自分に対して自分が持つイメージと他人が抱くイメージには致命的なズレがある
いよいよ新学期。周は二年生に編入することになる。これからお世話になるクラス、二年B組は、すでに一年間親好を深めあった生徒たちだ。その中に自分は入る。彼らからすれば完全に異分子だ。状況は不利。しかし、ここで怖じけずいてしまっては同じ轍を踏むことになる。変わると決めただろう、渡来周! と己を叱咤し、まずは職員室へ。
「担任の、諸住です。ええと、これから教室に向かう」
挨拶もそこそこに、中年の担任教師諸住先生は座席から立ち上がり、そそくさと職員室出口へ向かった。なんだろう、あまり歓迎されていないのだろうか。RPGの展開に少し似ている、と周は思った。都会から来た主人公に田舎育ちの担任はあまりいい感情を持っておらず、主人公をクラスに紹介するときも『都会から来た落ち武者』呼ばわりする。その後の展開は結構好きではあるが、もし同じように落ち武者呼ばわりされたら一言言ってやろう。それをダシにしてクラスにとけ込もう、と周は画策する。諸住先生からの心証は悪くなるかもしれないが、そもそも落ち武者呼ばわりする先生に好かれようとは思わない。
さっさと先を行く諸住先生の後について、階段を登り、廊下を進む。HR中だろうか、生徒の声が外まで聞こえてくる。
「ここだ」
諸住先生が立ち止まる。他の教室と同じく、生徒の声が外に響いている。心なしか、その声は大きい。転校生が来るとなれば、やはり皆そわそわしているのだろうか。その期待に応えたい。周は小さく拳を握った。
ガラガラと諸住先生が先に教室に入る。その後を、一呼吸入れた周が続く。騒がしかった教室が凍りついたように静まり返った。あちらの緊張が全身にひしひしと伝わり、相互作用を受けて周の緊張度も跳ね上がる。さっきまで言い返そうとか考えていた自分は跡形もなく消え去り、いつもの臆病な自分だけが残った。
「今日から、みんなと一緒に学ぶことになった、転入生の渡来周・・・君です。仲良くするように」
予想に反して、普通の紹介だった。だが、今の心理状態の周にはちょうど良かった。普通最高。アドリブ不要。今の彼に気の利いた挨拶も返しも不可能だ。
「よろしく、お願いします」
蚊の鳴くような声に、小さな会釈。内心で自身を罵倒する。これではいつかの二の舞じゃないか。馬鹿野郎。自分の馬鹿野郎!
挨拶が終わったことを察したのか、クラスからまばらな拍手が送られる。この反応を見るに、ああ、また失敗したんだと周は確信し、心で泣いた。
彼のクラスに溶け込むと言う作戦は確かに失敗した。だが、失敗したのは彼が思い込んでいるような、彼の内面だけが原因ではない。彼の外見にも原因があった。
彼は幼い頃とても病弱で、家族から弱い者として扱われてきた。その三つ子の魂が今日まで作用している。彼が抱いている自分像は、根暗で気弱で貧弱なオタク、というイメージだ。しかし、一体誰が、彼を一目見て根暗で気弱で貧弱なオタクだとわかるだろうか?
身長百八十センチ、体重八十二キロ、体脂肪率十パーセント。体が弱かった頃にはまった格闘漫画の影響で、鍛えてみたら鍛えただけ反映されてしまったしなやかかつ強靭な肉体に、北欧出身の母親譲りの堀の深い顔立ちとくせっ毛気味の銀髪を併せ持つ。見方によってはハリウッド俳優、もしくは有名なスタイリッシュアクションゲームにご出演、悪魔も泣きだす主人公のようなハイスペック美丈夫。しかし、それを台無しにしてしまうのは唯一父親に似てしまった猛禽のごとき鋭い眼光。人と目を合わせないために半ば必然的に長く伸ばされた前髪の隙間から、爛々と輝く蒼い目が獲物を狙うが如く見下ろしてくることになる。
通常の人間が対峙したら、まず萎縮する。
これでまだ、彼が良く喋るお調子者の性格であれば、ギャップとともに諸手を上げて誰からも歓迎される人気者になれただろう。もしくは見目に相応しいクールなイメージを前面に押し出しながらも爽やかな笑顔を垣間見せる性格イケメンであれば、女子から絶大な人気を得ただろう。せめて、ただせめて笑顔でしっかり挨拶さえ出来れば、普通に、彼の望むとおり普通にクラスになじめただろう。
だが、彼にはそれすら出来なかった。残念な事に本人は緊張しやすい内気な性格で、初対面の人間と会話する度胸を持ち得なかった。蛇に睨まれたカエル状態になってしまうのである。頭が真っ白になって硬直してしまい、何一つ対応が出来なくなる。
周も大変だが、彼と相対する者はそれ以上に大変、というか恐怖を体感する。無言で対峙するだけでも大変なのに、目の前にいるのは格闘家みたいな体つきの、凶悪な目つきの異邦人だ。下手に喋って逆鱗に触れたら消される、そんな想像が働くことを誰が責められようか。
また彼の声が、彼の怖いという印象に拍車をかけている。
彼の声は同年代と比較して少し低い。きちんと活かせば、その声は数多の女性をメロメロにする魅惑のバリトンボイスとなる可能性を秘めている。が、いかんせん肺活量の一パーセント空気を利用しているかどうかも怪しいくらい小さい。そんな低い声でぼそぼそと話されたら誰かを呪っているんじゃないかと疑われても仕方ない。
結果、誰もが彼から目を背け、モーゼの前の紅海宜しく場所を空け、彼の周りだけ人口のドーナツ化減少が発生する。
そして今日も、周の敗北記録が更新された。新しいクラスメイトたちの希望と期待に満ちた『これから』を巻き添えにして。