身を任せて良い流れは時間だけ。後はきちんと自分で判断しないと、大体は後悔の素になる
怪物は、具現化した地球のストレス、負の感情である―
目に見えないからストレスは怖いと思っていたが、目に見えてたってストレスは怖いのだ。とんだビーンボールだ。
「ほんで、うちらがバット代わりな訳や。まあ、あたしが使うんはこれやけど」
八田が腰のホルスターから二丁の銃を引き抜く。砲身の長いリボルバーだ。ド派手なガンアクションが楽しいアニメの主人公みたいでカッコいいが、ただカッコいいだけではない事をすでに周は知っている。飛び出た銃弾が犬二匹を蜂の巣にしていたのをまさに目撃したのだから。
「つまり、お二人の仕事は、具現化した地球のストレス、菌を倒す免疫、のようなものですか」
「その通りです。そして仕事をする場合、私たち以外の人が被害を受けないよう、結界を張ります」
「特定の人間以外は入れない、というようなですか?」
「正確にはちょっと違います。昔の結界はそういう仕様だったのですが、それだとその場にいる人がいなくならないと張ることが出来ない。今回の渡来さんのように中にいる人が撒き込まれてしまう。だから最近の結界は別の空間を作り出し、そこにストレスを吐き出させます。これならその場に人がいてもいなくてもいつでも張れます。緊急時にも一般人に知られないで運用できるメリットが追加されたわけです。面白いのは、私たちが用意した別空間にストレスは、怪物と、怪物が暴れまわる舞台、迷宮を作ります。面白いのはその地に存在するものを真似て作る傾向があります。今回は学校ですね。そのままコピーしたみたいです。だから私たちも拠点を作りやすかった。元の空間でも同じ場所に部室がありますから」
職員室にすら人がいなかったのはこれが理由か。
「ちょっと待ってください」
周はロサンゼルス市警の警部補のような口調で熊谷の話を遮った。肝心な事が矛盾している。その結界ならば、無関係の人間は入れないはずじゃなかったのか。
「あぁ、それなんやけど」
八田と熊谷は少し気まずそうに顔を見合わせた。
「結界の仕様なのですが、私たちのようなエージェントは、全員特殊な訓練を経て、対怪物用の技能を有しています。わかりやすいのは魔法とか法力とか超能力でしょうか、そういった特殊能力や技術を持っています。特殊能力を持つエージェントは、一般人が一生使わない脳の別領域を使用しています。結界は展開される際、CTスキャンよろしく人の脳をチェックします。そして、別領域を使用している人間としていない人間を認識し、取捨選択します。そして渡来さん。あなたは、結界の機能から、一般人ではなく私たちと同じ、エージェント側と判断された。だから今、この結界内にいるのです」
「僕も、脳の別領域を使っている、と?」
そうです、と熊谷は頷いた。
「特殊な訓練を受けた覚えは、ないのですが」
「なので、特殊ケースなのです」
熊谷が八田に視線を向ける。アイコンタクトを受け、今度は八田が周に話しかける。
「時たまおるんよ。生まれながらにして脳の別領域を無意識に使用しとう人間が。うちらはそんな人のことを『天然』て呼んどる。貴重やねんで? 普通はちっこい頃から訓練せなあかんねんもん。大きなって知識とか経験とか積んだら、その人なりの常識や偏見が生まれるし。大きなったら魔法やらなんやら信じへんやん? で、魔法使うには偏見があったらあかん。疑いは脳のストッパーになってまうから」
限界を作ると、人間はそれ以上の努力を無意識で放棄する。限界は作るな、ってか。有名なスポーツ選手が言いそうな話だ。スポーツ業界でなら感動ものの良い話なのだが。
「だから、自分は特殊な訓練も受けてないし、魔法もリアルでは信じてはいないのですが」
「うん、わかっとう。わかっとんよ。けどな。ちっさいころ、何が常識で非常識かあいまいやった頃に一度でも魔法は存在するて、思たことない?」
それを言われると、困る。小さい頃は病弱だったため、ほとんど家にいた。そんな退屈と寂しさを紛らわせてくれたのは漫画やアニメや児童小説だ。それが幼少期の周の世界の全てで、世界はファンタジーで溢れていると本気で思っていた。
「そんで、渡来君みたいに生まれつきの『天然』さんが一度でも魔法はある、超能力はある思たら、成長とともに現実を知ろうが常識を植えつけられようが、二度とその領域のことを脳と体が忘れへん。自転車に一度でも乗れたら、二度と忘れへんやろ? それと一緒や」
自転車に乗る事と魔法を使うことは脳にとっては同列なんだ。さておき。彼女らの話は、納得は出来ないがなんとか理解は出来る。
人間の脳は現代科学でも解明できないブラックボックスだ。七割は使ってない。その七割の中に特殊能力用の領域があっても不思議じゃない。だって現代科学でも何があるのか証明されてないのだから。証明されていないのと証明出来ないのは似てるようで違う。箱の中では猫だって喋ってるかもしれないのだ。誰も知らないだけで。
「しかもや」
「まだ、あるのですか?」
本音がポロリとこぼれ出たのは、致し方ない事ではないだろうか。転校初日に詰め込む情報量じゃない。八十稲葉市でだって当日に事件は起きない。
「ある。重要なんが。渡来君、君が引っ張り出したそれ。何やわかる?」
改めて、手の中にあるデッキブラシをしげしげと眺める。素材は木ではなさそうだが、プラスチックでもなさそうだ。でも、変わっているのはそれだけ。
「デッキブラシ、ではないのですか」
「ちゃう。それは祭具。対怪物用の兵器や」
さすがに無理があるのでは、と訝る周の様子に、八田は「ほんまほんま」と笑顔で近づいてきた。同年代の異性に半径一メートル以内に近づかれたことがほとんどない周は緊張で固まる。
「や、そない警戒せんでも」
そういうわけでは、ないのだが。
「それの機能封印されとうから、ちょい起動させるだけや」
八田がデッキブラシの柄の先を摘んだ。先から三センチの辺りに、細い溝がぐるりと一周入っている。「確か、資料やったらここをこう・・・」とぶつぶつ言いながら彼女が捻ると、ガリガリ音を立てて溝の先が回転した。一周、二周、三周回って、ガチリ、と何かが外れた、もしくは填まった音がする。途端、パン、とデッキブラシから埃が舞った。埃が取り払われたデッキブラシの柄には、パソコンの電子回路みたいな細い線が何本も入っていた。線の上に被っていた埃がさっきの音で取り払われて、本来の姿を現したというところか。
「ほい」
用は済んだと、八田は埃の払われたデッキブラシを周に返した。いや、真の姿を現そうがデッキブラシはデッキブラシ、見た目がちょっと近未来的になっただけで
『お主が、新しい我の使い手か』
・・・喋りましたよ?
明らかに自分の手元から渋い声が聞こえた。周は目を細め、視線を手元のデッキブラシにやる。
『ずいぶんと、幼い使い手ではないか』
会話に合わせて線が切れかけの電球みたいに明滅する。どこの魔法少女の杖かと問いたい。
「・・・どちら様?」
風邪でもないのに頭痛がしているのは、今この状況を脳が必死に理解に勤めようとフル回転して血流が増加しているためだろうか。
『物の道理を知らぬ小童が。人に名を尋ねる前に、自らがまず名乗るが良い』
デッキブラシの癖に・・・っ!
周は少しイラッとした。
彼は対他人以外、たとえば家族、犬猫等の動物、自らが生み出した空想上の何者かに対してはちょっとだけ強気になれる。また、ゲームの敵キャラになら暴言も吐ける。そんな彼だから、デッキブラシに対していつもの恐怖症を発現しない。
「幼いもので。よければ手本を見せて頂ければ。あなたが大人の対応を取れるのであれば、ですが」
『・・・言うではないか』
デッキブラシと周の間で、空気がピリついた。傍から見たら非常にシュールな光景だ。
『我が名はアグニ=ウーシュ。烏枢沙摩明王の加護を受け、あらゆる不浄を祓う火を宿せし特級祭具なり。・・・それ、お主の番だ』
「渡来周と、言います」
『ワタライ、アマネ。ふむ、承認した。今この時より、不本意ではあるがお主が我の使い手、我が主だ』
「丁重にお断りします」
何だか良くわからないが、勝手に進む話には注意するに越した事はない。詐欺の手口と一緒だ。流れに身を任せたらそのまま滝壺にドボンだ。二度と浮かんではこれない。
『・・・お断りされるのを、我がお断りします』
アグニの線が一層輝き、周の手の中でデッキブラシ全体が激しく炎上した。
「熱っ」
思わず投げ捨てようとするが、手が引っ付いて離れない。何でだ!
周がパニックになる寸前で、勢い良く燃え上がっていた炎は嘘のように消えた。引っ付いて離れなかった手も簡単に離すことができた。手のひらを見ても、火傷の跡は見当たらない。服も燃えていない。代わりに、アグニの線と似たような模様が、手のひらを中心にして手の甲、手首から伸びている。袖をまくり上げると、肘の辺りまで線は伸びていた。