誰もがやりたがらなくても、誰かがやらねばならない仕事がある。なら、その仕事についた者には、相応の幸せを享受してもいいはずだ。そうだろ?
「二人とも、本当にお疲れ様でした。事後処理はこちらで行いますので、今日は帰ってゆっくりなさってください」
二人を気遣う熊谷の声は、心なしか、声のトーンが落ちていた。無理もない。せっかくの金の卵が、実は売れないという事が判明した時の彼女の顔。まさに絶望を映したかのようだった。周の隣では、八田も虚空を見つめている。
「特に渡来さんはきちんと休んでくださいね」
「? はい」
「また詳しい話は学校で行います。明日も『頑張って』登校してください」
どういう意味だろうか。もちろん学校には来るが・・・。
もちろん行く、なんて、軽く考えてた自分を殴ってやりたい。
「っ?!」
朝日よりも早く目覚めてしまった。全身に電流が流れたかのような苦痛が走り、飛び起きようとして、体をくの字に曲げたら腰を中心とした半径三十センチに爆弾が降り注いだんじゃないかってくらいの刺激的過ぎる痛みが発生した。痛すぎて悲鳴も上げられなければ身じろぎも出来ず、ただただ息をするしか出来ない。それすらも痛い。空気に棘のついた微粒子が混じってて気管支を傷つけているんじゃないかとまで思う。
『反動だ』
どこからか渋い声が聞こえる。アグニだそういえば結局持って帰ってきてしまったのだ。
「あ、ぐっ!」
『喋らずともよい。主の状況はわかっておる。おそらく、四肢が引き裂かれんばかりの苦痛を味わっているのだろう。それはな、体の中の龍脈が傷ついておるからだ』
龍脈が傷つくってどういう事だ。詳しい説明を求む。
『おそらく、主は気力を用いて初めて戦ったのであろう。これまでにないくらい龍脈を気が巡ったため負荷がかかり、傷ついた。初めて気力を使った者が必ず通る道だ。だが喜ぶが良い。これを乗り越えれば、次回からはその負担も減るだろう。体がこのままでは駄目だと意識し、龍脈の強化に乗り出す。今、そういう状況だ』
筋肉痛みたいなものか。アグニが言うように喜ぶことも納得も出来ないが理解は出来た。寝てれば治る類で良かった。朝までにはマシになっていると嬉しいな・・・
眠れませんでした。痛すぎて。
朝、苦痛よりも羞恥が勝ち、トイレにまで何とか行けた周は、この勢いを止めたら絶対に動けなくなると予感し、服を着替え、朝食を取り、家を出た。
一歩を踏み出すたびに足裏から脳天まで痺れが駆け抜ける。奥歯を噛み潰すほど食いしばり、何とか通学路を行く。
「今日は、何か人が少ない、のかな」
周は視線を左右に巡らせた。昨日は学校に近づくに連れて学生が増えはじめ、自転車通学の学生もいて校門前は混雑するほどだった。けれど今日は、そこそこ学生はいるが前に進みにくいほどではなかった。
理由はわからないが都合は良い、と周はそれ以上考えるのをやめた。事実、混雑のせいで立ち止まったり、自転車のベルで道を譲る必要がない。つまり、動作が少なくて済むので、体が痛むのを最小限に抑えられている。
たまには、良い事があるものだ。と少しだけ良い気分に浸る周。命がけの戦いに巻き込まれ、翌日には全身を蝕む痛みに晒されても、この程度の事で幸せを感じられる幸せな頭と人格を保有する彼に、事の真相は伝わらない。昨日一日で彼の悪評が学生全員に伝わっていたことに加え、今日の彼は痛みのせいでとてつもなく恐ろしい顔になっていた。
誰もが彼に道を譲った。譲らざるを得なかった。だって怖いんだもの。
ようやく校門前に差しかかって「よくやった。本当によくやった僕の体! 感動した!」と自分が成し遂げた偉業に感涙しかけた周の背中を、誰かが叩いた。
「ふぐっ、おおっ!」
悶絶する周。その彼の奇声に周囲の生徒がびくっと怯えた。
「あ、ごめん、痛かった?」
のんびりとした声に、さしもの周もちょっとだけ殺意を抱いた。ゆっくりと体をねじる。首だけで曲げようとしたら電球みたいに頭が取れるんじゃないかと怖かったので、腰、背中、肩、首とゆっくりと振り返る。まるでモデルのポージングだ。
「?!?!」
振り返った先にいたのは、異質な存在だった。長いぼさぼさの髪は貌を覆い隠し、唯一見える口元は三日月形に割れている。制服から女子ということは判明したが、その全身から発するのは近づいては行けないタイプがもつ特有のプレッシャーというか雰囲気というか新手のクトゥルフ系を髣髴させてくれる。昨日も似たようなのに出会って危うく殺されかけたのだが、まだここは迷宮化が解除されていなかったのかと脳が混乱し始めたところで
「どしたん渡来君。ぼうっとして」
異質な生命体が気安く関西訛りで喋りかけてきた。
「その声、まさか、八田・・・さん?」
「うん。おはよお」
まさに迷宮で彼を救った八田美咲その人だった。
「いやあ、昨日ちゃんと説明せえへんかったんで、大丈夫かな思てたんやけど、案の定やな。大丈夫?」
大丈夫も何も、そっちこそ大丈夫かと問いただしたい。昨日の凛とした着痩せ美人はどこに行った。変わりすぎにも程があるだろう。メタモルフォーゼかと周の脳内は今日も忙しい。
「その、髪は?」
脳内はフィーバーしていても、口から出るのは吟味に吟味を重ねて形成された相手を傷つけないように、しかしこちらの意図も汲んで欲しいと願いの込められた一言だ。
「ああ、これ? うん、うち癖っ毛なん」
周の意図は汲み取られなかったようだ。
「・・・なんで、まとめてないの?」
初めて彼は追及した。これまで相手の事を考えて考えて考えすぎて踏み込めなかった彼にしてはかなり攻めた方だ。果たして、彼女の反応は。
「寝坊してん。まとめる時間のうなってもて」
いうても、普段からまとめてへんけどな。カラカラと彼女は笑う。
「おはよう、二人とも」
かけられた挨拶に、一人が髪を大量になびかせながら、一人が苦痛に抗いながら振り向くと、熊谷美野里が立っていた。心の底から、周はホッとした。昨日と同じ出で立ちだった。関西の女性はビフォーとアフターでVFXを駆使するのかと新たな論文が世に出回るところだった。
「・・・うん。良く来れましたね」
周をじっと観察していた熊谷が、苦笑しながら言った。
「教えて欲しかったです。体の痛みで目が覚めました」
「いつ痛みが来るかわからない恐怖を味わうより知らない方が良いかなと思って」
人間はいつもすれ違うのだな、とこんなところで学ぶ。
「渡来君。今日の放課後は時間ありますか?」
「あり、ますけど」
「昨日の件、詳しく説明したいと思いますので部室に来て頂けますか」
「・・・ああ、はい。わかりました」
よかった、と熊谷は笑い
「では、行きましょう。もうすぐ予鈴が鳴ります。放課後、部室で」
そう言い残して三年の下駄箱へと向かった。放課後に誰かと約束なんてした事のない周は、ぞわりと痛み以外で体を振るわせた。
「ほんなら、あたしらも行こか」
「はい」
誘われ、歩む。少し違う形で新生活は始まったが、これはこれで悪くない、かな。
彼は知らない。後々、このときの自分を殴り飛ばしてやりたいと、それはもう、ボコボコにして詐欺で訴えかねない勢いで思う。
ただ、後悔だけは絶対にしなかった。苦しくて辛くて逃げ出したい事が無数に遭ったけれど、それと引き換えに彼は、無二の友人たちを得るからだ。
彼も、彼女もしらない。
彼らの出会いが、やがて世界を揺るがす大事件に発展する事を。そして、その事件を解決した彼ら弱小支部のチームが、後世まで語られる最高のエージェントチームと呼ばれるようになる事を。
これはチーム『ゴミ処理係』がストレス社会で疲れた大地を癒す物語。