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走る車の中で、彼らがまずしたのは自己紹介だった。マスクを着けた四人はロンソの名前を知っていたが、ロンソの方は四人の名前を知らなかったからだ。
「というわけで、教えていただけるとありがたいのですが」
「なんでお前なんぞに名前を言わなきゃいかんのだ」
「私があなた方のスポンサーになるからです。だというのに相手の名前を知らないというのは、非常に致命的と言わざるを得ませんので」
「なんだとコラ?」
「やめろイヴァン。噛みつくな」
声を荒げるイヴァンをジョージが制止する。それから彼はロンソを見ながら「それもそうだな」と呟き、三人に目配せした。
「本気?」
「ああ。別に問題ないだろう」
三人は顔を見合わせた。しかし結局、ジョージの言葉に従うことにした。彼らのリーダーはジョージであり、そのリーダーに従ってきたから今まで生き残って来れたのだ。
「ジョージ・ワシントン。リーダーをしている」
「ヨシムネ・トクガワ。色事担当よ」
「イヴァンだ。雷帝とも言われてる。荒事なら任せておけ」
「ユリウス・カエサル。特にポジションは無い」
そしてそれぞれが自分の名前を告げる。ロンソは少し驚いた。ここまで律儀にこちらの要求に応えてくるとは思わなかったからだ。
しかしその直後、ロンソはすぐに自分の意見を改めた。彼らのそれが偽名であるとすぐに悟ったからだ。
「痛くも痒くもない、ということですか」
「まあ、そういうことだな」
ロンソの言葉の意図を悟ったジョージが笑って答える。賢者とはよく言ったものだ。
「そういうお前も、あまり動揺してないな。こっちの世界にこういうブツは無いんだろう?」
「まあ、そうなりますね」
そしてジョージからの問いかけに、ロンソは小さく笑って頷いた。ロンソにとってその物体を見るのは初めてではない。向こうの世界で「装甲車」と呼ばれている鋼鉄の塊を前にして、ロンソはそれまでの他の魔族のように動揺したりはしなかった。伊達に何十年も異世界と関わっていた訳では無いのだ。
「見慣れてますので」
「そうか。でも俺達はこっちの事を全く知らないんだ。不公平だよな?」
「ご安心を。こちらの世界の事を一から説明致しますので」
ロンソはそのジョージからの要求に律儀に答えた。
「それ、本気で言ってるのか?」
「マジかよ」
そしてジョージ達にとって、彼女のその話は全く馴染みの無い物であった。ここが自分達のいる世界とは異なる世界である事。ここでは長い間戦乱が続き、秩序が乱れ、大陸全土が荒廃している事。その中で魔族はより強い混乱と恐怖を求め、そのために自分達をここに呼び寄せた事。
「そんな阿呆みたいな話を信用しろっていうのか?」
「信用してもらうよりありません。全て事実なのですから」
そんな事を淡々と話していくロンソを前にして、マスクを着けた四人組は一様に怪訝な表情を浮かべた。この女は正気なのか? 誰もがそんな事を考えた。
「さっきからデタラメ言ってるんじゃねえだろうな? 証拠あるのかよ?」
「随分と疑い深いのですね」
なおも疑念の眼差しを向けてくるイヴァンに、ロンソはため息混じりの言葉を返した。イヴァンはマスクの奥で額に青筋を浮かべたが、その彼が再度口を開くよりも前にロンソが続けて言った。
「わかりました。では証拠をお見せしましょう」
「なに?」
突然の提案にユリウスが首をひねる。ロンソが彼の方を向き、真顔のまま彼に言った。
「ここから北西に二キロほど進んだ所に、オーク達のねぐらがあります。比較的小さな洞窟ですが、この車が入れるくらいには広いですよ」
「それがどうしたって言うんだ?」
「実際に見てみようと提案しているのです。本物を見れば、あなた方も納得してくださるかと思ったので」
ロンソはどこまでも冷静だった。両手を後ろに縛られた格好で椅子に座らされ、目の前の四人組から一斉に銃を向けられておきながら、彼女は冷や汗一つ流さなかった。それどころかこちらを挑発するかのように、時折鼻で笑ったりもした。
その余裕の態度が、どこまでも彼らの神経を逆撫でした。しかしロンソはその怒りの気配を察しながら、それでも己のスタンスを崩さなかった。
「どうしますか? ここに留まるか、それとも人間でない者の姿を確認してみるか。どうするかはそちらにお任せします」
「……」
それまでジョージは、マスクの下で険しい顔を見せていた。しかしロンソの見せる、どこまでも人を食ったような余裕の態度を前にして、やがて怒る事すら馬鹿らしいと思うようになった。
暖簾に腕押しな相手に自分だけムキになって、とても滑稽な気分だ。
「……詳しい場所を教えろ」
ロンソの忍耐が勝利した瞬間だった。体から力を抜き、武器を降ろし、肩を落としてジョージが尋ねる。いきなり警戒を解いたジョージを前に他三人が戸惑いの視線を向ける。
ロンソが「勝った」とばかりに不敵な笑みを浮かべる。
「わかりました。では教えましょう」
ロンソと四人を載せた装甲車は、やがて彼女の示す場所へと向かった。彼らの進む場所は辺り一面荒野であり、空は濁った闇に覆われていた。
「おい見ろよ。あそこに火山があるぜ」
「火山の上にドラゴンがいるように見えるんだが、俺だけか?」
その道中で、彼らはとても現実とは思えない光景を何度も目の当たりにしてきた。空飛ぶ蛇。背中に羽の生えた妖精。巨大な六本腕の怪物。走る装甲車の真横で地面が割れ、高層ビル程もある植物が地下から這いだしてきた事もあった。
まるで子供の妄想するファンタジーな世界に迷い込んでしまったかのようであった。四人はそうした理解不能な異物を目にする度に、自分達の価値観や常識が揺るがされていく事を自覚した。
「私達、本当に別の世界に来たって事なのかしら」
「……」
不意にヨシムネが呟く。仲間の三人は特に反応しなかったが、彼らの胸中にはヨシムネと同じ思いが渦巻いていた。
そうこうしている内に、装甲車はとうとう目的地に到着した。そして彼らはまず入口から遠く離れた位置に車を停め、そこから目的の場所を偵察することにした。
「おい、見ろよ」
「マジかよ」
そこで彼らは、ついに自分達が異世界に迷い込んだのだという事を自覚した。
「豚だ。豚が歩いてやがる」
「俺知ってるぞ。あれはオークって言うんだ。前やったゲームにああいうの出てきたぞ」
双眼鏡越しに彼らが見たのは、鎧を着た豚人間だった。四肢は短く、腹周りはでっぷりと肥え太り、身の丈ほどもある武器を背中に担いでいた。彼らは洞窟の入口前で火を焚き、棒に挿した巨大な動物をその上で炙っていた。
一族の一部が外に出て、今日の夕食の準備を進めていたのである。
「本物なのか? 背中にチャックとか付いてないのか?」
「着ぐるみには見えねえな」
「ついでに言うと、武器も本物っぽいな。マジモンなのか」
彼らは全員目を疑った。しかし同時に、諦めに似た感情を抱くようにもなっていった。ああ、自分達は今異世界にいるのだ。
「それで? この後どうするつもりなんだ?」
そんな思いを抱きつつ、ジョージが横に並ぶロンソに問いかける。ロンソは双眼鏡を使わずに遠方の光景を見ながら、冷たい表情で言ってのけた。
「あそこをいただきましょう。我々のねぐらとして利用するのです」
「なんだと?」
思わず四人が振り返る。ロンソは構わず澄まし顔を浮かべる。
「いいのか? そんなことして?」
「別に問題はありません。奪われる方が悪いのです」
「なるほどね」
しかしロンソの言葉を聞いて全員が納得する。なるほど、確かにそれは真理だ。
この場にいた全員が、それに対して罪悪感を抱いていなかった。弱いのが悪い。それが彼らの共通認識であった。
「それで、あいつらの数は? どういう構成してるかわかるか?」
「詳しくは知りませんが、ざっと見積もっても二十から三十はいるでしょう。オークは本来群れる生き物、今目に見えているのは群れのほんの一部にすぎません」
「力の方は? 見た目通り、やっぱり腕っ節も強いのか?」
「その通りですね。彼らの膂力は平均的な人間のそれを上回っております。まあその分、おつむの方は利口ではありませんが」
「脳筋ってわけか」
「ただの馬鹿ですよ」
「賢者」の面々が口々に質問をぶつけ、その全てにロンソが淀みなく答えていく。一方で、その問答を横で聞いていたジョージは、既に頭の中で強奪計画の大半を練り上げていた。
「ところで、プランは出来ましたか?」
それに感づいたのか、ロンソがそれまで無言だったジョージに問いかける。ジョージは黙って頷き、そして双眼鏡を目から外しながら口を開く。
「せっかく狭い所に集まってくれてるんだ」
そして次に背後の装甲車を見つめる。
「丸焼きにしよう」
最初、他の四人はジョージが何を言っているのか分からなかった。




