マイ・ボルト
現在所有している全ての資産を没収し、地位と権威も剥奪する。それがロンソ・ステアーズに対して与えられた罰であった。
そして同時に、彼女がこの世界で一定量の悪感情を稼ぐことが出来れば、彼女を元の地位に引き戻すというペナルティも設けた。そしてそれを聞いたロンソは目を剥いた。
「よろしいのですか? そんな事をしてしまって?」
ロンソはこのまま、魔界の上位階級から叩き落とされるものと覚悟していた。それが条件付きで復帰のチャンスを貰えたのだ。彼女は大いに驚いた。
「確かに私としては嬉しいのですが、なぜそのような機会をくださるのです?」
「前にも言ったが、貴様は有能だ。正直失うには惜しい。だから罰を与え、同時に試練も与えることにした。貴様がその試練を乗り越え、その才を改めて示した時、貴様を再び我らが同胞に迎える事にしたのだ」
驚くロンソに議長のゼノが答える。これはゼノなりの温情であった。彼は厳格な魔王麾下ナンバーツーであり、同時にロンソの実父であったが、そのどちらの面も冷酷非道という訳では無かった。
「少し優しすぎでは? もう少し縛りを加えても文句は無いはずと思いますが」
無論、彼の甘さを指摘する者もいた。永久追放すべきと論じる過激な者もいた。しかしゼノは譲らず、己の意見を押し通した。
「何度も言わせるな。ロンソの才は貴重だ。この者をみすみす失うなど、愚かと言うよりない。それとも、貴様が此奴の代わりを務めるというのか? それが出来るのか?」
だれもそれに反論できなかった。ロンソが傲慢だが無能でもないという事は、ここにいた全員が知っていたからだ。
「ではロンソよ。この後どうなるかは貴様次第だ。これまで貴様が使ってきた物は全て没収とする。どこを新たな拠点とし、どのように糧を稼ぐか。それは貴様次第だ」
そうして反対意見を抑えつけた後、ゼノは改めてロンソにそう言った。ロンソは表情を引き締め、最上段に腰を据える父を見上げながら頭を下げた。
「必ずや、ご期待に応えて見せます」
そして自分にチャンスを与えてくれた上官に対し、部下として感謝の言葉を述べた。
ロンソ・ステアーズの財産は、大きく分けて二カ所に集積されていた。一つはブラックベリー城。もう一つはブラックベリーから遠く離れた場所にある別荘である。
その二カ所に向かって財産没収のための部隊が送られたのは、ロンソが魔王城を出た一時間後の事であった。ブラックベリー城に向かう部隊を指揮するのは巨人族のズール、別荘に向かった部隊の指揮官は吸血鬼のブラーであった。
ズールの方は首尾良く任務をこなした。ズールがその巨大な手で瓦礫をかき分け、露わになった金庫を部下が総出で引っ張り出した。
「他のブツはどうします?」
「この有様だ。見つけだすのは困難だろう。金庫が無傷で見つかっただけでも良しとするべきだろうな」
豆粒のように小さな部下からの質問に対し、その襤褸を纏った巨人はそう答えた。確かにそれは事実であったが、そう答えたのは同時にさっさと切り上げて家に帰りたかったからでもあった。
「ズール様、馬車への積み込み作業、完了しました」
「よし、撤収するぞ!」
だからズールは金庫だけを押さえて、とっとと帰る事にした。そして部下達も、そんなズールの命令に異論を唱えることは無かった。
そもそも同胞の財産を「回収」するという退屈な仕事を好んでやる魔族は、まずいなかった。彼らが好むのは「略奪」と「暴力」だ。
「撤収! 撤収! さっさと帰るぞ!」
それ故に、彼らの行動は迅速だった。一つの意志の元に統一された彼らは目を見張るスピードで帰り支度を整え、それ以上の追求もせずに早々に自分達の指揮官の元へと帰って行った。
一方で別荘に向かったブラーは、目の前で行われている光景を呆然と見つめていた。貴族らしい豪華な服を身に着けた彼は、自分が城の方に行けば良かったとすら思い始めていた。
「ブラー様、これはいったいどうすれば良いのでしょうか?」
「俺に聞くな……」
後ろに控える部下の言葉に、ブラーが力なく言い返す。その彼らの目の前には荒野の中に建つ半壊した別荘と、現在進行形でその崩壊した別荘から金品を運び出している四人の人間の姿があった。
ブラー達がここに来た時には、既にこうなっていたのだ。
「おい、これで全部か?」
「他には見えねえな。それくらいでいいんじゃねえか?」
「絵はどうする? 壷は?」
「かさばる物は置いていけ。持ってける物には限りがあるんだ。宝石と札束、それ以外は無視だ」
マスクを被った彼らの手際は手慣れたものだった。壁を壊して装甲車を中に直接乗り入れさせ、そこから室内に進入して目当てのブツを手当たり次第漁っていく。そして小さい物を優先して入手し、次々と装甲車の中に運んで行っていた。
ブラーとその部下は完全に出鼻をくじかれる形となっていた。
「ええい、お前達! 手を止めろ!」
しかしそのまま指をくわえて見ている訳にもいかない。ブラーはすぐに気を取り直し、大股でその四人組の元へ歩いていく。同時に大声で呼びかけたりもしたが、先に資産の没収を行っていた四人はその言葉に全く反応しなかった。
それがブラーの神経をさらに逆撫でした。
「聞こえなかったのか! ここはお前達が好きにしていい場所では無い! すぐに行動を止め、即刻退去せよ!」
四人は止まらなかった。ブラーは額に青筋を浮かべた。
「おい、いい加減にしろ! これ以上無視するというのなら」
「実力行使で強制排除、ですか?」
そうして怒りを露わにしたブラーが声を荒げたその時、彼の言葉を遮りながら目の前に一人の女性が立ちはだかった。いきなり現れたその女性を見て、ブラーは目を剥いて声を放った。
「あなたは、ロンソ・ステアーズ殿、でございますか?」
「もちろんです。私はロンソ・ステアーズですよ」
名前を呼ばれたロンソは、いつもの調子で淡々と答えた。それが本物である事は、ブラーにはすぐにわかった。眼前の女性が放つ魔力の奔流は、確かにロンソ本人のそれと同一の物であったからだ。
しかし、それが余計にブラーを混乱させた。なぜ目の前の悪魔は自分の別荘が荒らされているというのに、何故ここまで平静を保っているのだろうか?
「私が彼らに助言したのですよ」
そんなブラーの疑念を見透かしたように、ロンソが口を開く。ブラーは何か言おうとして口を開きかけ、それに先んじるようにロンソが言葉を続けた。
「ここにちょうどいい空き家がある。そこは金持ちが療養のために使っている別荘で、宝石や金塊も手つかずのまま沢山残されている。そして今家主は家を空けている。襲うなら今だと」
「それは……」
説明を聞いたブラーはますます混乱した。ここは元々あなたの物では無いのか?
「そうではないのですか? ここはあなたが使っている別荘のはずだ。当然、あそこにあるのも全てあなたの物だ。それをなぜ他人に奪わせるのです?」
「確かに、かつてはそうでした。ですが今は違います」
ロンソはそう答えた。意味が分からず眉をひそめるブラーに、ロンソが続けて言った。
「今の私は一文無しですから。例の失敗によって、地位も家も、財産も全て失いましたからね。だからこの別荘も、今ではもう私の物では無いという事です。だからそこを誰が襲おうが、もはや何の感慨も湧かないという事です」
「ああ、なるほど」
ブラーは思わず納得した。しかしその直後、何かを思い出したブラーはすぐに表情を引き締めてロンソに言った。
「いや、違う。感心する所じゃない。あなたは何故そのようなことをしたのです? あなたにとってはあそこはもう他人の物かもしれないが、我々にとってはまだあなたの所有物なのです。そして我々の仕事は、あなたの所有財産を全て没収する事だ」
「つまり、我々の邪魔をするな、と仰りたいのですね?」
「その通りです」
ブラーは正直に頷いた。後ろで控えていた部下達も、雰囲気の変化を感じ取って一斉にブラーの元に集まってくる。ロンソはそうして集まった三十余人の前に一人で立ち、彼女の背後ではなおも例の四人組がせっせと仕事を続けていた。
「それに、あなた方が出遅れたのは単純にそちらの過失でしょう?」
その動き続ける四人組を背に、ロンソが怖じ気づく事もせずに言ってのける。面と向かって詰られたブラーはたまらず顔をしかめたが、ロンソは澄まし顔のままそれを見つめ返す。
「ロンソ殿、いくらなんでも言って良い事と悪い事がありますぞ」
「事実を申したまでです。彼らが速く、あなた方が遅かった。それだけの事ではありませんか」
ブラーはぐうの音も出せなかった。ロンソの言う通り、自分達より彼らの方が速かっただけだからだ。
だからこそ気に入らなかった。正論のみをぶつけて相手の神経を逆撫でするのがロンソの常套手段であり、ブラーは今まさにその彼女の術中にはまってしまっていた。
「おい、あらかた終わったぞ」
ロンソの後ろから声がかかってきたのは、まさにその時だった。ロンソはすぐに意識を背後に向け、肩越しに声のする方へ視線を移した。
「運び込みは終わりましたか?」
「ああ。金庫の中身も積み替え終えた。後はおさらばするだけだ」
「わかりました。ではさっさと引き上げるとしましょう」
そう言うなり、ロンソは踵を返してジョージ達の方へ歩いていった。ブラーは咄嗟に声をかけたが、ロンソはそれを無視して彼らに向かって進み続けた。
「では皆さん、ごきげんよう」
そして装甲車の後部ハッチに足をかけ、悠然とブラー達に声をかける。そのままロンソは装甲車の中に入り込み、外に待機していた他の四人も続けて中に入り込む。
ブラー達は呆然とそれを見つめていた。しかし見たこともない物体がけたたましい音を立てて半壊の別荘から離れて行った後、その後ろ姿を見送ったブラー達は不意にあることを思い出した。
「あれ? 確かあそこって」
ロンソが中に入った装甲車には大量の金品が積み込まれていた。
装甲車に積み込まれた金品は元々ロンソの物だ。
そしてロンソは、処分の一環として全ての所有物を没収されている。
「あ」
ブラーがそれに気づいた時には既に手遅れだった。ロンソは自分の部下を使い、没収された自分の資産を彼らに奪わせたのだ。
「どうします? 取り返しますか?」
同じ事に気づいた部下の一人がブラーに声をかける。しかしブラー達の目に見えるその物体は、それまで見たことも無いスピードで荒野を走り去っていった。
「今から追っても間に合わんだろう」
ブラーは力なく言葉を漏らした。まんまと財産を回収したロンソを、ここから追い始めて捕まえるのは困難だろう。彼はその事に気づいていた。
同時に彼は、自分が任務を失敗した事も察していた。




