕けたか。

 どちらにせよ痛みは相当なもののはずだった。


 だが彼は兜ごと首を吹き飛ばすつもりで突いたのだ。

 この戦争が始まってから彼の一撃を躱した者は他にいなかった。


「強いな」


 彼は再び槍を構えながら銀騎士に話しかける。

 戦場で殺し合う相手に、そんな風に話しかけるのは初めての事だった。

 もっとも、殆どの相手が彼と言葉を交わす暇もなく一瞬で命を失っていったのだからそれも当然といえば当然。


 ……


 ………


 しばしの沈黙。

 夜の匂いを帯びた冷たい風が丘を吹き抜ける。


 答えはないか、と彼は思ったが意外にも銀騎士は答えた。


「貴方も……とても強い」


 突然、彼の胸の中に奇妙な感情が芽生える。

 この男を殺したくないと、そう思った。


「その腕ではもう戦えまい。……勝負はついた、軍を引け」


(――何を言っている、俺は?)


 そんな事、出来るはずもないのは彼も百も承知だった。

 おめおめと生きて戻り、情けをかけられ生き延びたなどと言えるはずもない。


(いよいよ俺も本当に気が狂ったか)


 彼は自分の言葉の間抜けさに苦笑した。

 それとも、戦場で剣を打ち合った相手と奇妙な友情が産まれる事があるという話を聞いたことがあるが、これがそれだろうか?

 今までは、打ち合うまでもない敵ばかりだったから。


(……馬鹿な。殺すか、殺されるかだけだ)


 問われた銀騎士はもう何も言わない。

 代わりに槍を地面に突き刺し、すらりと剣を抜き放つ。

 それが答えなのだろう。


(……そうだ、それで良い。騎士ならばそれが正しい)


 戦う者として、彼は銀騎士のとった行動を肯定した。

 と、同時に勝利を確信する。


(あの剣は届かない。そして槍を受けることも出来ない)


 銀騎士の持つ細身の剣は、彼の槍の半分ほどもない。

 剣の刃がこちらの体に届く前に、今度こそ、この槍が手負いの銀騎士の体を貫くだろう。


 ――それは、彼がこの戦争で初めてした油断だった。


「ゆくぞッ!」


 彼は人馬一体となって銀騎士の命を刈り取らんと前に出る。

 二度目の交錯は時間にして7秒で終わった。


 1秒、彼の目が剣を左手に持ち替え突き刺した槍を引き抜く銀騎士の姿を捉える。


ブラフはったり!)


 2秒、馬上で体をのけぞらせ、槍を投てきする体勢になる銀騎士。

 彼は突進しながら盾を構え、槍を弾く体勢を取る。


 3秒、銀騎士の手から槍が離れる。

 彼は体のどこに槍が飛来しても致命傷は避ける自信が、いや、たとえ体を貫かれてもそのまま攻撃する覚悟があった。

 敵は槍を投げたせいでまだ馬と共に静止したままだ。

 もう躱しようがない、このままの速度で奴の胸に槍を突き刺して――

 だがその瞬間、彼の体がぐらりと傾いた。


 4秒、彼は自分の愛馬が血を吐いている光景を、その首に深々と槍が突き刺さっている光景を見た。

 直後全身に激しい衝撃、兜が側面からもろに岩にぶつかり緒が千切れ弾け飛ぶ。


 5秒、彼は地面に叩きつけられ丘を転がっていた。


 痛み、

 混乱、

 怒り、

 武器は、奴は、油断した、畜生――


 6秒、それでもなんとか片腕をつき上体を起き上がらせた彼の目が、彼にとどめを刺すために馬上で剣を振り上げる銀騎士の姿を捉えた。

 脳天をかち割られるか、首を跳ねられるか――

 銀騎士の背後、その遥か彼方の空に赤い月が爛々と輝いている。


(ここで死ぬ)



 ――だが、それも良い


 ――もう疲れた



 彼は無意識に笑っている。

 刃はまだ彼の命に届かない。

 やけに時間がゆっくり流れる。


(――どうした、早く殺せよ、初めてじゃないだろう。だけど、出来たらあまり痛くしないでくれよ、苦しむのは嫌だからな。あまり痛くしないでくれ、あまり痛くしないで……痛く、あんまり痛く………)



(痛くしないでね)


 その時、そのたった一瞬、本当にたった一瞬の中で様々な記憶が一気に蘇り彼の心を満たした。


 死と戦いで汚れた暗い魂に数千数万の流星が流れ、溢れんばかりに心の中に爆発して満ちた光の中で、小さな柔らかい少女の手の感触が、願いが、口づけの感触、草と服のこすれる音、押し殺した息遣い、言葉、大切な、愛の、命は、まだ


 彼は彼の少女が記憶の中で自分の裸の胸に寄り添い、微笑むのを見た。


 刃はまだ彼の命に届かない。


 7秒、


「あああああああああああッッ!!!!」


 絶叫と共に体をねじり、彼はがむしゃらに右手を振るった。

 武器をまだ持っているかは定かではない。


 手放していれば終わり――


 が、彼の右手はまだしっかりと槍の柄を握っていた。

 ぶちぶちと、嫌な音を立てて右腕のあらゆる筋の切れる音がする。

 構わない。

 そうだ、構わない。

 そのまま力の限り振り抜く。


「……ッ!」


 くぐもったうめき声をあげて銀騎士が落馬する。

 恐るべき馬鹿力で彼は槍を鈍器のようにぶち当てて、銀騎士をその馬ごとなぎ倒したのだ。


 彼はゆっくりと立ち上がる。

 まだ左手は動くようだ。

 左目にどろりとした生暖かい感触。

 血だ。

 額が切れたか、頭蓋が砕けたのか、目が潰れたか――

 ぐらり、と意識が霞み再び倒れそうになるのを堪える。

 俺はまだ戦える、問題ない。

 彼は剣を抜き放つ。

 その頃には、草むらの中から銀騎士も立ち上がっていた。


「……決着を、着けよう」


 銀騎士は何も答えない。

 代りに、ゆっくりと銀色の兜を脱ぎ捨てた。

 羽飾りのついた豪奢なその兜は、殆ど音も立てずに落ちた草の中に埋もれ見えなくなった。


「何を――」


 彼は言いかけて、息を呑んだ。

 青い瞳と金の髪をした美丈夫――兜を取った銀騎士の顔を見たのが彼以外の誰かであればそう思っただろう。

 だが、彼は彼だった。

 彼の心は、全ての感覚は、自分の戦っていた相手が誰なのかを一瞬で理解した。


 ――嘘だ


 彼は頭でそれを否定する。

 口はからからに乾いている。


 ――嘘、だ


 彼はそう信じようとする。

 世界から全ての音が消えてしまったかのような錯覚を覚える。


 だがそれは事実だった。

 次に、何故俺は思い出してしまったのだろうと彼は考える。

 思い出さなければ、そんな事を考えさえしなければ……



「……どうして?」


 どれほどの時間が経っただろう。

 二人は身じろぎすらせずにずっと向かい合い見つめ合ったまま立ち尽くしていた。


 夜の色が丘を満たし、茂みのそこかしこで鈴虫が鳴き出した頃、やっとしぼり出したその馬鹿みたいな短い言葉を、彼はいつかどこかで同じように口にした事があるような気がした。


「どうして?」


 かつての少女がその言葉を繰り返した。


「……どうして? 貴方が弱ければ、こんなにも血を流さずにすんだのに。街だって少ない犠牲で占領できた、戦いもすぐに終わるはずだった。なのに、貴方が……どうして?どうして、私に、こんな私にっ、あんな風に笑いかけたりなんかッ……!」


 最後は半ば叫びのようになった愛する人のその言葉を、彼は頭の中で何度も繰り返し理解しようとした。

 しかし結局、彼は彼女の言う事の何一つとして意味が分からなかったし理解も出来なかった。


 笑う?

 一体何の話だ?

 彼女は何を言っている?


 頭がぼんやりする。

 出血が酷いのかもしれない。


「君は……綺麗になったな、とても」


 彼は殆ど放心しながらそう言った。

 それは言葉ではなくただ感嘆だったかもしれない。

 もう、自分は何を言っているんだ、とすら思わない。


 彼女は髪こそ男のように短く切りそろえてはいたが、それが全く欠点にならない程に美しかった。

 素晴らしい装飾が施された彼女の鎧は、どんな絢爛なドレスよりも彼女に似合う最高の衣装だと彼は思った。

 けれど、兜を取った今の彼女は、不思議と最初に対峙した時よりもはるかに小さく弱い存在に見えた。


(ああ、左目が塞がっていなければ、もっと明るければ、もっともっとよく顔を見ることができるのにな、クソ――)


「……どうして?」


 剣を構えた彼女が、再び彼にそう問いかける。

 夜の闇の中で、彼には不思議と、彼女が顔をくしゃくしゃにして泣いているのが分かる。


「愛の為に」


 彼は、最後にただ小さくそれだけ答えた。

 街外れの小さな丘の上、暗い夜空を切り裂くように幾筋もの光が流れ始める。

 それは、少年と少女がいつか見た流星だった。




 そうだ、あれからもう10年経ったのだ

 

 願いは

 叶ったのだろうか






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