マイワールド
ベトルードは抜け目のない奴だ。下水道の中を歩きながら、ジョージはしみじみと思った。彼の後ろにはユリウスとフリードがおり、二人の間に挟まれて下水道を進んでいたフリードは物珍しそうに辺りを見回していた。
「へえ、こっちもそんなに変わらないんだな」
「どっちも同じだ。薄暗くて生臭い、長居はしたくないな」
「こっちはマシだと思ったんだがな」
視線を前に戻しながらフリードが落胆する。彼の言葉に答えていたユリウスはからかうように笑いながら、自身も肩を落として口を開いた。
「残念なのはどこも一緒さ。住み方が変わるだけで、住み心地はどこも変わらないもんだよ」
「つまんねーの」
「二人とも、そこまでだ。目的地に着いたぞ」
そう会話を続ける二人をジョージが制止する。ジョージもこの時思考を切り替えており、彼は自身の頭上を見ながら続けて言った。
「準備しろ。ブツが来るまであと二分だ」
「了解」
「おう」
ジョージの言葉に合わせて、後ろの二人が背負っていたバッグを降ろす。頑丈な合成繊維製のバッグで、中身は空だった。彼らはチャックに手をかけてバッグを開け、ジョージはそれを見ながら自分もまた背負っていたバッグを足元に降ろしてチャックを開けた。
「そろそろか?」
「ああ」
ユリウスの問いにジョージが答える。目標の時間まであと四十秒。腕時計で時間を確認したジョージは右手にある梯子を掴み、一人で上へと昇って行った。
梯子の先は円形の蓋で塞がれていた。ジョージはそのマンホールに片手を置き、押し上げるようにして脇にずらした。そして彼がマンホールをずらして穴をあけた直後、その真上に一台のバンが停止した。エンジンはかかったままだった。
そのバンの底部、マンホールの真下に繋がる場所には、そのマンホールと同じ大きさの穴があけられていた。バンの搭乗者はその穴を使い、車内に積まれていた大型のダッフルバッグをすぐ足元に控えていたジョージに手渡した。
「そら、持ってけ」
「ちゃんと三袋か?」
「ああ。抜け駆けも無しだ」
車の中、牛のマスクを被ったイヴァンが穴の奥から言い返す。梯子に足をかけながらバッグを受け取ったジョージは一度頷き、そのバッグを真下に向かって投げ落とした。
大きな音を立ててバッグが下水脇の側道に落ちる。音は車のエンジン音でかき消された。すかさずそれをユリウスが手にとり、自分達のところまで運んで来てからチャックを開く。
中には札束が詰め込まれていた。百枚一束の百ドル紙幣が八個だけ。おかげでバッグの中身はすっからかんだった。
「しょぼい強盗だな」
「少なくていいって注文だからな。まあ仕方ないさ」
バッグの中身を移し替えながら二人が言葉を交わす。その間にもジョージはイヴァンから新しいバッグを受け取り、続けざまに真下に落としていく。ユリウスはそれを受け取り、フリードの側まで持っていって二人がかりで中身を持ってきたバッグのの方へ入れ替える。
どのバッグにも、入っていた札束の数は微々たるものでしかなかった。おかげで入れ替え作業は数分も経たないうちに終了した。持ってきたバッグに札束を詰め終えたユリウスは、ジョージの方を見ながら親指を立てた。
「よし、いいぞ」
それを見たジョージは頷き、即座に車体に開けられた穴越しにバンの中へ指示を出す。イヴァンは頷き、同時に彼の横に座っていたエリーが運転席を叩く。
ヨシムネがギアを入れる。同時にジョージが頭を引っ込め、マンホールの蓋を元に戻す。中身を吐き出し終えたバンが走り去るのと、マンホールの蓋が完全に閉じ切られるのは、ほぼ同時だった。
ジョージが梯子を使って降りる頃には、既にユリウスとフリードが用済みのダッフルバッグを下水に捨てていた。
「バッチリか」
「ああ」
ユリウスが背負ったバッグを叩きながら答える。ジョージもそれに頷き、そのまま二人に撤収の指示を出した。
「あとは逃げるだけだ。行くぞ。遅れるなよ」
「ちんたらしてたらロンソが勝手にゲート閉じるかもしれないな」
「そうならないようにしないとな」
三人は口々にそう言いながら、下水道を走っていった。この時彼らの脳裏には、等しく同じ過去の光景が浮かび上がっていた。
頭の中に映っていたのは今回の依頼人である工業都市ヘイムゼンの長、ベトルードの肥満体である。
「聞けばお前達は、こことは違う世界から来たのだったな?」
ワイズマンへの嫌疑をなあなあの内に流して済ませた後、ベトルードは躊躇いなく話題を変えてきた。それでいて、彼は明らかに先の話題よりも興味津々といった体で、彼らにその話を振ってきた。
「やはり、こちらとは違うのか? 他と変わった部分があるのか?」
「まあ、あるといえばありますね」
「そうか。具体的にはどんなところだ? 知ってる範囲でいいから教えてくれ」
ベトルードは子供のように食いついてきた。彼は全身の肉を揺らし、全体から見て豆粒のような両目をきらきら輝かせた。一方で彼の問いに応えたジョージはげんなりした。
いちいち口で説明するのが面倒臭かったのだ。当然ながら出来ないのではない。やりたくないだけであった。
「こういうのは話で聞くより、実物を見た方が早いのでは?」
だからジョージは面倒くさがって、そのような方向に話を持って行った。そしてベトルードもまた、彼の提案に乗ってきた。
「それもそうだな。話で聞くより実際に見た方がより詳しくわかるというものだな」
一瞬、ジョージはしまったと思った。しかしベトルードは既にやる気になっていた。後の祭りだった。
「よし。ではまず、そちらの世界の金が見てみたい。どのようなものを使っているのだ? なんでもいいから、実物を見せてくれ」
その言葉が引き金となって、ワイズマンは元いた世界で銀行強盗を行ったのであった。世界を繋げるゲートはベトルードが手配した。ヘイムゼンの宝物庫の中に、時空の歪みを人為的に発生させる装置があったのだ。
「こんなものまであるのか」
「これ、俺達がこっちで働く必要無いんじゃないか?」
「それは言ってはいけない約束ですよ」
それを見たワイズマンの初期メンバーは驚き、同時に自分達がこの世界で仕事をする理由が根底から崩れていくのを感じた。別にロンソに構わなくても、これを使えば簡単に帰れるんじゃないか? 誰もがそう思った。
しかし彼らは、その時はそれについて深く考えることはしなかった。今はベトルードの仕事を済ませるのが先だ。
「もう少し観光していきたかったのですがね」
「やめとけって。こっちは犯罪集団なんだぜ。目立ってどうするんだよ」
エリーやロンソ、そしてフリードにとっては、そこにある何もかもが初めて見るものばかりであった。彼らは初めて足を踏み入れるこの世界に大いに好奇心を刺激されたが、結局彼らの欲求は叶わずじまいであった。彼ら異界組は何もせず、ひと仕事終えた後さっさと撤収したのであった。
「それにしても、こっちの世界は随分恵まれているのですね」
その逃走する車内で、ロンソが不意にぽつりと呟いた。それにイヴァンが反応し、彼女に問いかけた。
「そうでもないぞ。豊かなところもあれば、貧しいところもある。そっちの世界と一緒だ」
「ですが文明レベルの平均値で言えば、こちらの世界の方がずっと高いですよね」
「そりゃあ、まあな」
それについては否定しなかった。こちらと比べると、向こうの世界は明らかに未熟である。イヴァンは首を縦に振った。
「あっちの方が色々足りてない気はするな。どこか中世的だ」
「中世的?」
「ああ、まあ、あれだ。剣と魔法の世界ってことだ。こっちみたいなコンクリートジャングルじゃなくてな」
「制度やセキュリティが杜撰というわけですね」
イヴァンは気を利かせたつもりだったが、ロンソは彼が言いたいことを直球で表現した。イヴァンは渋い顔を浮かべた。俺の気遣いを無碍にしやがって。
「いいじゃないですか。事実なんですから」
ロンソは悪びれなかった。イヴァンはまだ苦々しい顔を浮かべていたが、やがて時間の無駄と気づき、ガスを抜くように表情を軟化させた。
「それで、私思ったんですけど」
そんなイヴァンに、ロンソが続けて問いかける。イヴァンは腕組みをしながら「なんだ?」と憮然とした態度で問い返し、ロンソは澄まし顔でそれに答えた。
「こちらの進んだ技術を向こうの世界に持っていけば、私達にとって非常に有利になると思うんですよ」
「なんだよそれ。どういう意味だ?」
「簡単ですよ。例えばこちらの世界にある……あのほら、空飛ぶあれ」
「ヘリコプター?」
「そうですそれ。それを適当に一機か二機頂戴して、それを私のいる世界で使うんです。技術的有利を徹底的に利用するんです」
「いつもやってることだろうが」
「もっと大っぴらに使うんですよ。今まで私達は、あまり人目につかないように動いてきました。それを逆転させるんです。もっとド派手に。大勢の人間の目に映るようにやるんです」
ロンソはそこまで説明して、一旦言葉を止めた。イヴァンは一瞬ニヤリと笑ったが、すぐに顔を引き締めた。
「リスク高すぎじゃねえかそれ」
「リスクを技術で補うんです。それにこうすれば、より多くの混乱を招くことが出来る。手っ取り早くマイナスの力を回収することが出来る」
「すごい久しぶりに聞いたなその設定」
「今までが地味過ぎたんですよ。このままやっていれば、目的達成まで何百年かかるかわかりません。大げさにしていくべきです」
ロンソは今までにないくらい強気で言った。イヴァンは真顔でそれを聞いていたが、やがて段々と表情筋を緩ませていく。
「悪くねえな」
そして彼はついに本音を吐露した。ドンパチ派手にするのは、彼の大好物だったからだ。
ロンソは己の勝利を確信した。




