朱の森の二番目の魔女
——西の森には朱色の魔女がいて、森が朱色に染まる時刻に、柔らかい子供を拐って喰らうのだそうだ
荒い息を吐き出しすぎて、喉はひりついて限界だった。
方角も何もわからずに走り続けた素足は、疲れて傷付いてもう満足にあがらない。
飛び出た木の根に足をとられて、その子供は軽々と転がった。
その様子を背後から迫っていた者たちが嘲笑う。そして刃を煌めかせて、子供を囲む輪を狭めようとする。
(……もう、ダメだ……!)
少し先の逃れようのない絶望に、子供は両目をきつく閉じる。
いつ捕らえられるかと息を詰めて——いつまでも拘束される気配がなくて、息が苦しくなって口を開くと同時にうっすら目も開ける。
「……!?」
子供の視界いっぱいを、鮮やかな朱色が覆っていた。
「他人様の庭先で、何を騒いでいるんだろうね」
朱色の向こうから、艶やかな声が聞こえた。
そしてその先では、子供を追っていたはずの者たちが、地面に蹲っている。
その周囲に広がる、宵闇には黒っぽい染み。
何が起こったのかわからなくて、子供はただ呆然と目の前の朱色を見上げた。
鮮やかな朱色はばさりと波打って、その奥から金色に光る瞳が現れた。
薄暗がりの中で、それらはとても眩しくて、幻想のようで、だから子供はかつて大人たちから聞いた警告を思い出した。
「……ああ、魔女さまに食べられるのか。それだったら、いいや」
「は? 何を言ってるんだい、この細かいのは。って、こら、目を開け……」
子供の意識が急速に遠くなる。
振り返った魔女の背後から、いくつかのざわめきが聞こえてきた気がしたが、それもあっという間に薄れていき。
子供の身体は、とさりと地面に倒れ込んだ。
ふんわりと柔らかいものに、全身を包まれている。
そして、柔らかくて温かい何かが、頭を撫でてくれている。
そのことがなぜかとても懐かしくて、心の内側からほわりと熱が広がって、そして子供は目を開いた。
「ようやく目が醒めたかい」
「……ここは?」
「私の家だ。お前さんを追ってた奴らは入ってこないから、安心していい」
そう言われて子供は慌てて周囲を見渡す。
子供が寝かされていたのは、柔らかで清潔なベッドだった。部屋は落ち着いた雰囲気で、開いた窓から明るい陽射しと軽やかな風が入ってきている。
そしてベッド脇に座っていたのは、大人の女性だった。子供には大人の年齢はわからないが、自分の母よりは若そうに見える。
長く波打つ豊かな髪は、艶やかな朱色。琥珀色の肌に、光を弾いて金色に見える瞳が印象的な、とても美しい人だと思う。
その女性と出会った、宵の森のことを思い出して、子供は目を瞬いた。
「あなたは、西の森の魔女さま?」
「まあ、そう呼ばれることが多いね」
「じゃあ、どうしてまだ食べられてないの?」
「……はあっ? なんで私がお前さんみたいなガリガリの子供を食べなきゃならないんだい?」
「だって、領地の人たちがみんな言ってた。西の森の魔女は子供を拐って食べる、って」
掛布を引き上げて、子供は魔女を見上げる。
食べられる覚悟はできていたと思ったのに、こんな穏やかな部屋にいたら、どこからか恐怖心が湧いてきてしまっていた。
「それは、この森に子供たちが迂闊に近寄らないように、大人たちが拵えた作り話だ」
ふいに加わった低い声に、子供はびくりと肩を揺らす。
いつの間にか部屋の扉が開いていて、爽やかな青年が顔を覗かせていた。
「テードライ。なんだ急に」
「その子の様子を見に来た。起きたんなら、カーフィーアに何か腹に優しそうなものを作らせようか、母さん?」
魔女の家に魔女以外の人、しかも若い男、さらに魔女を“母”と呼ぶ者がいることが想定外すぎて、子供は呆然と見つめてしまう。けれど魔女はそんな子供の様子を警戒していると捉えたのか、安心させるように笑った。
「これは、私の息子の一人だよ。そのうち他のも紹介しよう。それより、身体がなんともなさそうだったら、何か食べるかい?」
子供が答えるよりも早く、子供のお腹が音を立てて返事をしていた。
それを聞いて魔女は笑みを深くし、テードライと呼ばれた青年は食事の支度に向かう。
正直な自分の腹を恥ずかしく思いながらも、子供はどうしても気になったことを尋ねる。
「あの、魔女さまには何人も子どもがいるの?」
自分の母親だった人よりもずっと若そうに見えるのに、あんな大きな息子が何人もいるなんて。
そんな疑問がそのまま顔に出ていたのだろう。
魔女はにやり、と笑った。
「もう、手の指じゃ数えられないくらいだね。お前さんもうちの子になるかい? また一人くらい息子が増えたって変わらないから」
「……っえ、あ、の……」
「この家は嫌?」
その問いには、素直に頭を振る。ほんの僅かの時間だが、こんなに穏やかな空間は初めてだった。
「じゃあ、決まりだ。お前さんは、うーんと……ツェット、ツェットフィーアだね」
そうして子供は、魔女の新たな子どもに加わった。
柔らかい具のスープを出されて、あっという間に平らげてしまった。
用事があるからと席を外した魔女と入れ替わりに、食事を運んできてくれたのは豪快な笑顔の青年だった。
「お袋が拾ってきた中でも、なかなかにちんまいガキだな。だが、俺の飯をきっちり食ってりゃ、すぐに元気になるし、その細っこい手足もすぐに肉が付いてくるぜ」
「……太らせてから取って喰おう、なんてことはないから、安心して食べていいよ」
思わず手を止めてしまったツェットフィーアに、一緒に戻って来たテードライが声を掛ける。
「なんだそりゃ、兄貴」
「この子は母さんの噂話を聞いていたみたいだから」
カーフィーアと呼ばれている青年の方が、テードライよりも年下らしい。
そんなことに気付いたところで、さらに新しい声が加わった。
「兄さん達。その子の食事が終わったようでしたら、湯を使わせてやりましょう」
顔を覗かせたのは、落ち着いた優しい印象の青年。他の二人の青年もそうだが、とても整った顔立ちをしていた。
印象的な美しさの、あの魔女の息子に相応しい。
その中に薄汚れてみすぼらしい自分が加わって良いのだろうか……そんな不安を抱えながら、三番目の青年に連れられて、ツェットフィーアは風呂場にやってきた。
「私はエーフィーアです。あなたと同じく、母上の息子の一人です。これからよろしく」
丁寧に微笑まれて、硬くなっていた気持ちが少しほぐれてくる。そこで先ほどから感じていた疑問を口にしてみることにした。
「あの、名前……」
「あなたはツェットフィーアでしょう? そう聞いています」
「そうじゃなくて、みんなの名前って、もしかして……」
「気付きましたか? T3、E4、K4……この間にももちろんいて、そしてあなたがZ4」
「ってことは、A1からいたの?」
「ええ」
そんな安易な名付けでいいのか、という感想は、口には出さないでおいた。
エーフィーアは、少し遠い目になって続ける。
「もっとも、もう2くらいまでは残っていません。郷里や人里に戻って暮らし、老人になっているか、天に召されたか。この家にいる一番上の兄は、さきほどのテードライです」
「魔女さまの子どもになったら、ずっとここにいるんじゃないの?」
「それは人ぞれぞれですね。ただ、皆、ここで暮らしたことに満足しているようです。それと“魔女さま”ではありませんよ。あなたの“母”なのですから」
言われてみればそうなのだが、実感がまったく伴っていなくて、ツェットフィーアは目を見開く。
「おや、あなたはずいぶん素敵な瞳をお持ちですね」
「……っ!!」
顔を覗き込まれて、ツェットフィーアは思わず身を硬くする。
だが、エーフィーアはそんな様子には気付かない風で、手早く湯を用意して頭から掛け始めた。
「服も取り替えますから、このままいきますよ……なんだ、洗ってみたら、髪もなかなか
いい色じゃないですか。……手足もきれいです……お、や……?…………失礼しました。これは、母上に報告が必要ですね」
思い切りよく洗っていたエーフィーアの手が、上半身の途中で止まる。
どうしたらいいかわからなくて、ひたすら硬直していたツェットフィーアは、ついにその時が来たか、と泣きそうになっていた。
一人でどうにか身繕いをしたツェットフィーアは、エーフィーアに連れられてその家の居間に案内された。
「ずいぶんすっきりしたね。見違えたよ。私の息子たちは、みんな目の保養になっていいねぇ」
一人掛けのソファにゆったりと座っていた魔女は、入って来たツェットフィーアを見て目を細めた。
魔女の他に室内にいた複数の青年たちも、同じように頷いている。
居間の鏡に映る自分の姿の変わりように、ツェットフィーアは落ち着かない。
与えられたシャツとズボンがやや大きいため、袖や裾から出た手足がよりすっきり見えている。
滑らかな白い肌に、肩先までまっすぐに伸びた艶のある金髪。そして、顔に掛かっていた髪を後頭部で緩く結ばれたために、露わになった朱色の瞳。
滅多にない色味は、常に周囲に忌避されてきた。一人きりでこの森に逃げ込むことになったのも、元を辿ればこの瞳のせいだ。
けれど、この家にいる人たちは、誰もこの朱色を気にしている様子がない。
それどころか。
「何より、その瞳が気に入った。私の髪と同じじゃないか。初めてお揃いの色を持つ息子ができたよ」
そんな風に嬉しそうに言われたのは初めてで、ツェットフィーアの心は大きく震えていた。
「母上。その件でお話することが」
「何だい、エーフィーア?」
「その子……ツェットフィーアは、息子ではなく、娘です」
「え?」
口を軽く開けて、自分を見返してくる魔女に、ツェットフィーアは胸の前で拳をぎゅっと握った。
「……ごめん、なさい。嘘をつくつもりはなかったの。ただ、言いそびれて……女の子では、子どもにはなれませんか?」
ようやく安心できる場所が得られたと思った。なので、性別を間違えられていることを訂正できずにいた。明らかになったからには、ここを放り出されても仕方がない。そう覚悟しようとしても、手の震えは治らない。
けれど、返ってきたのは、からりとした笑い声。
「そうか、娘だったのかい。それは失礼。私が悪かった。いやー、でも、これでようやく私にも娘ができたよ!」
「……女の子でも、いいの? 息子だけじゃないの?」
「女の子も大歓迎だ。なのになぜか、私が出会うのは息子ばっかりだっただけだよ。私の初めての娘だ。楽しみだね〜」
明るい魔女の声音に、偽りはない。
それにほっとして、そして嬉しくて、ツェットフィーアの涙が溢れてくる。
「よろしくお願いします……お母さん」
「こちらこそ、よろしく。我が娘」
魔女の仕事がどんなものかツェットフィーアにはわかっていないが、森の奥に棲んでいるわりに、意外と忙しそうだな、というのが素直な感想である。
魔女の子どもになって数日。家の中の手伝いをしながら魔女を見ていると、何やら調べ物をしたり、薬草の世話をしたり、森の様子を見に行ったり、何やら探し物をしたり、と、じっとしている時間は少ない。
そして今も、どこかに出かける準備をしている。
「まったく、面倒なこった。なんでわざわざ顔を突き合わせて話さなきゃならないんだい。それぞれが意識を飛ばし合えば十分だろうに。」
「そんなことが簡単にできるのは、母さんの他に数人くらいだろう」
「母、自分を基準に考えたらいけない……」
テードライが呆れたようにため息をつき、ファウドライがぼそりと呟いた。
テードライの次に年嵩のファウドライは、周囲のことなど気にしない性質だが、魔女の発言が規格外だということは認識しているようだ。
「俺も行ってみたいなー。魔女の集会!」
「あなたはまだまだ先ですよ。次に交替するのは私です」
魔女がこの森の外に出るときは、年長の二人が供につく決まりらしい。
嗜めるエーフィーアに、エールフィーアは明るく肩を竦めた。
「それじゃ、行って来るよ。みんないい子でね」
「いってらっしゃい。お母さん」
魔女が立ち動くと、長いマントと豊かな髪が鮮やかに翻る。
その朱色の残像を、ツェットフィーアはいつもぼうっと見送ってしまう。
「いつまで突っ立ってるんだよ! そんなとこにいたら邪魔だろ!」
突然、背後から軽く小突かれて、ツェットフィーアはびくり、と肩を強張らせた。
「こらっ、イクスフィーア。仲良くって言われたばっかだろ!」
「なんだよ、エールフィーアもそいつの肩持ってさ! 知るかよ、バーカ!」
「……申し訳ありません。あの子は、今まで一番下で甘えてきてたので、急に妹ができて戸惑っているんです。根は悪い子ではないので、そのうち落ち着くと思うのですが」
エーフィーアに代わりに謝られて、ツェットフィーアは気にしていないと首を振った。
逆の立場を考えたら、彼の気持ちもわかる。
なお、Zの前がXなのは、間のユプスィロンフィーアが元迷い狼で、すでに森に返っているからである。とはいえ半ば犬のように魔女に懐いていて、時折り姿を見せにくる。
すでにツェットフィーアとも会っているが、彼の方は自分が兄になることに抵抗はないようだった。
なお、魔女はこんな感じで人の子以外もぽつぽつ拾ってくるため、名前の番号が進む速度は、なかなか早いようである。
帰宅した魔女は羽織っていたマントをファウドライに預けると、ぐったりと彼女のソファに座り込んだ。
「あー、疲れた。誰かお茶を淹れておくれ」
ツェットフィーアは大急ぎで、でも細心の注意を払って、カーフィーアの淹れた茶を運ぶ。まだ自分には美味く茶を淹れることはできないが、そのうち自分が淹れた茶を魔女に飲んでもらいたい、と最近思うようになった。
「……まったく。やっかいな事を森の中に持ち込むんじゃないよ。森の外で自分達で解決してくれないかね」
森に手を出さない分には、こちらだってどうこうしないのに……そうこぼす魔女に、聞いていた子どもたちは皆うんうんと頷く。
「とにかく、この近辺も多少キナ臭くなってくるかもしれない。この家の敷地内にいれば大丈夫だけど、遠出するときには皆も気を付けるんだよ」
その魔女の言い付けに従っていれば、何も問題はないはずだった。
けれども、事態は想定外の方向に転がるもので。
大きな間違いをしたわけでもないのに、状況はどんどん魔女と子どもたちに不利になっていく。
どこで掛け違ったのか、なんて考えている余裕はない。
ただ、目の前の状況を切り抜けるのに必死になるしかない。
「この西の森の魔女が守る地を、好き勝手できるとお思いかい!?」
多くの鎧と槍が鈍く光る前に、一人で泰然と立ち遮ってきっぱりと宣言する魔女。
伸ばした長い手指が優雅に翻って、光の波が沸き起こる。
それと同時に、同心円状に広がる風圧と光量の衝撃。薙ぎ倒される侵入者たち。
「お前ら、お袋だけが相手だと思うなよ!」
「あなたたちなど、母上の手を煩わせるまでもない」
「……母の邪魔だ」
「俺にはこうなった弟たちは抑えられないからな。覚悟しておけよ」
魔女の前に滑り込んだ息子たちは、積極的に攻撃をしかける盾だった。
魔女の圧倒的な力を前に、数の力で押し切ろうとする侵入者を、多方向で討ち返していく。
「息子たち! でしゃばるんじゃないよ! これは私の仕事だ」
「一人で強がってるんじゃねーよ! 自分の息子たちを少しは信頼したらどうだ!」
傷だらけになっていても、魔女の美しさは少しも損なわれていなかった。
魅惑的な微笑みは、変わらない安定感として、子どもたちを力付ける。
そして子どもたちの存在もまた、魔女の力を維持する源泉となっていた。
けれども、絶え間なく投入されてくる侵入者たちに、休みなく対応し続けるには限界がある。
傷付いて斃れていく子どもたち。
唇を引き結んでそんな息子たちを背後に庇い、自身も疲労の色を濃くしながら、それでもなお立ち向かおうとする魔女。
そんな彼女の目前に迫る、複数の刃。
それを目にして、ツェットフィーアは何もかも忘れて叫んでいた。
「だめーーっっ!!! お母さんも、みんなも、助けてーっ!!!」
涙に覆われた朱色の瞳が、眩い光を放つ。
細く小さな身体から、目を灼くような光と、周囲を圧する波動が拡がる。
西の森全体が、朱色の光に包まれる——————
その光がぼんやりと落ち着いてきたときには、すべてが片付いていた。
森を侵していた者たちは、その装備品にいたるまできれいさっぱり森の中から弾き出されて、森から離れた場所に放り出されていた。
森は薄い光の膜がかかったように、彼らの再びの侵入を阻んでいる。
踏み荒らされた森の中は、薄朱色の柔らかい光に覆われて、緩やかに癒されていく。
そしてその光は、傷付いていた魔女と息子たちにも等しく降り注ぐ。
身体や身に着けているものの汚れまでは取れないものの、深い傷はいつの間にか消えてしまっていた。
息子たちはまだ意識が戻らない者のいるなか、いち早く状況を把握したのは、やはり魔女だった。
「ツェットフィーア、お前が助けてくれたんだね」
地面に座り込みただ呆然としていた少女の肩を、魔女は隣に跪いて優しく抱き寄せる。
濡れたままの瞳は、まだ淡く輝いていた。それを覆い隠すように、魔女の温かい手が被せられる。
「もう、大丈夫だから。お前の力は、いったん収めなさい。無理に放出し続けると、お前が干からびてしまう……お前の中には、こんな力が眠っていたんだね」
「……あ。わ、たし……」
魔女の温かさを感じて、ツェットフィーアはようやく身体の中に何かが落ち着いていくのを感じた。
そしてそれと同時に、やってしまった、とツェットフィーアは思う。
かつて領地の人々に忌避されてきた、この異端の色の瞳に潜んでいる制御しきれない力。
こんな大っぴらに発現させてしまっては、隠しようがない。
「わたし……お母さんたちが、助かってほしくて。こんなことするつもりは……ごめんなさい。ごめんなさい!」
「何を謝る必要があるんだい。お前のおかげで、私も他の息子たちも助かったんだ。素晴らしい力だよ」
「……ほんと? これは、悪い力じゃないの?」
「人の持ってる力に、良いも悪いもないよ。誰かの役に立ったり、何より本人を幸せにしてくれるものが、良いとされるだけだ」
魔女は、抱きしめていたツェットフィーアを少し離して、じっと瞳を合わせてきた。
金色に見える魔女の瞳に見据えられて、ツェットフィーアは息をのむ。
「もしその力がお前の手に余るというなら、今この場で封じてやることも、できないこともない。だが、その力を手放さず、制御する方法を学びたいというのであれば、お前は私の弟子になるかい?」
「弟子? ……そうなったら、わたしは、お母さんの娘ではいられなくなるの?」
「そんなことはない。もちろん、修行のときはきっちり線引きするがね。お前はずっと私の娘だよ」
「……それなら、わたしに力の使い方を教えてください。立派な弟子になって、お母さんやお兄さんたちの役に立つようになりたい!」
両手を握り締めてそう宣言したツェットフィーアに、魔女は優しく目を細めた。
「よし。いい心意気だ。だが、お前が力の使い方を学ぶのは、何よりお前自身が、不幸にならないためだよ。それを忘れちゃいけない」
その言葉の意味は、まだツェットフィーアにはわからなかった。
けれども、大切な教えとして、胸の奥に刻んでおこうと思った。
「うーん。しかし、弟子になるんだったら、改めて息子たちとは違う名前のほうがいいかね。この森に来る前の名前に戻すかい?」
それには、ツェットフィーアは全力で首を振った。
森に来る前のことで良い思い出などない。その頃の名前にだって、執着はなかった。
「それじゃ、どうするかね……うーん、私は弟子をとるのも初めてだし、名前付けるのも苦手なんだよ」
後半は魔女の子どもたち皆が知っていることだ、とは言わないでおいた。
「……あの。お母さんの名前は、何ていうの?」
「あれ? 教えてなかった? 私はヴァーミリアだよ」
「じゃあ、わたしはヴァーミリア・ツヴァイトよ」
「そ、それでいいのかい?」
「ええ。いっぱい学んで、そしていつか、お母さんの跡を継げるくらいの立派な魔女になりたい!」
「それは楽しみだ!」
再生を始めた森の中に、往年の魔女の軽快な笑い声と、新米の魔女の恥ずかしげな笑い声が響いたのだった。